モンスターペアレントのウソ・ホント
モンスターペアレント、という言葉が使われだしたのはいつごろからでしょうか。常識では考えられないクレームをつける親に対して、学校現場かマスコミか、真犯人は定かでありませんが、そのようなレッテルが当たり前のように使われています。つい10日ほど前のニュースでも、現場の教員がモンスターペアレントという言葉を使ったとされる記事も目にしました。
ただ、そうであっても、保護者の側からすると、現場の教員が「モンスターペアレント」という言葉を使ってしまうことには、やはり違和感があります。
もっとも、この記事がどうやって作られたのかはわかりません。「電話などによるヒアリング形式で実施」した調査だそうですから、「東京・高校50代女性」自身はそうは言っていないのに、聞き手が「いわゆる『モンスターペアレント』ですね」とふったり、回答結果を独断でそうまとめたりしたのかもしれません。
いずれにしても、教師が保護者とのやりとりで自分がいじめられているように悩んでいることが記事になっているのは事実ですから、その問題について考えてみることは意味のあることだと思います。一部の保護者の不快な言動は、教師だけでなく、他の保護者も悩ませる場合もあるからです。
みなさんは、モンスターペアレントという言葉についていかがお考えですか。また、教師側の苦悩を解決する方法はないものでしょうか。
モンスターペアレントについて、私が一保護者として学校現場に言いたいことは、
1.クレームをどう見るかは、いろいろ評価が分かれることなので、文句をいう親を、ひとからげに「モンスターペアレント」と唾棄せず個別にていねいに見ていただきたい
2.なぜモンスターになったしまったのか、その原因を考える心の広さがほしい
ということです。
「モンスター」の具体的な言動が、法律なり常識なりの社会規範に照らして、明らかに外れている点についてのみ批判すればよいことであり、たんに「人と違うことを言う」だけで、即クレーマーやならず者のような扱いをすることがあれば、それはあってはならないことです。
社会進歩は自由な言論の中からうまれることにあります。最初は、その異端ぶりから「何て非常識なんだ」と思えるような腹の立つことでも、よくよく聞いてみると道理があり、それが現在の仕組みを進歩させる突破口になる可能性もあります。
現状の否定や異端こそが、新しい真実への肉薄というのはあながち極論とはいえないでしょう。
「モンスターペアレント」たちの意図や動機がどうであろうが、その要求の中には、実は生徒・児童の権利の拡大につながるきっかけになることがあるかもしれないのです。
もう一点、そうした安易なレッテル貼りは、学校側にとって気にくわない保護者を体よく悪役扱いできる口実に使われる可能性も私は懸念しています。
学校内では、教師と生徒の関係は明らかに教師が一段高いところにいます。進級や卒業など、生徒としての殺生与奪は学校側(教師)が握っているのです。
もとより、学校現場のトラブルにおいて、学校から出てくる情報は、学校側の落ち度など絶対に出てこないのです。保護者の側が、逆に追い詰められて「モンスター」になってしまうことだってないとはいえないでしょう。
さて、私の保護者としての体験談ですが、もしかしたら、以前、長男が在籍した幼稚園で、「モンスターペアレント」の扱いを受けていたのかもしれません。
入園してすぐに、担任に対して、校舎に使っている吹きつけアスベストの処理について尋ねたことや、いじめにつながりそうな集団による個人の攻撃を深刻に捉えないことに疑問を呈したことがありました。
「普通の」保護者が質問しないことを聞いてくる「うるさい保護者・細かい保護者」というだけのことですが、向こうからすれば、さぞや目障りな保護者だったのだろうと思います。
それ以外には、私から学園側に何か「自分勝手な要求」をしたことは1度もないし、妻はそれ以外は保護者会でもほとんど発言もしなかったそうですが、担任は自分の仕事に自信のありそうなのベテラン。突出した保護者とは関わらないほうがいいと考えたのか、結局、年少組では担任とは全くコミュニケーションができないまま、学年がかわって別の担任に。
今度は給食の食材の産地を尋ねたところ、担任ではなくなぜかいきなり現場のトップである教務主任(副園長)がじきじきに電話をかけなおしてきて、話がしたいから父母ともに出てこいと身構えられました。
以来、お迎え(送迎バスがなかった)のときに何か質問すると、ありふれた内容のことでも、そのつどわざわざ副園長が回答するパターンが定着してしまい、私もやりにくくなってやがて質問自体をしなくなってしまいました。そうなると、ますます信頼関係を構築しにくくなります。
その幼稚園には併設の小学校もあったのですが、結局そこには進まず。地元の小学校入学以後も、学校の先生と連絡を密に取るということが苦手になってしまいました。
モンスターペアレント。相互不信だけで何も生み出さない嫌な言葉です。
教師側は苛立ちを保護者に直接ぶつけるものではなく、また保護者も何でも学校のせいにするのではなく、共通の課題に対する共同のたたかいという問題の捕らえ方ができないものでしょうか。
メディアも一律なイメージをもたせるレッテル貼りはすべきではないと思います。
今日の「首都圏無料スポット」は県立三ッ池公園(横浜市鶴見区)

文字通り、3つの池とそれを囲む樹林の公園です。敷地面積は広く、地元では知らない人はいないでしょう。来園者は犬を連れた方や家族連れが多いですね。

残念ながら、いちばん大きい「中の池」は水を抜いていました。

上の池

下の池

紅葉はこんな感じです。

<いじめ>対応「時間不足」…小中高の教師の7割 本紙調査会社でもサークルでも町内や業者の集合体でも、集団の中では必ず「突出」した人物はいます。具体的なことはわかりませんが、「教師が精神的に追い詰められる」という表現にはせっぱつまったものを感じます。
毎日新聞 11月21日(水)2時32分配信
小学校から高校の現役教師の約7割が、いじめへの対応に「時間が足りない」と感じていることが毎日新聞のヒアリング調査で分かった。4割は保護者との信頼関係に自信がなく、3割が校内の組織的対応が不十分と考えていることも判明。さらに2割が警察や児童相談所との連携が不十分と答えた。(中略)
<保護者との信頼関係>
・いわゆる「モンスターペアレント」といわれる保護者が一人でもいると、その学年は振り回される。「教師が悪い、学校が悪い」と言われ、教師が精神的に追い詰められる。余裕を持って生徒に接することができない。(東京・高校50代女性)
ただ、そうであっても、保護者の側からすると、現場の教員が「モンスターペアレント」という言葉を使ってしまうことには、やはり違和感があります。
もっとも、この記事がどうやって作られたのかはわかりません。「電話などによるヒアリング形式で実施」した調査だそうですから、「東京・高校50代女性」自身はそうは言っていないのに、聞き手が「いわゆる『モンスターペアレント』ですね」とふったり、回答結果を独断でそうまとめたりしたのかもしれません。
いずれにしても、教師が保護者とのやりとりで自分がいじめられているように悩んでいることが記事になっているのは事実ですから、その問題について考えてみることは意味のあることだと思います。一部の保護者の不快な言動は、教師だけでなく、他の保護者も悩ませる場合もあるからです。
みなさんは、モンスターペアレントという言葉についていかがお考えですか。また、教師側の苦悩を解決する方法はないものでしょうか。
モンスターペアレントについて、私が一保護者として学校現場に言いたいことは、
1.クレームをどう見るかは、いろいろ評価が分かれることなので、文句をいう親を、ひとからげに「モンスターペアレント」と唾棄せず個別にていねいに見ていただきたい
2.なぜモンスターになったしまったのか、その原因を考える心の広さがほしい
ということです。
「モンスター」の具体的な言動が、法律なり常識なりの社会規範に照らして、明らかに外れている点についてのみ批判すればよいことであり、たんに「人と違うことを言う」だけで、即クレーマーやならず者のような扱いをすることがあれば、それはあってはならないことです。
社会進歩は自由な言論の中からうまれることにあります。最初は、その異端ぶりから「何て非常識なんだ」と思えるような腹の立つことでも、よくよく聞いてみると道理があり、それが現在の仕組みを進歩させる突破口になる可能性もあります。
現状の否定や異端こそが、新しい真実への肉薄というのはあながち極論とはいえないでしょう。
「モンスターペアレント」たちの意図や動機がどうであろうが、その要求の中には、実は生徒・児童の権利の拡大につながるきっかけになることがあるかもしれないのです。
もう一点、そうした安易なレッテル貼りは、学校側にとって気にくわない保護者を体よく悪役扱いできる口実に使われる可能性も私は懸念しています。
学校内では、教師と生徒の関係は明らかに教師が一段高いところにいます。進級や卒業など、生徒としての殺生与奪は学校側(教師)が握っているのです。
もとより、学校現場のトラブルにおいて、学校から出てくる情報は、学校側の落ち度など絶対に出てこないのです。保護者の側が、逆に追い詰められて「モンスター」になってしまうことだってないとはいえないでしょう。
さて、私の保護者としての体験談ですが、もしかしたら、以前、長男が在籍した幼稚園で、「モンスターペアレント」の扱いを受けていたのかもしれません。
入園してすぐに、担任に対して、校舎に使っている吹きつけアスベストの処理について尋ねたことや、いじめにつながりそうな集団による個人の攻撃を深刻に捉えないことに疑問を呈したことがありました。
「普通の」保護者が質問しないことを聞いてくる「うるさい保護者・細かい保護者」というだけのことですが、向こうからすれば、さぞや目障りな保護者だったのだろうと思います。
それ以外には、私から学園側に何か「自分勝手な要求」をしたことは1度もないし、妻はそれ以外は保護者会でもほとんど発言もしなかったそうですが、担任は自分の仕事に自信のありそうなのベテラン。突出した保護者とは関わらないほうがいいと考えたのか、結局、年少組では担任とは全くコミュニケーションができないまま、学年がかわって別の担任に。
今度は給食の食材の産地を尋ねたところ、担任ではなくなぜかいきなり現場のトップである教務主任(副園長)がじきじきに電話をかけなおしてきて、話がしたいから父母ともに出てこいと身構えられました。
以来、お迎え(送迎バスがなかった)のときに何か質問すると、ありふれた内容のことでも、そのつどわざわざ副園長が回答するパターンが定着してしまい、私もやりにくくなってやがて質問自体をしなくなってしまいました。そうなると、ますます信頼関係を構築しにくくなります。
その幼稚園には併設の小学校もあったのですが、結局そこには進まず。地元の小学校入学以後も、学校の先生と連絡を密に取るということが苦手になってしまいました。
モンスターペアレント。相互不信だけで何も生み出さない嫌な言葉です。
教師側は苛立ちを保護者に直接ぶつけるものではなく、また保護者も何でも学校のせいにするのではなく、共通の課題に対する共同のたたかいという問題の捕らえ方ができないものでしょうか。
メディアも一律なイメージをもたせるレッテル貼りはすべきではないと思います。
今日の「首都圏無料スポット」は県立三ッ池公園(横浜市鶴見区)

文字通り、3つの池とそれを囲む樹林の公園です。敷地面積は広く、地元では知らない人はいないでしょう。来園者は犬を連れた方や家族連れが多いですね。

残念ながら、いちばん大きい「中の池」は水を抜いていました。

上の池

下の池

紅葉はこんな感じです。
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バカ親って言うな! モンスターペアレントの謎 (角川oneテーマ21)
- 作者: 尾木 直樹
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/04/10
- メディア: 新書
この記事へのコメント
いろいろ大変だと思います。
静かそうなところですね、
紅葉がきれい〜
コミュニケーションをより図ることは大切だと思います。
モンスターペアレントという言葉を使い始めたのは 向山洋一さんだと言われています そのような状況が目立つようになったためと思われますが 関係性をはばむ言葉であるとも思います
小野田正利大阪大学大学院教授が
「悲鳴をあげる学校―親の“イチャモン”から“結びあい”へ」
「親はモンスターじゃない!—イチャモンはつながるチャンスだ」
などの たくさんの本を出されています
小野田さんは 「モンスターペアレント」という呼び方に反対の立場で「無理難題要求」という言葉を使っています
小野田さんの本から 多くのことを学んでいます
学校側からみて目障りな親がモンスターということなら、
質問もできなくなりますね。
商品に関する質問や相談をするのもクレーマーの苦情、とは思わずメーカー側も、モニター制度より実質的な「改良のチャンス」だと思っていただきたい、そう思います。
ただでさえ、日本人は事なかれ主義、長いものに巻かれるのをよしとする傾向があります。
でも、そもそも
民主主義とはそれぞれが意見を口にしたりできるものでは?と思います。
いい信頼関係を学校と結べなかったら、大変そうですね…。
いちいちあだ名やレッテルを貼って嫌がってたら客商売は成り立ちません。
先生は客商売ではありませんが、その点もう少しわかってほしいです。
本質が見えなくなる事はよくあります。
括ると区分しやすいけれど、
様々な事例毎にある個別に対応すべき点を、
見逃してしまうというのは強く思います。
またそれと同時に自分の子供を叱れない親が多いのも、
これは体験上本当の事です。
自分が子供の頃と比べても確実にそうだと感じます。
カタカナで括るのは危険であるとしても、
「子供を大切にする、あるいは信じる」という美名に隠れ、
子供に注意すべき事をしないのは怠慢であり、
こちらも危険であると常々思っています。
それはまあ、DVと同じですね。
いや、先生と保護者の関係がね。
お互い至らない事(コミュニケーション不足)もあるのかもしれないし、たんにウマが合わないだけかもしれないし。巡り合わせの不運もあるけど、でもとにかく結果として行為をしたほうが悪いと。
無理難題をのたまうのも、大事な生徒の親につまらんレッテル貼るのもどっちもどっちです。
教師は一生懸命やってるから悪くないとか、そういう言い訳は違うと思います。
もしやモンペ扱いされるんじゃないか?ととても悩みます
些細なことで関係がこじれたら厄介だなと
結局ほとんど何も言わなくなりますね
対立関係じゃなくて協力していけるようになるといいなと
思うんですけれど。
おかめが亀の仲間って逆に新発想!かわいいですね~^^
育ちの悪さから理解力の無さがそうさせるんでしょうね。
「先生」と敬って、実際に尊敬出来る「先生」なら問題ないんでしょうけど、将来の安定とか公務員感覚で「先生」になっちゃうとムリでしょ?
親がただのクレーマーの場合もあるし、逆に学校側が横暴だったりする場合もあることを、ちゃんと判断できるといいんですけど、どうも教育現場には閉ざされた空間・・・というイメージがあります。
小学校時代はPTA・現在息子は中学3年、今まで通して
先生・親・生徒・良いも悪いも中途半端も、自己中も、感情の起伏が激しい方、あますことなく全部いらっしゃいます(笑)
私は前向きで、相手に気遣い出来る方と付き合いたいし、そうなりたいと思います♪
まぁ、どちらかと言うと息子の通ってた学校は親が子どもにあまり干渉してなかったといえるのかもしれませんが^^;
しかし、いつ頃からモンスターペアレントなんて言葉が派生したのでしょうね。
親が子どもがよりよい環境で学べるようにするのは当たり前のことですが、それに対しても度合いってものがありますよね。
いっぷくさんが息子さんの幼稚園の担任の先生に対して質問したりしたことは、親として知りたいことであって全然モンスターペアレントじゃないですよ。
たぶん、担任の先生が質問に対して未熟で答えられなかったのでしょうね。
本筋論を逃げるような教員は教員の資格なしです。
します。確かによくない教師がいるのも事実ですが
その一方で地域のコミュニティ、家庭が明らかに
様変わりしたのにそれに対応できていない文科省が
いるのも事実だと思います。
教師にかかる負荷はどんどん増えていくのにそれに
対応できるだけの仕組みがないので、教育の現場が
どんどん疲弊していってます。
モンスターペアレントとはあまり関係のない話で申し訳
ありませんが、まずそのあたりからどうにかしないと
結局マスコミが面白おかしく取り上げて終わりに
なりそうなのが怖いですね
マスコミ含め道徳の欠如ですかね。
あくまで主観ですけど
自分勝手な人間が増えたのが理由でしょうかね。
やっぱり道徳の時間増やさないとだめでしょ、きっと。
モンスターペアレントでなくても、自分の考えだけが正しいと思っている人は結構いる気がしますから。
私は規範を逸脱した場合のお人らを知っていますよ(*´∇`*)
みんながコミュニケーション能力が劣って来てしまっていることが原因だと思います。
自分の立場でしか物事が考えられない。
物事は、特にトラブルというものは、必ず相互関係の中で起こっているのだから、自分の知らない事実があるのではないか!?と思って、想像して考えられない、話が聞けない、話し合えない!そういう人間が多くなって来てしまっているのも原因ではないかと思います。
そして私の仕事上の立場からすれば、プロとしての解決能力の低さ、スキルの無さも、問題を大きくしていると思っています。
親は色々な方が居ますが、教師はプロです。親さんへの対応のスキルを身につけ、きちっと親の困り感、不安感に寄り添わなくてはいけないと思っています。
人の不満や怒りは、不安や迷いから来ている事が多いのですから。