頭がいい人、悪い人の話し方、250万部売れた理由
『頭がいい人、悪い人の話し方』(樋口裕一著、PHP)という書籍が250万部売れ、新刊でもないのにあちこちのブログでレビューが書かれています。同書は新書版と図解版(箇条書きや図表で構成)が出ているのですが、どんなものかと思って図解版の方を読んでみることにしました。私個人は、定型文やスピーチ集などの書籍にお世話になることはあります。が、同書のように会話に「いい、悪い」という評価をつける書籍はもともと全く信用していません。
ましてや、「頭のいい人、悪い人」などという知性に対する評価まで行ってしまう自信過剰なタイトルは、「売らんかな」の魂胆で人の尊厳まで利用する醜悪さを感じます。
具体的に見ると、まず同書は「頭の悪い話し方」のパターンと具体的な文言を枚挙しています。「こんな話し方では、異性が離れていく」パターンを引用します。
「低レベルの解釈をする」の例文で、「見合いを断るなんて理想が高いんだ」という言い方がありますが、それは低レベルではなく、図星だから相手がいやがるだけかもしれません。
つまり、会話というのは、TPOや人間関係といった背景の事情で評価が決まるものなので、特定の文言についていい悪いとは一概に言えないのです。だから私はこのての書籍を信用しないのです。
たとえば、「バカヤロウ」と言われて嬉しくて涙が出る、なんてやりとりはドラマにありがちな場面ですが、どんな高価な辞書で調べても、「バカヤロウ」に嬉し涙がでるような感動的な意味は書かれていません。経験と個々の信頼関係や思いやりや洞察力によって、「バカヤロウ」が当事者の間には心を届ける言葉として成立してしまうのです。
そのように言葉というのは、観念の中で真逆の意味すら持ってしまう生き物なのです。言葉の評価は、それが「いかなる価値観で使われるか」を見なければなりません。
同書にはそのような発想が全く感じられません。
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次に、同書の主張には「意見をはっきり言う」ことがよしとされています。もちろん、何をいいたいのかわからないでは困るのですが、「はっきり言う」ことで損をする場合だってあります。何より、「イエス・ノー両方の方向から書く」ことを「立場が曖昧な文章になってしまう」と紋切り型に批判している点はいただけません。
右か左かに分かれる意見のとき、右(左)であることをただ闇雲に叫んでも、左(右)の人は聞いてくれません。
私には、そんな独りよがりの話しかできない人が「頭のいい人」とは思えません。
右左、それぞれ言い分があるならどちらにも偏らず、どちらも立場もあることを尊重し、その上でたとえば双方に共通する点を見つけ出し、それにかみ合った提案を行う意見があってもいいはずです。その方がよほど建設的です。
さらに噴飯ものなのは、「背伸び思考」と称して、「間違った結論であっても、断固として主張する」「わからないことでも『知らない』とはいわない」など、「はったりのすすめ」が出てくるのですが、この著者は世の中をナメているのでしょうか。すぐにそんなものは見透かされてしまいます。
さかしらにものを語ることほど人から反発され、厳しいツッコミが入り、むしろ「頭の悪い人」としての評価がつけられてしまう安っぽいふるまいはありません。
さて、著者の樋口裕一氏は、本が売れただけでは不満なご様子で、自らのブログで、アマゾンで☆をひとつしかつけない読者のレビューを具体的に枚挙。ご自分の言い訳を書かれた上で、「私を酷評するレビューをみて思ったことをまとめると、『余裕のない読み方をする人が多いんだなあ』」などと捨て台詞でまとめています。
しかし、事実誤認ならともかくとして、「つまらない」という主観のレビューにまでいちいち噛み付いて自己正当化に熱中する樋口裕一氏のほうが、私にはよほど余裕のない人に思えてなりません。
たとえば、「この本がなぜ売れたのかわからない」
というもっともなレビューに対し、樋口裕一氏はご不満で(笑)、「自分がいかに現状を分析する力がないか、つまりはいかに自分がレビューを書く能力がないかを告白しているにすぎない」などと悪口を書いています。
「くだらないのに売れた」ことへの皮肉と、勝手な決めつけよりもよほど信用できる、という視点がこの著者にはないようです。
この書籍が売れたのは、もっぱらタイトルのおかげだと私は思います。
人間は多くが、「頭がいい人」になりたいと思っているのです。昨今の自分に自信が持てない社会の厳しさや不安定さは、現代人にいっそうその思いを強くするのだと思います。
一方で、成果主義社会、経済合理主義社会だからでしょうか。現代人には、努力も苦労もせずに、手っ取り早く結果を欲しがる悪い癖もあります。
レビューには、「頭がいい人の話し方を期待して読み始めた」「頭がいい人がどんな風に話すのか、その点をもっと掘り下げてほしかった」などといった注文が書かれています。
これは樋口裕一氏のカタを持つわけではありませんが、レビューの方がおかど違いだと思います。
なぜなら、会話は結果です。「頭がいい人」になりたければ、自分の「頭」をそうするしかないわけで、処世術としての「会話」のノウハウだけを欲しがったって、そんなものはすぐに見透かされます。
そんなに「頭がいい人」になりたければ、量質ともに人の何倍も本を読み、社会の刺激から逃げずにいろいろな経験をつむ愚直な努力をしなければならないと私は思います。
そのような、「コンプレックス」+「うわべのノウハウ志向」が、同書を250万部売った理由なのだろうと思います。
本の1冊や2冊読んだぐらいで頭がよくなれたら、苦労はないですよね。
ましてや、「頭のいい人、悪い人」などという知性に対する評価まで行ってしまう自信過剰なタイトルは、「売らんかな」の魂胆で人の尊厳まで利用する醜悪さを感じます。
具体的に見ると、まず同書は「頭の悪い話し方」のパターンと具体的な文言を枚挙しています。「こんな話し方では、異性が離れていく」パターンを引用します。
□すんだことをいつまでも蒸し返す一見もっともらしい分析ですが、必ずしもそうともいえないこともあります。たとえば、「自分のことしか話さない」という例文で、「そうなんだよ。実はおれも○○で……」というのがありますが、もし相手が「実はおれも」という話を聞きたいときなら、それは悪いこととはいえません。
「ああ、あの店であれを食べたけど、違うのを注文すればよがったがなあ」
「あのとき、もしひと言言っていれば、彼女を失わなかったのに」
□何でも勘ぐる
「君が言っているのは、つまりは僕に対する不満なんだね」
□感情に振り回される
「君なんかにわかるはずがない」「あいつは虫が好かない」
□優柔不断ではっきり言わない
「イタリア料理にしょうが、でも、イタリア料理はこの前食べたし、中華料理もいいけど、ちょっと油っこいかなあ‥‥」
□自分のことしか言ささない
「そうなんだよ。実はおれも○○で……」「僕の祖父が○○でね、それで……」
「実を言うと、僕は高校時代に○○で‥…」
□相手が閏心のないことを延々と話す
「ここから先が、この前読んだ本に出ていたおもしろいところなんだけど」
「僕の父親の母方の叔父がね……」
□低レベルの解釈をする
「クラシックのコンサートに行くのは、趣味がいいと思われたいからなんだろ」
「見合いを断るなんて、理想が高いんだ」
□何かにつけて目立とうとする
「部長にすっかり気に入られてしまってさ」
「取引先の社長が『君みたいな人がうちにいてくれたら』なんて言うから、困っちゃって」
「低レベルの解釈をする」の例文で、「見合いを断るなんて理想が高いんだ」という言い方がありますが、それは低レベルではなく、図星だから相手がいやがるだけかもしれません。
つまり、会話というのは、TPOや人間関係といった背景の事情で評価が決まるものなので、特定の文言についていい悪いとは一概に言えないのです。だから私はこのての書籍を信用しないのです。
たとえば、「バカヤロウ」と言われて嬉しくて涙が出る、なんてやりとりはドラマにありがちな場面ですが、どんな高価な辞書で調べても、「バカヤロウ」に嬉し涙がでるような感動的な意味は書かれていません。経験と個々の信頼関係や思いやりや洞察力によって、「バカヤロウ」が当事者の間には心を届ける言葉として成立してしまうのです。
そのように言葉というのは、観念の中で真逆の意味すら持ってしまう生き物なのです。言葉の評価は、それが「いかなる価値観で使われるか」を見なければなりません。
同書にはそのような発想が全く感じられません。
次に、同書の主張には「意見をはっきり言う」ことがよしとされています。もちろん、何をいいたいのかわからないでは困るのですが、「はっきり言う」ことで損をする場合だってあります。何より、「イエス・ノー両方の方向から書く」ことを「立場が曖昧な文章になってしまう」と紋切り型に批判している点はいただけません。
右か左かに分かれる意見のとき、右(左)であることをただ闇雲に叫んでも、左(右)の人は聞いてくれません。
私には、そんな独りよがりの話しかできない人が「頭のいい人」とは思えません。
右左、それぞれ言い分があるならどちらにも偏らず、どちらも立場もあることを尊重し、その上でたとえば双方に共通する点を見つけ出し、それにかみ合った提案を行う意見があってもいいはずです。その方がよほど建設的です。
さらに噴飯ものなのは、「背伸び思考」と称して、「間違った結論であっても、断固として主張する」「わからないことでも『知らない』とはいわない」など、「はったりのすすめ」が出てくるのですが、この著者は世の中をナメているのでしょうか。すぐにそんなものは見透かされてしまいます。
さかしらにものを語ることほど人から反発され、厳しいツッコミが入り、むしろ「頭の悪い人」としての評価がつけられてしまう安っぽいふるまいはありません。
さて、著者の樋口裕一氏は、本が売れただけでは不満なご様子で、自らのブログで、アマゾンで☆をひとつしかつけない読者のレビューを具体的に枚挙。ご自分の言い訳を書かれた上で、「私を酷評するレビューをみて思ったことをまとめると、『余裕のない読み方をする人が多いんだなあ』」などと捨て台詞でまとめています。
しかし、事実誤認ならともかくとして、「つまらない」という主観のレビューにまでいちいち噛み付いて自己正当化に熱中する樋口裕一氏のほうが、私にはよほど余裕のない人に思えてなりません。
たとえば、「この本がなぜ売れたのかわからない」
というもっともなレビューに対し、樋口裕一氏はご不満で(笑)、「自分がいかに現状を分析する力がないか、つまりはいかに自分がレビューを書く能力がないかを告白しているにすぎない」などと悪口を書いています。
「くだらないのに売れた」ことへの皮肉と、勝手な決めつけよりもよほど信用できる、という視点がこの著者にはないようです。
この書籍が売れたのは、もっぱらタイトルのおかげだと私は思います。
人間は多くが、「頭がいい人」になりたいと思っているのです。昨今の自分に自信が持てない社会の厳しさや不安定さは、現代人にいっそうその思いを強くするのだと思います。
一方で、成果主義社会、経済合理主義社会だからでしょうか。現代人には、努力も苦労もせずに、手っ取り早く結果を欲しがる悪い癖もあります。
レビューには、「頭がいい人の話し方を期待して読み始めた」「頭がいい人がどんな風に話すのか、その点をもっと掘り下げてほしかった」などといった注文が書かれています。
これは樋口裕一氏のカタを持つわけではありませんが、レビューの方がおかど違いだと思います。
なぜなら、会話は結果です。「頭がいい人」になりたければ、自分の「頭」をそうするしかないわけで、処世術としての「会話」のノウハウだけを欲しがったって、そんなものはすぐに見透かされます。
そんなに「頭がいい人」になりたければ、量質ともに人の何倍も本を読み、社会の刺激から逃げずにいろいろな経験をつむ愚直な努力をしなければならないと私は思います。
そのような、「コンプレックス」+「うわべのノウハウ志向」が、同書を250万部売った理由なのだろうと思います。
本の1冊や2冊読んだぐらいで頭がよくなれたら、苦労はないですよね。
この記事へのコメント
興味を持ってるかで違ってくるし
会話って難しいですね。
中身なんて信用できなくてもいいの。
それを手にしただけで頭がよくなったような幻想を与えてくれる
そういう風に考えれば、ノウハウ本も少しは意味あるでしょ。
いっぷくさん書かれている通り、ネーミングはインパクトがあって上手ですね。
売れるかどうかはタイトルしだい
出版社も必至だからはったりをかますんですよね
頭が悪いの解ってるからいいんだも~ん!←ポイント違うか(爆)
詐欺本が多すぎます。
お金を払うもの、と割り切る手も。
ノウハウ本は余り読んだ事がありませんので良くわからないですが...
本は読んで後自分の言葉に落とし込まないと(納得出来ないと)役にはたたないですよね...(汗)
ただ読む事が好きな活字好き(私も)には何でもOKですが..
(笑)
うまく話せないのに講座を開いている私…時々私ってやっぱり頭悪い??なんて思うことがあります(;´д`)
もっと勉強しなくちゃ!!
そうです。一瞬のがチャンスですからね。
このタイトルなら250万部売れるのも判るような気がします。
人間誰しもコンプレックスの塊ですもんね。
商売でも、コンプレックスにつけこむのが一番儲かるとか言ってた人がいました^^;
この著者の方がそうだとは言いませんが、実にうまいなって思います^^
言葉の重みを考えさせられますね。
コメント、ありがとうございました。
売れたのでしょうね。
頭がいいなんて思われたいのが不思議です。
馬鹿だとは思われたくないけれど
どちらかと言えば信用できるとか 可愛げがあるとか
楽しい人だとかw
「親しみを抱かせる話し方 嫌がられる話し方」
これなら購入するかもしれません。(内容に寄りますw)
すごいなーと感心しています。
巷にはどうしようもない本が沢山出回っていて
選ぶのに苦労しますが、こうすればこうなる系の多いこと。
タイトルだけで買おうと思うことは無くなりました。
人間のコミュニケーションの深さはこんな著者には
解説どころか理解もできないでしょう。
鉄則だと思います。いひひ。(^m^)
ハウツー本は読者にパターンを擦り込むものですから、
そのパターンから外れれば対応できない。
実際には、そっちの方がずっと多いでしょう。(^^)
こんな感じの内容だったんですね。
自分はきっと、頭が悪い方の話し方だと思って
ぼんやりと広告を見ていた記憶があります^^;
タイトルには頭がいい人、(悪い人の)話し方と明記されていますからそういうタイトルにしたからには頭のいい人の話し方についても書く必要があるはずです。でなければタイトル詐欺です。後になってからそんなものは求めるべきものじゃないなんて説を唱えても無意味です。
例えるならば、健康食品会社に送られてきた、「表示されているはずの有効成分が実際の製品に含まれていない」というクレームに対して、「そもそも健康とは毎日の生活習慣で確立するものだ、そんなものに頼るな」と答えるようなものです。理不尽際まりない。
もしノウハウ志向等の批判がしたいのであれば、別のところで言うべきではないでしょうか。少なくともこの本のレビューを引き合いに出して話すべきではないと思います。