ちあきなおみがトレンドキーワード急上昇である。どうしてかと思ったら、9月17日は誕生日である。今や。ビルの家賃収入で暮らし歌手は引退状態だが、いまもちあきなおみの復活を待つ人は多い。彼女のピークといえば。『喝采』が『瀬戸の花嫁』を逆転してレコード大賞を受賞したときだろう。
ちあきなおみが、『喝采』で第14回日本レコード大賞を受賞したのは1972年。
ちあきなおみの亡くなった婚約者を歌にした、などというギミックで90万枚売り上げたが、実はフィクションだった。
今なら、ネットで叩かれるだろうか。
9月17日はちあきなおみさんの誕生日。活動停止して、はや四半世紀。
今なお復活の声は高いです。
けさの一曲で「喝采」を取り上げましたが、POPなこの曲も大好きです。 pic.twitter.com/78MKLh7RLm— オダブツのジョー (@odanii0414) 2017年9月17日
それはともかくとして、『喝采』がリリースされたのが、その年の9月。
すでにその年は、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』がヒットしており、レコード大賞は小柳ルミ子で決まり、と思われていた。
ところが、ちあきなおみの『喝采』が、「世紀の番狂わせ」で大賞を獲得したことはレコード大賞史上に残る大番狂わせである。
ちあきなおみの『喝采』が受賞した真相
『アサヒ芸能』(2013年12.5特大号)には、こう書かれている。
ちあきが所属した「日本コロムビア」は、この年、当時のレコード売上げを更新する「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)も出していたが、賞レースに関しては「喝采」に一本化。事務所の規模ではルミ子の「渡辺プロ」に対し、めぼしい歌手がちあきしかいない「三芳プロ」では勝負にならない。ただし、老舗のコロムビアと新興の「ワーナー・パイオニア」というレコード会社の争いなら、ちあきの側に分がある。
情勢が刻一刻と変化してゆくのを、ルミ子の詞を書いた山上(路夫←引用者注)は感じていた。
「今年のレコード大賞は確実です」
秋口には塩崎ディレクターから聞かされていたが、暮れが近づくと一変する。
「ガミさん、あきらめてください。相手はコロムビアで一丸となっていますから、かないません」(中略)
「私は絶対に『瀬戸の花嫁』が大賞だと確信していたんです」(小柳ルミ子)
レコ大の会場では、歌い終えた候補者は客席に座ってスタッフと結果を待つ。番組が始まって間もなく、旧知の審査員がこんなことを耳打ちしてきた。
「ルミちゃんは『歌謡大賞』を取ったからいいよね」
にこやかな物言いながら、それは非情の宣告であった。すでに〝勲章″を手にしているから、レコード大賞を逃しても大丈夫だろうというニュアンスだ。
「そう聞いた瞬間、私はショックで腰が抜けるかと思いました。だって、これから発表なのに……」
1972年レコード大賞といえば、ちなきなおみの「喝采」と小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌姫対決だった。
ちあきなおみの日本コロンビアには、ぴんからトリオの『女のみち』という記録的なヒットがすでにあり、ちあきなおみの「喝采」はその年の9月にリリースされたばかり。
一方相手の小柳ルミ子は、当時「帝国」とまでいわれた老舗のナベプロで、しかも『瀬戸の花嫁』は国民的ヒット。
それなのになぜ、ちあきなおみが勝ったのか。
ちあきなおみ / 喝采《live》(1972年)https://t.co/BuZkvaWqQd#瀬川三恵子(本名)#誕生日 pic.twitter.com/08jaLOtEu4
— ジャー (@punk_rock_uk_jp) 2017年9月17日
歌もいい、歌手もうまい、そして、冒頭に書いたようなフィクションも大きな力になったのだろう。
ちあきなおみは、当時から独特の色気があった。
夫の郷鍈治が亡くなったら、引退して絶対に出てこないのは、惜しいけれどもその価値を守っているのかもしれない。
家庭に入ることを望んだ山口百恵とは引退の意味が違うし、おそらくちあきなおみのカムバックはないのだろうと思われる。
郷鍈治は、晩年俳優を廃業して、ちあきなおみのマネージャーに専念していたそうだが、ちあきなおみが望んだことを郷鍈治が受けいれた、というふうに私は思っている。
いずれにしても、ちあきなおみがそこまで惚れた郷鍈治とはどんな人物なのだろう、という興味も湧いてくる。
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