赤西仁、ソロ活動に転身を表明 - 芸能資料館

赤西仁、ソロ活動に転身を表明


赤西仁が、ジャニーズ公式携帯サイトでソロ活動転身を発表。KAT-TUN脱退はほとんどの人が疑うことのないことだが、本人が語ったことで改めて話題になっている。

赤西仁>>ranking「強いて言えば方向性の違いでしょうか。決してメンバーが嫌いだからとか、人間関係のもつれとかではないのでご安心を(笑)」

「大きい事、小さい事、今までいろいろ迷惑をかけました。ごめん。ありがとう。そして楽しかった」

「アメリカ、アジア、ヨーロッパなど色々な国も視野に入れて活動できれば」などと抱負を綴った。

先日もマスコミの報道で近藤真彦がエールを送っているが、KAT-TUNのメンバーは赤西仁の帰国を知らなかったかのようなコメントを出しており、その事実をもってしても、彼がもはやグループ内に居場所がないことがわかる。

何しろ2度目だ。「いい加減にしろ」という思いも強いのかもしれない。

KAT-TUNは2001年に結成された6人グループである。翌2002年にははやくも東京国際フォーラムにて初の単独コンサートを開催。以後も写真集を発売したり単独コンサートを精力的にこなしたりと実績を重ねた。

2006年3月に満を持してCDデビューした。シングル、アルバム、DVDの3部門すべてのチャートで初登場1位を記録。デビュー曲「Real Face」は売り上げ100万枚を突破し、シングルの初動売り上げが3作連続で40万枚突破を記録。

そんなさなかに赤西仁は留学騒動を起こし、グループの勢いを止めてしまったのだ。

原因はいくつか取りざたされた。

ひとつは、グループのライバル・亀梨和也との確執である。もともとバラバラであまり仲も良くない者同士を集めたといわれる同グループだが、とくに亀梨和也と赤西仁の関係は良くなかった。

赤西仁の休業宣言によるCD発売延期など活動の縮小に対して、亀梨は「マジ、ふざけんな! あいつはどこまで俺たちの足を引っ張るんだ」と怒りをあらわにした(『週刊女性』2006年10月31日号)

赤西仁は、日頃から不遜な態度や素行不良がファンやマスコミから問題視され、メンバーからも浮いた存在だった。

一方で、最初の離脱児は悪質なストーカーに悩まされていて、都内にいくつもマンションを借りて転々としていたともいわれる。イキがっているように見えるが、実は小心でかつ細心な世渡りベタの赤西仁は、そうした周囲の反応や環境によって精神的にかなり不安定な状態で、一説には顔面麻痺を指摘する声もあった。

赤西仁の薄給を巡り、ジャニーズ内部で内輪モメが勃発したという話もあった。赤西仁の父親は電気工事業者で、パート勤務していた母親は知人と居酒屋の共同経営に乗り出したものの1年ほどでやめてしまった。マンションを買ったもののローンが払えず東京都に差し押さえられるなど、経済的に裕福とはいえない。

女性問題に対する事務所への不満、という見方もある。上原多香子やRinaとの交際を反対されたことに不満をもったというものだ。こちらの方面がお盛んな赤西仁なら、さもありなんである。

いずれにしても、グループで活動するタイプではなかったのかもしれない。

しかし、退路を断った点で、「留学」のときと事情は違う。

タレント生命を賭ける覚悟でのぞまなければならないが、赤西仁にその覚悟はできているのだろうか。

赤西仁「留学」による離脱は、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社)に詳しく紹介されている。ファンはぜひご一読いただきたい。


『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社)

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