
三原葉子という女優をご存知だろうか。三原葉子の訃報が話題になっている。1950〜60年代の映画で官能派とされた女優である。大きな賞や、映画史に残る代表作があるわけではないが、なぜか彼女の全盛期を知らない「遅れてきたファン」がネットには多く、「三原葉子」で検索するといろいろなページが出てくる。
『日刊ゲンダイ』(2016年2月22日付)に連載されている、映画ジャーナリスト・大高宏雄氏の読み物に、三原葉子の訃報が取り上げられた。

大高宏雄氏によると、ネットでは、「最近死去の報が流れ、話題になっていた」とされているが、wikiには、2013年に亡くなったとされているので、亡くなってからかなり時間がたって、訃報が明らかになったということだろう。
しかし、ヘアヌード当たり前の現在、なぜ、50年も前に活躍した「セクシー女優」のファンが多いのだろうか。
ひとつは、三原葉子が、肉感派女優としての先駆者的な立場だったからだろう。
当時は、ラブシーンもそれほど多くなく、体を売り物にするのは、かなり勇気がいったのではないだろうか。
もうひとつは、三原葉子の肉体が、次代のニーズにマッチしていたのだろう。
今は、ボン・キュッ・ボンなどといって、細くするところは細くしながら、一方で胸だけは異常に大きな「グラドル」がもてはやされる。
まれに、樽ドルなどという売り方もあるが、ただ太っている、というだけのキワモノである。
人工的でない、しかもドキドキするようなグラマラスな体躯というのは、なかなかお目にかかれない。
それは、1967年にツィッギーが来日して以来、我が国の女性にはスマート志向があるからだ。
しかし、それは本来、「スウィンギング・ロンドン」という欧米の体型を前提としたひとつの価値観であり、日本人に必ずしも合うわけではない。
しかも、その欧米ですら、「スウィンギング・ロンドン」以前は、マリリン・モンローのような、膨よかな胸、腹、尻、そして白い肌を備えた体がもてはやされた。
三原葉子は、まさにその体だったわけである。
思えば、リンゴを持ったヌードの麻田奈美にしても、決して「ボン・キュッ・ボン」でも「スウィンギング・ロンドン」でもない。
かといって、「樽ドル」のようなだらしなさでもない。
日本人が従来から好んできた、健やかなふくよかさに魅力を感じているのだろう。
豊満な肉体を出し惜しみしない、その思いきりのよさに悩殺され、にじみ出る女の悲しさにもジーンときた。
ずいぶんとそそる表現である。
もっとも、三原葉子が惜しげもなく体を魅せていたのは、1950年代後半の新東宝であり、三十路に入った60年代以降は、フリーになって東映などで仕事をしているが、露出を控えている。
その意味で、三原葉子の全盛期の作品は、そのまま「お宝」ということになるのだろう。
たとえば、筆者が観た三原葉子は、1960年代の東宝を支えた喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前温泉』(1962年)だった。
伴淳三郎が経営する温泉旅館で、客の背中を流す女性として出演していた。
ただし、露出はワンピース水着で、かなり控えめだった。

『喜劇駅前温泉』より
この時点で三原葉子は29歳であるから、当時で考えると、もう「おばさん」の域に入っており、全盛期は過ぎたと自他ともに考えたのかもしれない。
続く、喜劇駅前シリーズの『喜劇駅前飯店』(1963年)に至っては、何と普通に洋服を着た役になってしまっていた。
それにしても、大きな賞や、映画史に残る代表作があるわけでもないのに、「遅れてきたファン」がネットにはたくさんいるというのは、女優冥利につきるのではないだろうか。

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