渡瀬恒彦の訃報、大原麗子と渡哲也は生涯のライバルだった!?

渡瀬恒彦の訃報、大原麗子と渡哲也は生涯のライバルだった!?
渡瀬恒彦が3月14日に亡くなっていたことが報じられ、話題になっている。テレビドラマで人気シリーズに出演してきたが、もとは東映の俳優だった。当時は大原麗子との別居結婚が話題となり、また一時はその東映とも契約していた渡哲也の弟としても注目された。

渡哲也のコメントは悲痛であった。

当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いました、この喪失感は何とも言葉になりません。幼少期より今日に到るまでの二人の生い立や、同じ俳優として過ごした日々が思い返されその情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです

肉親を亡くした人なら、誰でも思い当たることが述べられたものである。

渡哲也と渡瀬恒彦は、それほどいい兄弟だった。

そしてたぶん、兄を尊敬していた。

だから、渡瀬恒彦にとって渡哲也は、信頼できる兄だからこそのヤンチャな弟だった。

渡哲也が青山学院に入れば、渡瀬恒彦は早稲田に入った。

渡哲也が空手部に入れば、渡瀬恒彦も空手部に入り、いわゆるガチの喧嘩も強かったと言われる。

渡哲也が日活入りすると、渡瀬恒彦はサラリーマンを経て東映に入った。

兄に負けたくない、という弟の複雑な胸中が伺えるデリケートな進路選択である。

同じ俳優業でも、事務所も違い、共演もしなかった。

これが、仲の悪い兄弟ならわかるが、2人はそうではなかったのにしなかった。

兄に負けたくないという気持ちが、芸能界入り後にも垣間見える。

兄の渡哲也に対しては、対抗意識も隠さなかった。

古舘伊知郎のトーク番組に出演した時には、学校時代は自分のほうが兄よりも成績が良かった、兄とは何をやっても負けない(空手か?)ことを強調した。

2011年12月放送の特別ドラマ『帰郷』(TBS系)でやっと共演した時、こんなことも言っていた。

「僕から見たら、兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていただろうなと。兄貴は下手ですね」(2011年11月10日、スポニチアネックス)

もちろん、これは兄が役者として存在感があることをツンデレ表現したものだが、いずれにしても、自分にとって問題にならない人物なら、わざわざ意識して比較したり、ネガティブな論評をしたりする必要はない。

それはとりもなおさず、渡瀬恒彦は、渡哲也を尊敬するからこそ、負けたくないと思っていのたである。

世間は、渡哲也を渡瀬恒彦より上と見ているに違いない、という負けん気とコンプレックス、そして弟の気楽さの入り混じった感情は、男の兄弟なら大いにわかる。

格差婚が30年で逆転……

一方、大原麗子とはどうだったか。

大原麗子と結婚した頃は、まだ渡瀬恒彦は芸能界入りして間もなく、東映京都で脇役を中心に演じていた。

一方、大原麗子はテレビドラマのヒロインとして引っ張りだこであった。

2人は別居婚であり、今風に言えば、格差婚といっても良かった。

だから、当時の芸能マスコミは、興味本位で2人の危機説を流した。

まあ、結果的に2人は離婚したが、芸能マスコミの「先行報道」が影響しなかったと言ったら嘘になるだろう。

問題は、その際、「渡瀬恒彦・大原麗子夫妻」ではなく、「大原麗子・渡瀬恒彦夫妻」と報じられたことである。

大原麗子が「渡瀬恒彦の妻」でなく、渡瀬恒彦が「大原麗子の夫」扱いなのである。

2人で歩いていても、大原麗子にばかりサインの求めが集中すれば、嫌でも「格差」を実感するだろう。

つまり、渡瀬恒彦とすれば、渡哲也とは違う意味で、大原麗子を意識せざるを得なかった。

渡哲也は人生のライバルであり、大原麗子は役者としての目標だったのかもしれない。

時は30年たち、テレビドラマで実績を積み重ね役者として絶頂期を迎えた渡瀬恒彦は、『十津川警部シリーズ』という主演ドラマで、すでに過去の人になっていた大原麗子にオファーした。

離婚した妻との共演を希望するなんておかしな話かもしれないが、自分がここまでこれた、かつての目標と共演したかったのだ。

格差婚だった大原麗子に、追いつけ追い越せでやって来て、やっと自分の主演にゲストで呼べるところまで来た。

まさに、渡瀬恒彦にとっては、俳優人生のハイライトだったかもしれない。

しかし、大原麗子にとっては、彼我の差を実感することとなり、彼女にとっては事実上の引退仕事になってしまった。

渡瀬恒彦の人生を振り返ると、共演で締めた渡哲也、大原麗子は、生涯のライバルであったと思われるのだ。

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