石原裕次郎、27回忌メモリアル『夢の箱ードリームボックス』
石原裕次郎さんの27回忌にあたる今年、主演した5つの作品をDVD-BOX、ブルーレイBOXにまとめた『夢の箱ードリームボックス』が3月20日にリリースされることになり、『週刊大衆』(3月25日号)がカラーページで特集記事を組んでいます。タイトルは「幻の名作で蘇る!石原裕次郎の世界」。
5つの作品というのは、『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』『富士山頂』『蘇る大地』『ある兵士の賭け』です。同誌では、石原裕次郎作品の録音監督だった紅谷愃一氏のインタビューとともに、作品のスチール写真を並べて各作品を解説しています。リードの一部を引用します。

『蘇る大地』や『ある兵士の賭け』は、別に政治やジャーナリズム問題を語りたいわけではなく、一人の男の話なんですね。
こういう姿勢は、私の好きなテレビドラマの脚本家・鎌田敏夫氏の哲学にも通じるところがあります。政治的本音を作品の端々にうかがわせる兄の石原慎太郎氏とはそこが微妙に違います。
「五社協定」というのは、要するに当時の映画会社が俳優やスタッフを抱え込んで引き抜き防止を約束したもので、異なる会社に所属する俳優の共演や監督による作品は会社の認める例外をのぞくと実現できなかったわけです。
石原裕次郎が日活のスターでありながら石原プロを立ち上げて“独立”したのが1962年。まだ「五社協定」は健在でしたが、たとえば『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』では三船敏郎、『富士山頂』では勝新太郎、『蘇る大地』では司葉子と、日活ではない映画会社の看板俳優と共演しています。
「五社協定」は、映画会社の倒産や映画の衰退自体があって形骸化していったとは思いますが、一方ではこうした実績も俳優やスタッフには影響を与えたのかもしれないなんて思います。もちろん、私は世代的にも事情はよくはわかりませんが。
私が石原裕次郎をリアルで見るようになったのは、太ってしまった『太陽にほえろ!』からですし、『ある兵士の賭け』の千野皓司監督というと、映画監督というよりも、人的に日活の流れをくむユニオン映画制作のテレビドラマ『パパと呼ばないで』や『水もれ甲介』の演出家というイメージが強いくらいですから。
だからこそ今になって、日活映画時代の石原裕次郎という人の再評価には大いに共鳴できます。
映画人として自由とロマンを求める姿もいいし、俳優としても何しろカッコイイのです。
なお、同誌では石原裕次郎特集を「プレイバック昭和の銀幕1」と題し、次のページからは「2」として川谷拓三を特集。こちらも当時の作品やスチール写真を並べた興味深い内容になっています。
21世紀になって、映画のあり方は変わってしまいましたが、CSでは昔の映画も放送されています。当時を知るよすがとして昭和の銀幕を振り返る企画はこれからも続けて欲しいなと思います。
![週刊 大衆 2013年03月25日号 [雑誌][2013.3.11] 週刊 大衆 2013年03月25日号 [雑誌][2013.3.11]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/619Cjy5UxaL._SL160_.jpg)
5つの作品というのは、『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』『富士山頂』『蘇る大地』『ある兵士の賭け』です。同誌では、石原裕次郎作品の録音監督だった紅谷愃一氏のインタビューとともに、作品のスチール写真を並べて各作品を解説しています。リードの一部を引用します。

映画は大きなスクリーンで見てほしい-。石原裕次郎は、その俳優生活の中で3つのたたかいがあったと私は思います。ひとつは「五社協定とのたたかい」、ひとつは「男のロマンを追求するたたかい」、そして「自らの病魔とのたたかい」です。
昭和を代表する大スター・石原裕次郎(享年52)が、製作・主演した黒部の太陽なとのいくつかの作品は
裕次郎のそういった強い理念を尊重するため、これまで劇場以外ではほとんど見る機会がなかった
それがいよいよDVDやブルーレイで鑑賞できるようになる。
当時は映画業界に“五社協定”といった縛りかあり、自由な映画製作か困難な時代でもあった
その縛りを打破し、大きな変革をもたらした裕次郎の想いの成果がこれらの作品であった。
『蘇る大地』や『ある兵士の賭け』は、別に政治やジャーナリズム問題を語りたいわけではなく、一人の男の話なんですね。
こういう姿勢は、私の好きなテレビドラマの脚本家・鎌田敏夫氏の哲学にも通じるところがあります。政治的本音を作品の端々にうかがわせる兄の石原慎太郎氏とはそこが微妙に違います。
「五社協定」というのは、要するに当時の映画会社が俳優やスタッフを抱え込んで引き抜き防止を約束したもので、異なる会社に所属する俳優の共演や監督による作品は会社の認める例外をのぞくと実現できなかったわけです。
石原裕次郎が日活のスターでありながら石原プロを立ち上げて“独立”したのが1962年。まだ「五社協定」は健在でしたが、たとえば『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』では三船敏郎、『富士山頂』では勝新太郎、『蘇る大地』では司葉子と、日活ではない映画会社の看板俳優と共演しています。
「五社協定」は、映画会社の倒産や映画の衰退自体があって形骸化していったとは思いますが、一方ではこうした実績も俳優やスタッフには影響を与えたのかもしれないなんて思います。もちろん、私は世代的にも事情はよくはわかりませんが。
私が石原裕次郎をリアルで見るようになったのは、太ってしまった『太陽にほえろ!』からですし、『ある兵士の賭け』の千野皓司監督というと、映画監督というよりも、人的に日活の流れをくむユニオン映画制作のテレビドラマ『パパと呼ばないで』や『水もれ甲介』の演出家というイメージが強いくらいですから。
だからこそ今になって、日活映画時代の石原裕次郎という人の再評価には大いに共鳴できます。
映画人として自由とロマンを求める姿もいいし、俳優としても何しろカッコイイのです。
なお、同誌では石原裕次郎特集を「プレイバック昭和の銀幕1」と題し、次のページからは「2」として川谷拓三を特集。こちらも当時の作品やスチール写真を並べた興味深い内容になっています。
21世紀になって、映画のあり方は変わってしまいましたが、CSでは昔の映画も放送されています。当時を知るよすがとして昭和の銀幕を振り返る企画はこれからも続けて欲しいなと思います。
![週刊 大衆 2013年03月25日号 [雑誌][2013.3.11] 週刊 大衆 2013年03月25日号 [雑誌][2013.3.11]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/619Cjy5UxaL._SL160_.jpg)
週刊 大衆 2013年03月25日号 [雑誌][2013.3.11]
- 作者: 双葉社
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2013
- メディア: 雑誌
この記事へのコメント
裕次郎、特別な思い入れはありませんけど
やっぱりスターだなという雰囲気は感じますね。
名前だけは聞いた事があります。
協定を破った俳優やスタッフは冷遇を受けたのでしょうか?
「太陽にほえろ」の再が何回の再放送か分らないけど、それで観た太ってる貫禄アリアリの姿しかですから。。
革命的なことをなさったんですね。
昨年は石原裕次郎記念館も行っています^^
って歌詞が入っている曲が欲しいです。
今日は「かっこいい」なんてベタな表現でスミマセン。
思いをうまく伝えることは難しいですね。
みなさんのブログにお邪魔した際にまた書かせていただきます。
RuddyCat-Lalahさん。
>協定を破った俳優やスタッフは冷遇を受けたのでしょうか?
簡単に言えば「干された」わけですよね。
山本富士子はそれで「終わった」のではないでしょうか。
テレビにいっても、同じ山本でも「陽子」の方が
売れていましたし。
田宮二郎はその点、テレビで生き返りましたね。
昨年、チャリティ公開されたおり、40年ぶりくらいに劇場で観て、その折DVD化の話も出ておりましたので、心待ちにしておりました。
昨日早速予約注文したところです。
奥様のまき子さんが出られていたのですが、
それはそれは素敵な方でびっくりしました。
(素の喋りを初めて見たので)
やはりいい男にはいい女がつくのだと、
妙に感心してしまいました。