金一・大木金太郎、“元祖韓流スター”の真実

戦後史上、わが国にとっての大きな国際的課題のひとつが南北朝鮮問題。最近は竹島が話題にならない日はありません。その影響で“韓流ドラマ”が放送延期になったり、K-POPの衰退が予想されたりしていますが、日本で仕事をしている韓国人の芸能人は、露骨な反日発言は論外としても、「日本は思っていた国とは全然違った。マナ-もいいし日本が好きになった」というような、一見ほめているようで、実は反日教育を刷り込まれていることがわかる発言をすることがあり、がっかりさせられます。
ところで、元祖「韓流スター」ってご存知ですか。
今は21世紀ですが、まだ日韓条約が締結される前の60年代前半に、すでに「韓流スター」であったと自称する人がいました。
それは金一(キム・イル)、日本のリングネームを大木金太郎(1929年2月24日-2006年10月26日)というプロレスラーです。
昔の「韓流スター」と、今の「韓流スター」を比べたくて、金一の自伝「自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王」(講談社)を読み直してみました。
「自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王」は、韓国のメディアで連載されていたものを日韓両国で発売しました。そんな事情があったからか、金一時代の話ばかりで、大木金太郎としての話はあまり書かれておらず、その点で昭和プロレスファンの私はいささか物足りなさが残ります。
ただし、今昔の「韓流スター」比較という所期の目的は、同書でもある程度達成できました。
金一・大木金太郎は1959年に力道山率いる日本プロレスに入団。63年にアメリカに遠征し、65年以降は韓国と日本のリングで活躍しました。
ネット掲示板では、大木金太郎のことを在日の人とする書き込みもありますが、それは間違いです。
金一は韓国生まれで、若手の合宿所住まいだった一時期以外は韓国に居住していたので、純然たる韓国人です。
そして、力道山と違い、日本人でないことを終始一貫、隠すことはしませんでした。
金一・大木金太郎は、悪役と組んで外国陣営で戦うこともありましたし、体力が落ちてきた選手生活の晩年は急所うちなど、セコイ反則まで使うようになりましたが、最後まで反日というギミックは使いませんでした。
日本人レスラーが、アメリカにおいては必ずといっていいほど田吾作スタイルで、反米ギミックを煽って悪党人気で食っていたのとは偉い違いです。
そして、古いファンの方はご存知と思いますが、大変達筆で、戦前の生まれですから日本語の読み書きも問題なし。人生の晩年は韓国の病院に入院していましたが、日本人のファンがサインを求めると「日本は今、平成○年でしたっけ」と確認したうえで、日本の元号を添えていました。
それを韓国人の日本への「同化」や迎合と憤慨する人もいるかもしれませんが、韓国で国民勲章を受章している英雄、金一が同化するわけはなく、日本人におもねたわけでもありません。
日本人に対して日本の文化に合わせた対応をするというのは、人として当たり前のことではないでしょうか。
大木金太郎は日本プロレス時代、韓国との掛け持ち、つまり客分であったにもかかわらず、ジャイアント馬場、アントニオ猪木に次ぐナンバー3となり、2人が抜けたあとは、インターナショナルチャンピオンに君臨しました。
日本を拠点としない外国人レスラーが、10年以上もトップレスラーとして君臨できたのは、日外対抗の路線をとってきた60~70年代のプロレスとしては異例のことで、しかも、広告代理店が仕掛けたといわれる昨今の韓流ブームとは違い、当時韓国人レスラーが全国区的な知名度を持つスターレスラーになるということは、本人にファンの心を打つ強烈な何かがなければありえないことでした。
一部の韓国人俳優の挑発的な発言を聞くと、国際化・メルティングポット(人種の坩堝)の21世紀といわれていながら、実は40年以上も前の「元祖韓流スター」のふるまいよりも後退しているのではないか、そんなふうに感じられてなりません。

自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王 (講談社プラスアルファ文庫)
- 作者: 大木 金太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/02/22
- メディア: 文庫
この記事へのコメント
活躍されたのですね。
大木金太郎、力道山・・・懐かしいですね。
子供の頃、プロレスごっこで良く遊びました・・・
鉄人ルーテーズが好きでしたね〜
勿論、力道山が一番でしたが・・・
大木金太郎、懐かしいですね。得意技は頭突きでしたね。
韓国人でプロレスってなんか意外です
筋金入りのプロレスファンの私としては知らないわけがないです(^^;)
お~ 大木金太郎ですか~
本のサブタイトルも興味そそられます。
大木金太郎”セメント最強節”なんてのもありましたねえ。
プロレスはあまり明るくないので、存じ上げませんでしたが、昔から居られたのですね!勉強になりました(^^)v
彼は正義の味方、ヒーローでした。頭突きで相手をギブアップさせたのは、彼ぐらいでしょう。
今の朝鮮人は、捏造教育のお陰で出来が悪すぎるのです。併合時代を知る人達は、日本の正しさを理解していた人は多かったと思います。
馬場、猪木に次ぐナンバー3でがんばっていましたね
今だとプロレスファンでも知らない人がいるかもしれません。
私は力道山の世代ではないのですが
1度力道山の試合を生で見たかったですね。
そうですね。頭突き一本でチャンピオンになりましたね。
ほぼ毎週試合テレビマッチには出ていましたね。
韓国では英雄です。勲章ももらっています。
日本では馬場といい猪木といい
プロレスラーがそこまで評価されることはありませんから
やはりすごいですね。
60年代~80年代までずっと活躍していましたからね。
そうですね。ありましたね。
がむしゃらなファイトは、たしかにセメント強そうですよね。
そうですね。大木金太郎の全盛は金曜8時に
中継していた頃ですが
それは「太陽にほえろ」が始まる前の話で、
「太陽にほえろ」自体
伝説の番組になってしまいましたので
もうずいぶん昔の話ですね。
そうですよね。民族の誇りとかは主張しても
今のような、挑発としか言いようのない反日姿勢は
とらなかったですよね。
どうしてそうなってしまったんでしょうね。
大木金太郎・・・後~得意技はキーロックですね。
吉村道明とのアジアタッグのコンビが懐かしい。
晩年は馬場さんとの抗争で悪役のイメージがありますが、全盛期の頃は正統派で外人相手に強かったですよ。実力あったのに馬場&猪木の影に隠れて気の毒でした。
代名詞が一本足頭突き!!。いつだったか?大木金太郎が何を思ったか、やった事もないドロップキックを放ったのですよ。それで足が一本しか上がらなかった。カッコ悪かったのです。でもアナウンサーの方は流石ですね。上手くフォローしてくれました。大木一本足ドロップキック炸裂と放送してたのを思い出しました。徳光アナじゃなくて先輩の清水アナだったかな?