『積木くずし 最終章』あまりに悲しい積み木の真相

『積木くずし 最終章』(穂積隆信著、駒草出版)は、タイトル通り『積木くずし』を完結させる書籍ですが、あまりに悲しい積み木の真相でした。その感想については様々ありますが、いずれにしても非常に思い結末でした。

積木くずし 最終章、は、すでにネットではずいぶんいろいろな方がブログで取り上げていて、30年前に発表された「前作」や著者、穂積隆信の人格まで含めた論評が盛んです。
私も読んでみよう、読んでみようと思いながら、この時期までずれ込んでしまいました。
で、読んでみて、やや新鮮味に欠けるかもしれませんが、いまさら書いてみたくなりました。
これから読まれる方は、この記事はネタバレとなるので、その点はご了承ください。
50代以上の人なら、穂積隆信という人が巧い役者であるという認識で一致するのではないでしょうか。
『男はつらいよ』の博の兄を演じているあたりまではクールな役が多かったのですが、『飛び出せ!青春』で、髪を振り乱し、声を裏返して騒ぐ江川教頭を演じて以来、漫画チックな役もずいぶんこなすようになりました。
70年代の、1時間2クール単位によるドラマを各局が量産していた頃は、レギュラーとして、またゲストとして引っ張りだこでした。
それが80年代になり、番組編成が2時間ドラマやバラエティなどにかわり、俳優の仕事が落ち着いてきた頃、穂積隆信は、『積み木くずし~親と子の200日戦争』『続・積み木くずし』『積み木くずし崩壊 そして…』と、立て続けに自分の家庭の苦悩と崩壊を告白。
書籍は300万部を超えるベストセラーになり、テレビドラマ化もされました。
ただ、一方で、自分の家族を暴露するとはけしからん、という意見もすでに当時からありました。
それまでにも、俳優が週刊誌や月刊誌で、自分の異性遍歴を告白することはありましたが、業界全体や他人を主体とした暴露というのは、82年の『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(江本孟紀著、KKベストセラーズ)からではないでしょうか。
以来、穂積隆信、ダン池田、長門裕之、中谷良、北公次、そして、郷ひろみと二谷友里恵さんの泥仕合と、暴露ものは次々登場しました。
ジャーナリズムは、「暴くもの」です。
真実を明らかにするために、外からは見えなくされている世界の扉をこじ開けなければなりません。
暴露は真実にアプローチするために否定してはなりません。
ただし、郷ひろみと二谷友里恵さんのような、公益性の感じられない暴露合戦は、言論を「私闘」に貶めた点でまったく賛成できない行為だと思いました。
結局『積木くずし』はどうだったのか
では、穂積隆信の場合はどうだったのでしょうか。
今回の『積木くずし 最終章』は、文字通りこれまでの話に決着をつける最終章、レビューブログの中には穂積隆信の年齢を考えると事実上の「遺作」という人もいます。
内容は、娘・由香里が「不良少女」となり、そこからいったんは立ち直るが、皮肉にも書籍のヒットで穂積隆信が講演で全国を走り回る生活になり再び覚醒剤生活へ転落。
そして、妻も娘も亡くなり、再婚した新しい妻も脳梗塞で倒れる。
そして、今回の『積木くずし 最終章』の「目玉」は、実は娘・由香里は、亡くなった前の妻が借金取りとの間に作った不倫の子だった、というものです。
そして、妻と借金取りによって財産はすべて持ち逃げされ、穂積隆信には借金だけが残ったといいます。
「積木」は結婚生活の当初から崩れていた。
だが、車椅子生活である今の妻との生活でやっと人間らしさを取り戻した、という流れです。
というより、そもそも積み木自体が幻想だった、ということかもしれません。
私は以前、穂積隆信という人を誤解していました。
本が売れて有頂天になり、家庭を顧みなかったから自業自得ではないか。
自分の責任でグレた子供を一時的に立ち直らせただけで、教育問題の講演などおこがましいのではないか、などと思ったこともありました。
しかし、この『最終章』を読んで、知りもしないで決め付ける自分はなんと浅はかな人間かと反省しました。
中には、前妻の悪事や、由香里が不倫の子というのは、穂積隆信の作り話だと決め付ける人もいます。
その人たちに問いたいが、どうして、でたらめだといえるのでしょうか。
たぶんその人は、他人に寛容であるがゆえに他人にだまされ、翻弄されるという生き方が理解できないのではないか。
だから、そんなことありえないだろう、と頭から思ってしまうのではないでしょうか。
私はそうは思いませんでした。
前妻の娘に対する「遺書」の一言一句が真実かどうかはわかりません。
しかし、少なくとも、今回の「最終章」は、30年前に書かれた前3著の続き、もしくはあいまいに書かれていたことを明確にする、という点においてつじつまが合っていたから、信用に値すると思いました。
養成所時代をともにした愛川欣也が言うように、穂積隆信は、少しおっちょこちょいで人がよすぎるのではないでしょうか。
そして、世間知らずの役者バカでもあるのだろうとおもいます。
母親の代から、愛人を職業とする女性がロケ先にいた。
きれいだというだけで、当時から男がいたその人を好きになり、1ヵ月後にその人が手紙をよこしたからといって、ろくに知らないまま結婚してしまった。
一般論としても、それははやまった結婚でしょう。
でも、そういう結婚で人生を棒に振っている人は、おそらくこの世の中にたくさんいるだろうとおもいます。
不運な人、不幸な人というのは、自分からそういう道を選んでいるのかもしれない、ということを私は穂積隆信の生き様を読んで感じました。
それは不作為や不心得からではなく、人がよすぎるため、というところがなんとも哀しい。
「積木くずし」は、別に教育問題を語っているわけではないし、穂積隆信にとっては明かすことが不都合なことも含まれています。
たんに、穂積隆信が自分の人生を自分の考えに基づいて綴った。それだけのものです。
出来事は、基本的に世の中にさらすことで社会に還元されます。
「暴露」の善し悪しはいちがいにいえません。
当事者の価値判断に任せるしかないでしょう。
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積木くずし 最終章
この記事へのコメント
話題になりましたね。
色々な家庭、家族がいて、回りには理解されない関係、繋がりで成り立っているってありますよね。良い、、悪いじゃなくて、それが現実で、それがそれぞれの人生。
他の人に理解されなくても、ご本人自身がそれを振り返り、受け止め、受け入れ終われたって事は、それはそれで素晴らしい事だと私は思います。
そうですね。配役もピッタリでしたが、
高部知子事件だけは残念でした。
まったく仰るとおりです。
本の感想として、穂積一家、とりわけ
穂積隆信氏についていろいろ
論評というか揶揄もありましたが、
私は、それは違うのではないかと思うんですね。
人にはそれぞれ事情があるわけで、
その事情をどう克服したか
そのうえでどう生きたかを
読むべきではないかと思いました。