石破茂氏の「宇宙人」話は「変わり者」か?
戦後史上、保守政党としては3度目の下野となった自由民主党。民主党に対する国民の不満が高まり、今度の総選挙で与党に返り咲くと予想されているからか、今回の総裁選は、明らかに民主党の代表選以上のヴォリュームで報じられました。しかし、以前も書いたように、本質的なものが欠けていて、総裁に選出された安倍晋三氏に対して、やれカツカレーがどうしたの、お腹をこわして投げ出しただのとかまびすしい。
「投げ出し」の背景にある当時の政治運営をきちんと検証することが大切なのであり、「お腹をこわして投げ出した」などと書けば、そりゃ、同じ病気の人に対する差別的な表現であるとの批判も当然だと思います。
そして、やはり総裁選で地方票が第1位で、幹事長に就任した石破茂氏については、「女性自身」(http://jisin.jp/news/2556/4838/)が「本人直撃」の記事を書いています。
内容は、石破茂幹事長は「変わり者」というもの。
野党第一党の幹事長・衆議院議員は公人です。メディアでどう評価するかはもちろん「表現の自由」のうちですが、気になるのは、記者の言葉の使い方や見識です。どうも、はじめに「石破茂氏は変わり者だ」という結論があり、強引にその「根拠」を並べているような書き方です。
「変わり者」であることの具体的なエピソードとして、「アイドル通でプラモデル好き、鉄道マニアで料理も得意、多彩な趣味を持ち『オタク』とまで呼ばれる」こと。さらに、他誌から引用して「UFOや宇宙人は『信じる派』」であることも加えています。
揚げ足取りをする気はありませんが、「多趣味」であることが「オタク」であるというつなげ方が私には腑に落ちません。
ウイキによると、「おたくとは何かという定義は確立していない」としながらも、「辞書的には、ある趣味・事物には深い関心を持つ(拘る)が、それ以外の広汎な知識、また社会性・社交性は欠けている人物」と書かれています。
つまり、「多趣味」であることと「オタク」であることは本来、両立しない対極にあるものです。
そして、「社会性・社交性は欠けている」のなら、政治家としては「変わり者」というより、資質に「?」をつけているような失礼な評価です。
「定義は確立していない」としても、いや、それならなおのこと、誤解を招く表現は慎むべきではないでしょうか。
何より問題は、この記者が、レトリックとして意図的に失礼な書き方をしているのではなく、わからないままやってしまっていることです。
「UFOや宇宙人は『信じる派』」というのは、要するに、政治というリアルなものを扱う立場の人が「オカルト肯定派」なのは「変わり者」であるといいたいようなのですが、記者が「信じる派」とする根拠となったのは、このインタビューといいます。
記者は誤解をしていますが、これは決して「変わり者」の発想ではありません。
本職の物理学者・天文学者は、ニュアンスは違うことはあっても同じことを言っているからです。
本職の物理学者・天文学者は、「東京スポーツ」「大阪スポーツ」「九州スポーツ」などにセンセーショナルに掲載されたり、テレビの娯楽番組で騒がれたりする既存の「謎」に対して合理的に否定をしていますが、宇宙を含めた自然界において、科学が解明したことはごくわずかに過ぎないこともわかっています。
地球のような生命体があるのだから、地球人が見つけられないだけで生命体はむしろあると考えるほうが順当である、というのが本職の物理学者・天文学者のオーソドックスな見解でしょう。
そもそも、科学とは「在る」かどうかを証明するものであり、「(存在し)ない」ことを証明することはできません。
ドラえもんも、花かっぱも、作家によってつくられた物語上のキャラクターであり、「在る」ことなどないだろうと思って当然ですが、科学的に言えば「絶対に存在しない」ともいえないのです。
「宇宙人は絶対にいない」と断言してしまったら、それは科学者として最大の自家撞着になってしまうのです。
石破茂氏の宇宙人に対するこだわりは詳しくは知りません。しかし、少なくとも、ここに書かれている石破茂氏の見解は、実は至極合理的な物言いなのです。
といっても、私は、石破茂氏という政治家にはとくにこだわりも幻想もありません。
ただ、おかしなことを言っているわけでもないのに、はじめに「変わり者」というレッテルありきで、安易でなこじつけをする皮相的で不見識な記事が不快なだけです。
そういうムード記事が、ポピュリズムや劇場型といわれる軽薄な政治の温床になっているのではないかと私は危惧しているからです。
地上波のテレビ番組は、寄席にも出たことのない「芸人」のひな壇番組量産ですこぶるつまらなくなりましたが、政治報道もそうした“ひな壇”的な「おばか」が幅を利かせているのは由々しきことです。
「投げ出し」の背景にある当時の政治運営をきちんと検証することが大切なのであり、「お腹をこわして投げ出した」などと書けば、そりゃ、同じ病気の人に対する差別的な表現であるとの批判も当然だと思います。
そして、やはり総裁選で地方票が第1位で、幹事長に就任した石破茂氏については、「女性自身」(http://jisin.jp/news/2556/4838/)が「本人直撃」の記事を書いています。
内容は、石破茂幹事長は「変わり者」というもの。
野党第一党の幹事長・衆議院議員は公人です。メディアでどう評価するかはもちろん「表現の自由」のうちですが、気になるのは、記者の言葉の使い方や見識です。どうも、はじめに「石破茂氏は変わり者だ」という結論があり、強引にその「根拠」を並べているような書き方です。
「変わり者」であることの具体的なエピソードとして、「アイドル通でプラモデル好き、鉄道マニアで料理も得意、多彩な趣味を持ち『オタク』とまで呼ばれる」こと。さらに、他誌から引用して「UFOや宇宙人は『信じる派』」であることも加えています。
揚げ足取りをする気はありませんが、「多趣味」であることが「オタク」であるというつなげ方が私には腑に落ちません。
ウイキによると、「おたくとは何かという定義は確立していない」としながらも、「辞書的には、ある趣味・事物には深い関心を持つ(拘る)が、それ以外の広汎な知識、また社会性・社交性は欠けている人物」と書かれています。
つまり、「多趣味」であることと「オタク」であることは本来、両立しない対極にあるものです。
そして、「社会性・社交性は欠けている」のなら、政治家としては「変わり者」というより、資質に「?」をつけているような失礼な評価です。
「定義は確立していない」としても、いや、それならなおのこと、誤解を招く表現は慎むべきではないでしょうか。
何より問題は、この記者が、レトリックとして意図的に失礼な書き方をしているのではなく、わからないままやってしまっていることです。
「UFOや宇宙人は『信じる派』」というのは、要するに、政治というリアルなものを扱う立場の人が「オカルト肯定派」なのは「変わり者」であるといいたいようなのですが、記者が「信じる派」とする根拠となったのは、このインタビューといいます。
「(宇宙人が)いないっていう証明がないわけでしょ。証明がない以上、いないと断定できない。何億の星があってですよ、地球だけが生命体がいるって思うほうがおかしくないですかね」(『テレビブロス』08年2月2日号)
記者は誤解をしていますが、これは決して「変わり者」の発想ではありません。
本職の物理学者・天文学者は、ニュアンスは違うことはあっても同じことを言っているからです。
本職の物理学者・天文学者は、「東京スポーツ」「大阪スポーツ」「九州スポーツ」などにセンセーショナルに掲載されたり、テレビの娯楽番組で騒がれたりする既存の「謎」に対して合理的に否定をしていますが、宇宙を含めた自然界において、科学が解明したことはごくわずかに過ぎないこともわかっています。
地球のような生命体があるのだから、地球人が見つけられないだけで生命体はむしろあると考えるほうが順当である、というのが本職の物理学者・天文学者のオーソドックスな見解でしょう。
そもそも、科学とは「在る」かどうかを証明するものであり、「(存在し)ない」ことを証明することはできません。
ドラえもんも、花かっぱも、作家によってつくられた物語上のキャラクターであり、「在る」ことなどないだろうと思って当然ですが、科学的に言えば「絶対に存在しない」ともいえないのです。
「宇宙人は絶対にいない」と断言してしまったら、それは科学者として最大の自家撞着になってしまうのです。
石破茂氏の宇宙人に対するこだわりは詳しくは知りません。しかし、少なくとも、ここに書かれている石破茂氏の見解は、実は至極合理的な物言いなのです。
といっても、私は、石破茂氏という政治家にはとくにこだわりも幻想もありません。
ただ、おかしなことを言っているわけでもないのに、はじめに「変わり者」というレッテルありきで、安易でなこじつけをする皮相的で不見識な記事が不快なだけです。
そういうムード記事が、ポピュリズムや劇場型といわれる軽薄な政治の温床になっているのではないかと私は危惧しているからです。
地上波のテレビ番組は、寄席にも出たことのない「芸人」のひな壇番組量産ですこぶるつまらなくなりましたが、政治報道もそうした“ひな壇”的な「おばか」が幅を利かせているのは由々しきことです。
この記事へのコメント
いるわけないから石破氏を変わり者と書いているのです
・・・・てことはないか
石破さんは、「宇宙人がいないことは証明できない」→「宇宙人がいるかも知れない」→「宇宙人から侵略される可能性は否定できない」という論理で、日本の防衛計画の中に「宇宙人による侵略」を盛り込むという提案をしたこともあります。
それ自体は論理的に間違ってはいないと思いますが、「可能性が否定できない」という理由だけで、例えば、超能力者による犯罪の対策をしたり、巨大彗星衝突の対策をしたりしていたら、世の中キリがありません。
「有意な可能性」という観点から言うと、例えば「アメリカから侵略される可能性」の方が高いので、そちらの対策をした方がいいような気がします。それに、「そもそも、宇宙人が何を使ってどういう風に侵略するのかよく分からない」という状況下では、あまり対策のしようもないかと思います。
長文すみません。
親近感を感じます〜
そう書けと言われている事が多いのです。^^;
頭でっかちで難しい言葉ばかり並べてる政治家より感じがいいなぁと女性的な考えなんですけど…(´Д`)
女性自身だし、女の人が読むんだから
レベルはこのぐらいでいいかな~的な感じかな…
馬鹿にされてるのかと思うとがっかりです
売れるような記事を目指すことは当然とは思いますが
わかっていなくて書いている点が問題に思います。
マスコミ関係者には一般人より一段上の見識を持って
いてほしいと感じる今日この頃。