事実婚30年、この日のために61歳と78歳の「けじめ」入籍

日本舞踊家(紫派藤間流家元)で女優・藤間紫の密葬が3月30日、東京・上野の寛永寺輪王殿で営まれた。葬儀で喪主を務めたのは、夫の歌舞伎俳優・市川猿之助だ。


2人が知り合ったのは猿之助が12歳の時だった。その後、猿之助は浜木綿子と結婚したが離婚。当時から藤間との関係が原因といわれていた。その不倫は事実婚になり、さらに婚姻というけじめをつけたのが猿之助60歳、紫77歳の時だった。事実婚の期間だけでも30年にわたる。

2001年7月6日付けの「夕刊フジ」によると、結婚のきっかけは「昨年の喜寿(77歳)のお祝いのときに松の大木を贈ってくれ、『けじめをつけたいから』と言っていただいて」と紫。一方、猿之助は「私にとって人生で一番大切なもの。極論すれば愛ーを教えてくれたのが紫さん」とノロけた。

2001年7月5日の「YAHOO!のビデオニュース」では、猿之助の記者会見ビデオの中で猿之助自身の口から、2000年2月28日に、東京都港区役所に婚姻届を提出していたことを発表している。

猿之助の会見の様子を要約して載録しておこう。

なぜ、私がそこで(入籍)したかというと、私の若い時代というのは『人生60年』といわれていて、60歳になったらもう引退というか、老いてしまうみたいな。で、私が60になったのはちょうど2000年なんですね。区切りがいいので、私はそこへ向かって歩いてきたわけなんですけれども、21世紀に向けてプライベートなことをね、ここで一区切りね、つけたらいいな、と思ったのが始まりなんですね。

私の20世紀の演劇活動をいちばん支えてくださったのが紫さんなんで、私にとって人生で一番大事なことを教えていただいた方なんですね。愛は礎と言うことですね。私はどちらかというとお坊ちゃん育ちなもんでね、のほほんとしているところがあったのですが、紫さんからは厳しさというかね、そういうものを教えてくれた方なんですよ。私の歌舞伎が花開いたのもそのおかげで。

ではどうして入籍になったかといいますと、生きている間は必要ないんですよ、紙切れですからね。(日常生活には)必要ないけど、死という終着駅を考えたとき非常に重要なもんだと思うんですね。藤間流を率いる紫さんと、澤潟(おもだか)屋の総裁である私との死後の問題についてクリアにしたいと。それから、紫さんというのは死の瞬間を考えてらっしゃるという珍しい方なんです。そして、その瞬間に幸せな生き方をしたいということで、死の瞬間に幸せになっていただけたら有り難いと。これまで私の舞台を応援してくださったみなさまには、そういった私のプライベートな部分についてご寛容、ご理解を戴きまして、今後ともご声援をお願いしたいと思っています

お互い抱えているものがあるから婚姻した、という理由は率直なものだろうが、逆に30年も事実婚状態なら、「お互い抱えているもの」がむしろネックになることもあるし、何より「今さら」という気持ちもあったのではないだろうか。30年以上たってから「けじめ」をつけるというのは、お互いの立場もあるとはいえ珍しいケースかもしれない。

いずれにしても、婚姻というルールがあるのだから、「けじめ」をつけたのはいいことだと思う。世の事実婚の人たち。主義主張や事情はあれど、残る子どもたちの立場や身分を考えたら、「けじめ」はつけた方がいい。「そのうち手続きしよう」などと思っているアナタ、明日にでも交通事故でそれがかなわなくなるかもしれないのだ。高齢の人も「今さら」などと思わず、自分たちの軌跡を結実させることをお勧めする。

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