なぜ疑似科学を信じるのか、非合理思考に内在する理性の真実
なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生み出すニセの科学。そのようなタイトルの書籍が化学同人社から出ました。著者は認知心理学者の菊池聡氏(信州大学人文学部准教授)。ご本人から献本していただきました。まずは菊池聡氏にお礼申し上げます。ありがとうございました。疑似科学とは何か。一口に言えば、科学のような装いで科学ではないものです。わかりやすいところでは、「超能力」と称するものや、カルト教団ができると主張する“人知を超えた”技術の解説などがそれにあたります。
要するに、疑似科学をのさばらせておくと、オウム真理教のようなものにひっかかってしまいますよ、霊感商法に騙されますよ、ということです。
では、科学者が真面目に研究しても、仮説が外れたり、昔は定説と思われていたことが、より高次な新説で否定されたりした場合、それも疑似科学でしょうか
そうではないんですね。「科学的に間違っていた」ということと、「疑似科学」は違うのです。
著者の菊池聡氏は、「科学のように見えても『科学』とはいえない方法論やフレームワークに特徴があり、そこから生み出させた自説にしがみつく『信念』」と、疑似科学を定義しています。
地球が太陽の周りを回ることは、現在は当たり前の話ですが、大昔は太陽の方が回っていると思われていました。それ自体は疑似科学ではないのです。が、今、「『科学』とはいえない方法論」で太陽が回ると言い出したら、それは「疑似科学」なわけです。
「なぜ疑似科学を信じるのか」では、疑似科学の特徴や、疑似科学はどういうメカニズムで発生するのか、さらに人間の認知の仕組みなどを解説。
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疑似科学の具体的な例として、血液型性格判断、宏観異常現象(地震の前兆を動物が知っているという説)などをとりあげています。目次をご紹介します。
知られざる秘儀が存在した!という本なら、与太話でも売れるのですが、それは科学的根拠がない、という否定本をまじめに書いても売れません。
このへんがむずかしいところですね。書籍の質や意義と商業的成果がリンクしないのです。
取材費や調査研究費と時間をかけて書いてもビジネスとしては全く見合わないので、問題意識があっても手を出しにくい分野です。
にもかかわらず、こうした本が出るのは、科学的思考、批判的思考が、怪しげな言説に否定されてはならない、人間の理性を守ろうという、出版社や著者の良識と良心のあらわれ、ということはいえると思います。
まあ、大学の先生の場合、学生に買わせることもできるでしょうし、商業的にも採算は取っているのかもしれませんが……。
さて、「なぜ疑似科学を信じるのか」を今回記事にとりあげたのは、献本していただいたから、だけではなく、他の理系学者の書く疑似科学批判本と、根本的に違うところがあるからです。
普通、こうした疑似科学批判本というのは、血液型と性格に相関関係などない、超能力など力学的にありえない、動物が地震を察知するという科学的な証拠は見つかっていないなど、科学の答えを枚挙し、言説者を批判するだけです。
要するに、疑似科学のタネ明かしをするだけなのです。
かつての、大槻義彦氏の宜保愛子さん批判などはその典型です。
しかし、菊池聰氏は、そうではありません。疑似科学の中に存在する、ある種の合理性から、人間の思考や価値判断の全体像を、科学的な評価をすべてとせず、リアルに見つめています。引用します。
これは、科学的「正しさ」を物差しとする物理学者ではなく、人間の心理全体を学問領域とする心理学者だからこそ書ける懐の深さかもしれません。
私もここ数日、このブログにおいて、テーマの違う記事で再三書いていますが、人間の思考判断というのは、必ずしも科学や法律や道徳の通りに結論を出せない場合があります。そこにこそ、人間というものを知るよすがとなるものがあり、科学的に正しくない、だからけしからん、だけでは実は何も解決しないのです。
巷間、手を変え品を変え、いろいろな疑似科学が流行します。それについて、対処療法的に科学的なタネ明かしで完結するだけでなく、なぜ人はその疑似科学に惹かれるのか、ということを心理学、文学、社会学(マスコミ論)、宗教、芸術、教員、ジャーナリストなど、様々な分野の研究者や実務者たちが協働して考えて欲しいと思います。

要するに、疑似科学をのさばらせておくと、オウム真理教のようなものにひっかかってしまいますよ、霊感商法に騙されますよ、ということです。
では、科学者が真面目に研究しても、仮説が外れたり、昔は定説と思われていたことが、より高次な新説で否定されたりした場合、それも疑似科学でしょうか
そうではないんですね。「科学的に間違っていた」ということと、「疑似科学」は違うのです。
著者の菊池聡氏は、「科学のように見えても『科学』とはいえない方法論やフレームワークに特徴があり、そこから生み出させた自説にしがみつく『信念』」と、疑似科学を定義しています。
地球が太陽の周りを回ることは、現在は当たり前の話ですが、大昔は太陽の方が回っていると思われていました。それ自体は疑似科学ではないのです。が、今、「『科学』とはいえない方法論」で太陽が回ると言い出したら、それは「疑似科学」なわけです。
「なぜ疑似科学を信じるのか」では、疑似科学の特徴や、疑似科学はどういうメカニズムで発生するのか、さらに人間の認知の仕組みなどを解説。
疑似科学の具体的な例として、血液型性格判断、宏観異常現象(地震の前兆を動物が知っているという説)などをとりあげています。目次をご紹介します。
はじめにこれまでも物理学者や心理学者などが、こうした学問的解明の本を何冊も上梓しています。が、はっきりいって、この手の本は売れません。
第1章 まずは身近なところから考えよう
疑似科学がもたらす四つの危険/でも、本当に危険なのか?
第2章 疑似科学とはいったいなんだろうか
疑似科学、ニセ科学、病的科学/疑似科学の方法論とフレームワーク/疑似科学を見分ける規準――反証可能性/反証できない理論と、反証を拒否する態度/アドホック仮説の活用/科学と疑似科学を分けるもの
第3章 疑似科学を特徴づけるもの
科学の「系統的懐疑」につきあわない/制度を拒否するか、抜け道を探すか/現代の科学は不十分だから、相手にしない/科学の目的をずらして相対化する/論理的におかしな考え方――否定できないことへのアピール/立証責任を転嫁してしまう/立証責任を問うようになった/発見の文脈と正当化の文脈をずらす/説明項と被説明項の取り違え
第4章 科学的という「錯覚」
疑似科学の発生――雨乞いの科学/人は幻の相関を見つけだすようにできている/体験が強化する「思い込み」――確証バイアス/自説に都合のよいデータを確証的に集める/反証不能性をサポートする確証バイアス/疑似科学に陥りやすい「確率論的科学」/観察が信念を支え、信念が観察を支配する/そもそも錯覚や認知バイアスはなぜ起こるのか?/疑似科学は、人の自然に忠実な科学/人にやさしくない「科学」/人間らしい科学、疑似科学
第5章 心理学がとらえた疑似科学
自己正当化する信念――認知的不協和理論/予言がハズレたとき何が起こったか/疑似科学は「認められない」がゆえに情熱をかきたてられる/認知的不協和とマインドコントロール/「ランダム性」の心理学――人は偶然が苦手/ランダムの中に何かを見つける/ランダムをコントロールできるという錯覚/統計的回帰の錯誤/あいまいさを嫌う心理が疑似科学へとつながる?
第6章 血液型性格学という疑似科学
血液型気質研究は科学として生まれた/血液型性格学が疑似科学である理由/「血液型性格学」が誤りであることと、血液型性格研究の違い/なぜ血液型性格学を信用するのか/血液型性格学を支える認知バイアス/血液型性格学に見られる疑似科学的方法論/血液型性格学で心理学と調査リテラシーを学ぶ/現実には何が問題なのか?
第7章 宏観異常現象による大地震の直前予知
宏観異常現象とは何か/素朴な宏観異常研究に見られる認知バイアス/宏観異常現象を適切に評価するためには/地震が起こらなかった時、異常はどれくらい観察されるのか/説明メカニズムがあればよいのか/宏観予知の意外な役割
第8章 心理学って疑似科学じゃないの?
心理学の一般的イメージ/無意識を理論化した精神分析はなぜ疑似科学なのか/科学とは異なる知のあり方/「無意識に抑圧されたもの」は方便ではすまない/臨床心理学と補完代替医療が共通して抱える問題
第9章 身近にある「心理学」――通俗心理学
市場のニーズとメディアが歪ませる通俗心理学/メディアが欠落させる重要な情報/通俗「心理学」――誰もが専門家/脳科学と通俗心理学/脳と疑似科学の現在/超心理学は疑似科学なのか/超心理学の疑似科学性
第10章 疑似科学とはなんだったのか
疑似科学から日常のクリティカル・シンキングへ/科学が合理的で、疑似科学は非合理的といえるのか?/疑似科学を合理的に考えるために/疑似科学に私たちはどう接していくべきだろうか
引用文献
疑似科学を考える時に、ぜひ読んでおきたい参考図書リスト
あとがき
知られざる秘儀が存在した!という本なら、与太話でも売れるのですが、それは科学的根拠がない、という否定本をまじめに書いても売れません。
このへんがむずかしいところですね。書籍の質や意義と商業的成果がリンクしないのです。
取材費や調査研究費と時間をかけて書いてもビジネスとしては全く見合わないので、問題意識があっても手を出しにくい分野です。
にもかかわらず、こうした本が出るのは、科学的思考、批判的思考が、怪しげな言説に否定されてはならない、人間の理性を守ろうという、出版社や著者の良識と良心のあらわれ、ということはいえると思います。
まあ、大学の先生の場合、学生に買わせることもできるでしょうし、商業的にも採算は取っているのかもしれませんが……。
さて、「なぜ疑似科学を信じるのか」を今回記事にとりあげたのは、献本していただいたから、だけではなく、他の理系学者の書く疑似科学批判本と、根本的に違うところがあるからです。
普通、こうした疑似科学批判本というのは、血液型と性格に相関関係などない、超能力など力学的にありえない、動物が地震を察知するという科学的な証拠は見つかっていないなど、科学の答えを枚挙し、言説者を批判するだけです。
要するに、疑似科学のタネ明かしをするだけなのです。
かつての、大槻義彦氏の宜保愛子さん批判などはその典型です。
しかし、菊池聰氏は、そうではありません。疑似科学の中に存在する、ある種の合理性から、人間の思考や価値判断の全体像を、科学的な評価をすべてとせず、リアルに見つめています。引用します。
ただ、「合理的」という概念をクリティカル=多面的にとらえてみると、疑似科学には意外なことに合理的な機能があることに気がつく。疑似科学の論争というと、えてして「否定派」は、エビデンスのない治療を否定すればいい、占いやおまじないを否定すればいいと単純に考えているようですが、真の「合理的思考」とは、そんなものではないのです。
たとえば、疑似科学的な補完代替医療であったとしても、熟慮したうえでその治療を選択することを非合理的と決めつけることはできないだろう。たとえば現状では有効な治療法が見いだせていない病気の場合、もしくは外科的な治療で生活の質が低下することを嫌った人が、たとえ根拠が薄弱であろうと非侵襲的な医療を選択するという考え方はある。補完代替医療に十分なエビデンスがないことは認識したうえで、その利用という選択肢を選んでいるケースが一定数はあると推測されるが、それは果たして非合理的な態度なのか。
もっと一般化していえば、科学的規準に照らした合理性と、個人の目的にもとづく選択の合理性は、おおいに関係があるとしても、分けて考えたほうがいいのではないか、ということである。
合理性とは、読んで字のごとく、「理」 に合うことである。その理とは、もっともな道理、筋道ということであり、私たちが判断する時の規準となる。
おそらくは私たちが手にできる、最も客観性と公共性を持つ理のひとつは、科学と論理の規準であることは間違いないだろう。その規準でいえば、たとえば「おまじないをすると、恋が成就する」という考えは、明らかに非合理だ。そこに科学的な根拠はない。しかし、「おまじない」によって、心が落ちついたり、告白の勇気がでるといった作用が期待できるならば、告白の前に「おまじない」をするという行動には筋の通った理由があり、そこには、個人的・適応的な意味での合理性があるといえる。
これは、科学的「正しさ」を物差しとする物理学者ではなく、人間の心理全体を学問領域とする心理学者だからこそ書ける懐の深さかもしれません。
私もここ数日、このブログにおいて、テーマの違う記事で再三書いていますが、人間の思考判断というのは、必ずしも科学や法律や道徳の通りに結論を出せない場合があります。そこにこそ、人間というものを知るよすがとなるものがあり、科学的に正しくない、だからけしからん、だけでは実は何も解決しないのです。
巷間、手を変え品を変え、いろいろな疑似科学が流行します。それについて、対処療法的に科学的なタネ明かしで完結するだけでなく、なぜ人はその疑似科学に惹かれるのか、ということを心理学、文学、社会学(マスコミ論)、宗教、芸術、教員、ジャーナリストなど、様々な分野の研究者や実務者たちが協働して考えて欲しいと思います。

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)
- 作者: 菊池 聡
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2012/10/19
- メディア: 単行本
この記事へのコメント
頼ってみたくなるときが、
人間にはあるのかもしれないですね。
寂しさから入るという人もいますよね。
これは確かに、科学では解決できない話ですね。
目に見えない不思議な力に惹かれるのはありますね。
ただその人の人格までが素晴らしいかどうかは別だという思考は残さないと、どれだけ盲信が危険かは知っておかねばと思います^^;
トルマリンゴとか買っちゃって^^;
商品を売るための疑似科学は止めてほしいですけど
心の平安は科学だけではどうしようもないので
占いとかおまじないなどは適度に信じたいです
もちろん疑う心も持っていますw
お守りを買ったその日に 〇〇〇モンドが当ったメールが届き
(お店のことをブログを書く条件があったので努力もしました)
何かある!と思ってしまいましたw
熟読はしてませんが、まさにその通りですよね。
へんな商法に惑わされないようにしたいものです。(^_^;)
若しくは、興味のある所しか拾い読みしないかなって・・・^^;
書いてあることが取っ付き難いです。
だからこそ、自分は悪徳商法とか引っかかりやすいのかな~って思いました。
街でアンケートに答え、知らないうちに統一教会に入らされそうになってましたから^^;
小指は順調に回復しています!ありがとうございます。
説明できない不思議な事には出会ってます。
化学が全てじゃないことは確かですよね。
どう判断するかは、自分次第ですし、人に押しつけるものでもありませんね。
そちらの方にも、この本は言及されているようですね。