「いじめ」を絶対にしていないと言いきれますか
今日は、マスコミの話は1日お休みして、最近のニュースに対して感じたことを書いてみます。
私は40歳を過ぎてから2人の息子が生まれたので、「高齢出産」とか「育児」といったキーワードのニュースや、それを話題にしたネット掲示板のスレッドなど、ついつい気になって目を通すことが多いのですが、最近のネット掲示板における、汚い言葉を使った否定的な書き込みにイヤになることがあります。たとえば、先日は「坂上みきの53歳妊娠」というニュースがありました。
すると、お約束のように「羊水」がどうの、生まれてくる子どもは染色体に異常があるに違いないだの、不妊治療の詮索だの、かまびすしい。
読んでいて思わず「ほっとけよ」と、声を荒げたくなります。
高齢出産のリスクは本人が一番よくわかっているし、またコメントからも十分それを感じます。
妊娠の一般論として、高齢出産のリスクを案じるならいいですが、
実際に妊娠をした、その人のニュースに対して、「生まれてくる子どもがかわいそう」という書き方はないでしょう。坂上みきに対しても、胎児に対してもあまりにも失礼です。
「おめでとう。無事出産できるといいね」。
これで十分ではないでしょうか。
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普通ならそれ以上でもそれ以下でもないはずです。
いっちゃなんですが、生むのは坂上みきで、私たちじゃないですから……。
なのに、第三者がいったい、何をムキになっているのでしょうか。
そうかと思うと、障がい児が普通学級に入るというニュースに対しては、まるで親権者が鬼や悪魔のような糾弾書き込みをされました。
「普通学級に迷惑かけるな」という露骨な拒絶感は、むしろ正直なだけ「よりまし」で、中には、どこぞの言説をひいて「それは虐待だ」などとさかしらな論評する。
私は火災を経験し、その際の報道でひどい目にあったので確信を持っていえますが、
たかが数行のニュースから、その出来事固有の事情など、絶対にわかりません。
なのに、「虐待」といえるケースかどうかなんてなぜわかるのでしょうか。
おそらくその決定までには、自治体の教育担当セクション、受け入れの学校、親権者、さらには主治医など医療従事者がかなり時間をかけた話し合いを行っているはずです。
そして、四者の結論として「普通学級でやってみましょう」ということになったのです。
事情も知らない第三者なら、「そういうケースもあるのか」としかいいようがないではありませんか。
たしかに障がいの度合いによっては、普通学級に籍を置くことが望ましくないと判断せざるを得ないことはありますし、そうした指摘自体を否定しているわけではありません。
ただ少なくともいえることは、親権者がひとりよがりの要求を出して、一方的に決まるということはないわけです。
事情も知らないくせに親権者だけを叩くのは、事実に即さない論評であるだけでなく、四者の話し合いを愚弄することにもなっているのです。
前者の高齢出産については、遥洋子という人が、女性文化人の中ではめずらしく、「心が爆破」という表現で、嫉妬があることをあるメディアで寄稿していました。
それ自体、びっくりするほど素直で、私は遥洋子にむしろ好感を抱きましたが、ただ、上記二つのニュースに対する「悪意書き込み」の本質は、もう少し違うところにあるように思います。
要するにそれらのコメントには、「『異端』をターゲットにした排除の精神」があるのではないでしょうか。
少数派や「普通」と違うものを、なんだかんだと理屈をつけて否定する。
要するに、それは、いじめと同じメンタリティではないでしょうか。
最近は大津のいじめ事件で盛り上がり、多くの人は義憤を建前に、加害者側を手厳しく論評しています。
それはその限りで間違いではないと思いますが、では翻って、その義憤に駆られた人々は他のケースでも自分はいじめを絶対にしていないと言い切れるのでしょうか。
繰り返しますが、高齢出産や障がい者教育について、何でもかんでも事態を無批判に受け入れろといっているわけではありません。
ただ、何を尊重し、何を懸念するのか、それらをきちんと区別した冷静な議論をする気があれば、人としての尊厳を傷つけるような悪意の書き込みは出てこないはずだと私は思うのです。
私は40歳を過ぎてから2人の息子が生まれたので、「高齢出産」とか「育児」といったキーワードのニュースや、それを話題にしたネット掲示板のスレッドなど、ついつい気になって目を通すことが多いのですが、最近のネット掲示板における、汚い言葉を使った否定的な書き込みにイヤになることがあります。たとえば、先日は「坂上みきの53歳妊娠」というニュースがありました。
すると、お約束のように「羊水」がどうの、生まれてくる子どもは染色体に異常があるに違いないだの、不妊治療の詮索だの、かまびすしい。
読んでいて思わず「ほっとけよ」と、声を荒げたくなります。
高齢出産のリスクは本人が一番よくわかっているし、またコメントからも十分それを感じます。
妊娠の一般論として、高齢出産のリスクを案じるならいいですが、
実際に妊娠をした、その人のニュースに対して、「生まれてくる子どもがかわいそう」という書き方はないでしょう。坂上みきに対しても、胎児に対してもあまりにも失礼です。
「おめでとう。無事出産できるといいね」。
これで十分ではないでしょうか。
普通ならそれ以上でもそれ以下でもないはずです。
いっちゃなんですが、生むのは坂上みきで、私たちじゃないですから……。
なのに、第三者がいったい、何をムキになっているのでしょうか。
そうかと思うと、障がい児が普通学級に入るというニュースに対しては、まるで親権者が鬼や悪魔のような糾弾書き込みをされました。
「普通学級に迷惑かけるな」という露骨な拒絶感は、むしろ正直なだけ「よりまし」で、中には、どこぞの言説をひいて「それは虐待だ」などとさかしらな論評する。
私は火災を経験し、その際の報道でひどい目にあったので確信を持っていえますが、
たかが数行のニュースから、その出来事固有の事情など、絶対にわかりません。
なのに、「虐待」といえるケースかどうかなんてなぜわかるのでしょうか。
おそらくその決定までには、自治体の教育担当セクション、受け入れの学校、親権者、さらには主治医など医療従事者がかなり時間をかけた話し合いを行っているはずです。
そして、四者の結論として「普通学級でやってみましょう」ということになったのです。
事情も知らない第三者なら、「そういうケースもあるのか」としかいいようがないではありませんか。
たしかに障がいの度合いによっては、普通学級に籍を置くことが望ましくないと判断せざるを得ないことはありますし、そうした指摘自体を否定しているわけではありません。
ただ少なくともいえることは、親権者がひとりよがりの要求を出して、一方的に決まるということはないわけです。
事情も知らないくせに親権者だけを叩くのは、事実に即さない論評であるだけでなく、四者の話し合いを愚弄することにもなっているのです。
前者の高齢出産については、遥洋子という人が、女性文化人の中ではめずらしく、「心が爆破」という表現で、嫉妬があることをあるメディアで寄稿していました。
それ自体、びっくりするほど素直で、私は遥洋子にむしろ好感を抱きましたが、ただ、上記二つのニュースに対する「悪意書き込み」の本質は、もう少し違うところにあるように思います。
要するにそれらのコメントには、「『異端』をターゲットにした排除の精神」があるのではないでしょうか。
少数派や「普通」と違うものを、なんだかんだと理屈をつけて否定する。
要するに、それは、いじめと同じメンタリティではないでしょうか。
最近は大津のいじめ事件で盛り上がり、多くの人は義憤を建前に、加害者側を手厳しく論評しています。
それはその限りで間違いではないと思いますが、では翻って、その義憤に駆られた人々は他のケースでも自分はいじめを絶対にしていないと言い切れるのでしょうか。
繰り返しますが、高齢出産や障がい者教育について、何でもかんでも事態を無批判に受け入れろといっているわけではありません。
ただ、何を尊重し、何を懸念するのか、それらをきちんと区別した冷静な議論をする気があれば、人としての尊厳を傷つけるような悪意の書き込みは出てこないはずだと私は思うのです。
この記事へのコメント
大人の社会が深く関わっているように思います
ます 大人の社会が幸せでなくては
特別支援教育について
まだ偏見を持っている人がいることを 悲しく思います
しんどくなって来るはず・・・・
もっと前向きになって・・・・人の生き方を認めて、お互いに認めえる関係の良さを知って欲しいなあ〜〜♪
多分・・・批判しかウケて来なかったのか・
自分のことも認められないような環境だっかのかもね・・
自分だけでも・・・そうはならないようにいしよう〜〜!って・・・思います。^^
自分も子供たちには、人の気持ちになって考えるという事は大切だよって言っています。 また寄ってくださいね。
Yahooの書き込みでも思いますが
無責任な書き込みは不快になります。
寛容の心がないんでしょうね。
ま 今は全然平気ですが^^
生まれてきた存在(母が37歳の時)であり、
中学生の時にもイジメに近い体験も受けた事が
ありますので、両方の話題共に気になってしまいます。
インターネットが発達した現社会では、個々人が
好き勝手な事を書けるようになりましたが、
とにかくガタガタいう人達に対しては、
人の事を語る暇があるなら、自分の事をしっかりしろ
と言いたくなりますね。。。
あまりにも自分に対して責任を持っている人間が少なすぎますね。
私自身もそうです。
そうですね、やっぱり匿名が問題ですね
そうですね、ぎすぎすしたコメントを書くのは
書いている人が不幸せなんでしょうね
そうですね、その人の問題なんですけどね
悲しいことですよね
おっしゃるとおりです。私も記事を書くときに
十分心したいと思います。
そうですね。人の生き方とか価値観というのは
何よりも尊重されるべきところだと思うので、
結構匿名掲示板の書き方は「きついなあ」と思うことがあります。
私も他人の書き込みに文句を言うだけでなく
自分の書き方も気をつけたいと思います。
匿名の書き捨てというのは、
ガス抜きに軽い気持ちで書いているのかもしれませんが、
乱暴な言葉や、人を貶める書き方をしていると
その人も心がすさんでくるのではないかと思っています
そうなんですか。
でもそれが今の個性的なブログになっているわけですね。
つまらない書き込みに失望していないで
したたかに生きなければいけませんね
親の年齢がいじめにつながるのですか。
本来いじめは、いわれなきものですが
その代表格のような口実ですね
私もこれから気をつけなければなりません。
ああ、そういうものなんですか。
私も偉そうなことを書いていて、一方では
弱いものいじめをしているかもしれません。
十分に気をつけたいと思います。
少数派に対する厳しい対応には、本当に当事者ならびに御家族の方は、ご苦労なさっています。家族間の中でさえそうなんです!
他者を受け入れる、自分と違った価値観を受け入れる、受け入れるのは無理でも、自分だったら・・・と想像を膨らまし排除しない、いじめない成熟した社会に少しでも近づいて行って貰いたいと願っています。
私も偉そうなこと書いていますが、
人間は間違いうる存在ですから、心していても
どこかでそのような誤りをおかしているかもしれません。
これからも気をつけたいと思っています。