フォーリーブスの後にフォーリーブスはなかった

「日刊スポーツ・コム」(2009年1月29日10時6分配信)が「『ジャニーズ』の礎を築いたフォーリーブス」というタイトルで、亡くなった青山孝史を偲んでいる。



 フォーリーブスはアイドル王国「ジャニーズ事務所」の礎を築いた。元祖アイドルグループだった「ジャニーズ」が解散した67年にそのバックダンサーとして結成され、同年秋のメンバー交代で青山孝さん(当時)が加入。翌68年にレコードデビューした。60年代はグループサウンズの全盛期だったが、後半には衰退期を迎え、歌って踊れるアイドルグループのフォーリーブスが人気者になった。
 4つの葉のクローバーにちなんで命名され「メンバー4人全員がスター」の方針のもと、ジャニーズの付き人だったコウちゃんこと北公次は歌とアクションで存在感をみせた。子役出身のトシ坊こと江木俊夫は三枚目キャラクターで人気者になり、児童劇団からモデルをしていたマー坊ことおりも政夫はグループの進行役だった。その中で、東京音楽学院の特待生だったター坊こと青山は歌唱力に優れ、音楽面のリーダー的役割を果たし、4人の中で最も人気があった。グループ活動しながら日大芸術学部演劇科に入学した努力家でもあった。
 歌だけでなく、バラエティや映画・ドラマにも出演する「ジャニーズ」アイドルの原型だった。
 代表曲「地球はひとつ」「夏の誘惑」「ブルドッグ」は、今もジャニーズの後輩がテレビやライブで披露するなど、歌い継がれている。

ジャニーズ事務所のタレント第一号は、言わずとしれたあおい輝彦らの4人組・ジャニーズだが、青山はフォーリーブスの中で、唯一彼らのイズムを継承した人物といえた。

グループサウンズ隆盛に対抗して中性的な魅力を売り物にして売り出したフォーリーブスの中で、彼は髪を短くして青春歌謡的雰囲気と歌唱力を持ち、「文武両道」で日芸に進学した(あおいらジャニーズも日大芸術学部に進学)。

彼がジャニーズのコンセプトを継承したことで、以後、同事務所所属タレントの中には、こんにちも「高学歴」「好青年」「歌唱力重視」といったスタイルが生きている。

もちろん、フォーリーブスというグループ自体、芸能界的でも事務所の中でも大いなる貢献を果たした。

当時は、ジャニーズ事務所からデビューする新人はすべて「フォーリーブスの弟分」がキャッチフレーズだった。郷ひろみ(1972年)、葵テルヨシ(1973年)、森谷泰章(あきら)、原川吉臣、曽我泰久、松原秀樹らのリトルギャング(1974年)などはみな「フォーリーブスの……」といわれたが、郷は間もなく移籍、他のタレントは大成功できずに終わった。

フォーリーブスの前にジャニーズはあったが、フォーリーブスの後にフォーリーブスはなかった。

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