昭和のくらし博物館で考える「茶の間」の意義
昭和のくらし博物館という建物が、我が家から比較的近くにあります。博物館といっても木造の一軒屋ですが、文字通り、中の茶の間は家財道具ごと保存され、昭和時代のくらしが再現されています。戦後史の激動というブログのタイトルに合うこの博物館をご紹介します。東京・大田区の住宅街にあり、注意しなければ通り過ぎてしまいます。

のぼりが立てられています。ここからまっすぐ奥に入ります


私道をとおり

「博物館」に到着。家屋は昭和26年に建てられたといいます
外観は撮れましたが、他の博物館同様に中の撮影は許可が下りませんでした。事務局の方曰く、個人で楽しむ分にはいいけれど、ブログで写真を公開してしまったら二次利用し放題になってしまうので、とのことです。
そう広い間取りでもないので、何十カットも撮ったら「だいたいわかった」ということになってしまい、観覧の価値も下がってしまいますから、それは当然だと思います。
ということで、公式サイトに掲載されているものをご紹介します

http://www.showanokurashi.com/img/tenji/tenji01.jpgより
昭和のくらし博物館は自治体やNPO法人の所有や管理ではなく、かつてその家で実際に暮らした長女の方が個人で運営されています。要するに自分の家を、当時のくらしをとどめるものとして公開しているわけです。
所有者は小泉和子さんという生活史研究家。家屋を公開しただけでなく研究も行っています。公式サイトから引用します。
そのとき伺ったのは飯台。テーブルの話です。飯台は「家制度」から「家族制度」へという家庭の「民主化」の象徴だったといいます。
時代劇に出てくる個人単位のお膳が、大きく広いテーブルで家族みんなが食事をするようになったからです。
ただ、今はそのテーブルも、家族みんなが全員集合する機会が減ってきたのではないでしょうか。
そういえば、昭和から平成になって、死語となったのが「茶の間」ですね。
私が好きなジャンルである、ホームドラマが消えてしまったのも、「茶の間」という言葉が使われなくなったこととリンクしているように思います。「家族制度」からさらに進んで、「個人制度」になってしまったのでしょうか。
私は、核家族化、さらに個人化が、即、今の高齢者問題や犯罪に影響を及ぼしていると断言はしませんが、異なる世代の人がひとつ家に住み、一緒に食事をし、同じ茶菓子を食べてテレビ番組を見て意見を言い合うというシーンは、人生の中の数年でいいから経験したほうがいいのではないかと思います。
まあ、そういう私も祖父母と暮らしたことはない核家族出身なんですが、今、先祖の墓守をしたり、高齢の親を気にかけたりすることで、遅まきながら、異なる世代を日々意識しつつ生活しています。
「くらしの面から昭和という時代をもういちど考え直」すという小泉和子さんの試み。いろいろな接近方法が考えられる面白いテーマです。

のぼりが立てられています。ここからまっすぐ奥に入ります


私道をとおり

「博物館」に到着。家屋は昭和26年に建てられたといいます
外観は撮れましたが、他の博物館同様に中の撮影は許可が下りませんでした。事務局の方曰く、個人で楽しむ分にはいいけれど、ブログで写真を公開してしまったら二次利用し放題になってしまうので、とのことです。
そう広い間取りでもないので、何十カットも撮ったら「だいたいわかった」ということになってしまい、観覧の価値も下がってしまいますから、それは当然だと思います。
ということで、公式サイトに掲載されているものをご紹介します

http://www.showanokurashi.com/img/tenji/tenji01.jpgより
昭和のくらし博物館は自治体やNPO法人の所有や管理ではなく、かつてその家で実際に暮らした長女の方が個人で運営されています。要するに自分の家を、当時のくらしをとどめるものとして公開しているわけです。
所有者は小泉和子さんという生活史研究家。家屋を公開しただけでなく研究も行っています。公式サイトから引用します。
くらしは人間が生きてゆく上の基礎となるものですが、くらしというものを重視する基盤の弱い日本では、まず最初に犠牲にされるのがくらし、それも庶民のくらしです。このため、単に住宅と家財を保存しておくだけではなく、ここを学習の場として、くらしの面から昭和という時代をもういちど考え直してみたい、そして出来得るならば、くらしの哲学といったものを打ち立てたいと思い、「昭和のくらし博物館」としました。私は以前、といっても15年ぐらい前ですが、小泉和子さんにお話を伺ったことがあります。ちょうど昭和のくらし博物館ができた頃ですね。すでにその当時、小泉和子さんは生活史研究家として、いくつかの大学で非常勤講師をされていました。
そのとき伺ったのは飯台。テーブルの話です。飯台は「家制度」から「家族制度」へという家庭の「民主化」の象徴だったといいます。
時代劇に出てくる個人単位のお膳が、大きく広いテーブルで家族みんなが食事をするようになったからです。
ただ、今はそのテーブルも、家族みんなが全員集合する機会が減ってきたのではないでしょうか。
そういえば、昭和から平成になって、死語となったのが「茶の間」ですね。
私が好きなジャンルである、ホームドラマが消えてしまったのも、「茶の間」という言葉が使われなくなったこととリンクしているように思います。「家族制度」からさらに進んで、「個人制度」になってしまったのでしょうか。
私は、核家族化、さらに個人化が、即、今の高齢者問題や犯罪に影響を及ぼしていると断言はしませんが、異なる世代の人がひとつ家に住み、一緒に食事をし、同じ茶菓子を食べてテレビ番組を見て意見を言い合うというシーンは、人生の中の数年でいいから経験したほうがいいのではないかと思います。
まあ、そういう私も祖父母と暮らしたことはない核家族出身なんですが、今、先祖の墓守をしたり、高齢の親を気にかけたりすることで、遅まきながら、異なる世代を日々意識しつつ生活しています。
「くらしの面から昭和という時代をもういちど考え直」すという小泉和子さんの試み。いろいろな接近方法が考えられる面白いテーマです。
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この記事へのコメント
わたしが住む岐阜県(美濃加茂市)には、「日本昭和村」という岐阜県営公園(正式名は「平成記念公園」)があります。昭和30年代前半までの山里の景観を再現しているそうです。
なんだかなつかしい風景です。
茶の間・・・家族で、食事をし、話をしたり・・・
時には、怒った父が、、ちゃぶ台をひっくり返す、、(巨人の星だ)
昔から これからも 大切な憩いの場なんですけど・・・・
今の家庭にも、、、絶対に大切な場所・・・・
まずは、家庭から、教育して欲しいものです・・・・
茶の間の風景が出てくるドラマと言えば、TBSの「寺内貫太郎一家」を思い出します。小林亜星さんが演じた豪快な親父、今では少なくなったんじゃないでしょうかね^^;)
たしかに数年一緒に暮らすだけでも得るもがあると思います。
やっぱり人間は、生きるだけでも大変な事だと思います、
それが20年も違えば経験の幅と深さ学ぶことありますね。
かつてその家で実際に暮らした方が保存なさってるなんて素晴らしいです((b´∀`))ネ♪
お気に入りの品物ならともかく「家屋」ですものね。。
やはり、サザエさん一家の家でしょうね。
昭和の時代は、イタズラなどしていると、近所の人に叱られたものです。
建物の保存も大事ですが、当時のコミュニティも上手く伝わると、更に良いですね。
飯台懐かしいですね(^^)
便利になるのは悪くないのでしょうけど...
最近個人の我が儘をどれだけかなえられるか...が商売になっているような気がします....
自立とは少し違う個人主義にながれているようで
気になります。
近所には親戚家族が住んでおり叔父さん叔母さんいとこと
頻繁に遊んでいました。近所の年寄から子供まで幅広い
年齢層と関われたこと、大きな財産だと思っています。
懐かしいですね~、こういった飯台や文机我が家にもありました^^
でも、実家が引っ越す時に処分しちゃったんじゃないかな。(_ _。)・・・シュン
昭和の時代、同じ部屋に家族が一緒に過ごすことが多かったけど、今はすぐ個々の部屋に引きこもったりして家族で過ごす時間が減ってますよね^^;
それが非行に繋がってるとまでは言わないけど、家族団欒の時間って大切ですよね^^
年寄りに優しくない社会は破滅します。だから年寄りには優しくしないといけません。皆さん、明日は我が身です。そう、私のために言ってます。
昭和の家事をやってたら
パソコンに向かう時間はないですね^^;
結構、不便で物騒な時代でもありましたね。
教師は機嫌が悪いと生徒を殴ったし、街には怪しい人が
フラついていたり。
おいらも数年前から
お墓参りに行く回数増えましたわ。
なんとなくですが、先祖を思う気持ちも強くなりました。
おもしろいですね。
僕も毎日残業続きで、一人で食事を取る事が多いので、う~ん反省(>_<)
素敵な雰囲気ですね。
私には物珍しい感じです。