伝七捕物帳、2本の指で手締め“よよよい”明日から放送
伝七捕物帳。四代目中村梅之助主演の時代劇です。1970年代に放送されていました。事件を解決すると、親指と人差指を拍子木のように打って“よよよいよい”“めでてーな”と締めるシーンは今も記憶に残ります。
ユニオン映画が製作し、日本テレビで放送されたその伝七捕物帳全160話が、明日22日からCSのホームドラマチャンネルで放送されます。
DVDから
当時、リアルタイムで見ていた私にとって、『伝七捕物帳』は、同じユニオン映画製作の『長崎犯科帳』(萬屋錦之介主演)とともに時代劇ドラマとしてはもっとも印象に残る作品です。
ニコ動でも、「なつかしくて涙がでる」「主題歌は全部歌える」「梅之助サイコー」なんて書き込みがずいぶんありますね。
以前、時代劇専門チャンネルで放送されていたことがありましたが、今回はホームドラマチャンネルで週1回再放送ありで放送されます。
最近は『パパと呼ばないで』(チャンネルNECO)『前略おふくろ様』(日テレプラス)『男女七人夏物語』(ホームドラマチャンネル)など、CSでは気になるドラマが次々始まり、録画する番組がまた増えてしまいます。
さて、伝七捕物帳ですが、主役は黒門町(今の上野)の伝七(中村梅之介=中村梅雀の父)。江戸の岡っ引きです。といってもただの岡っ引きではありません。
もとは罪人。しかし、彼を見込んだ江戸北町奉行・遠山景元が直々に紫房の十手を与えました。
ただ、奉行が直接雇うものに与える紫房とは与力。岡っ引きはその下の同心の裁量ではたらく身分です。
つまり、伝七は「岡っ引き」でありながら、実は与力の権限を奉行から与えられている、という設定です。
そのため、一介の岡っ引きでありながら、遠山景元(中村梅之介の2役)に相談をする場面が何度か出てきます。
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伝七の下っ引には、がってんの勘太(高橋長英)とかんざしの文治(今村民路)がつき、事件の解決に奔走します。

番組から
ライバルを自称する岡っ引きとして、赤っ鼻の五平(瀬川新蔵)と下っ引のちょろ松(稲吉靖司)もいますが、彼らはもちろん伝七のように仕事はできない引き立て役です。。
その他、伝七が普段飲食や休憩に使っている居酒屋の面々も伝七を支えます。
まあ、このへんの設定は捕物帳には“お約束”です。
主題歌を歌っているのは橋幸夫。これがまたいいですね。こぶしをきかせる濃い歌い方ではなく、いかにも江戸っ子というあっさりしている歌い方です。「江戸の花」。今もたぶんフルコーラス……歌えると思います(笑)
中村梅之助は前進座の俳優です。現在も株式会社前進座の社長です。
前進座といえば、沢村、河原崎、中村、嵐、藤川など、親子孫と俳優を続ける名門が在籍し続ける伝統的な歌舞伎劇団です。
長門裕之や津川雅彦の叔父である加東大介、東宝映画で端役が多いけれど存在感のある役者だった沢村いき雄、河原崎長一郎など河原崎三兄弟の父親である河原崎長十郎、松山英太郎・政路の父親である河原崎国太郎、そして中村梅之助の父親である中村翫右衛門など、古くからテレビや映画でも活躍してきた名前が出てきます。
中村梅之助は、NET(現テレビ朝日)の『遠山の金さん捕物帳』(1970~1973年)で4年間主役を務めて世間にも名前が知られるようになりました。
前進座に映画放送部が新設され、他の座員もテレビや映画に出演するようになるのはこの頃からです。
中村梅之助は丸顔です。少なくとも時代劇の2枚目役としては“異色”です。
が、温和なキャラクターをきちんと演じ、芸術的な十手の殺陣さばきを見てからは、「それも“あり”だな」と納得させられるでしょう。
岡っ引きです。十手と、たまに万力鎖があるだけで刀は使いません。
にもかかわらず、刀を振り回す悪役と渡り合います。
いくら打ち合わせや稽古をしても、相当の技術がなければできません。
プロレスの醍醐味にも通じますが、予定調和だからこその信頼感と全面開花した技術によってうまれる名シーンなんだろうなと思います。
伝七捕物帳は、『遠山の金さん捕物帳』と同じく4年間放送されましたが、全160話。当時は番組改編期の特番はなかったので、本当なら52週x4=208話であるはず。数が足りないのは、火曜日20時に放送されていたため、4月~9月はプロ野球中継が12回放送されていたからです。
その分、撮影がないときは、前進座の舞台がスケジュールに入っていたのではないかと思われます。
何しろ、出演者は当時みんな前進座所属。そうではなかった高橋長英と紀比呂子は、早々にレギュラーから外れてしまいました。
そして、番組名物の“よよよい”も、当初は伝七と下っ引2人の計3人でしたが、いつのまにか居酒屋のレギュラーメンバー全員で行われるようになりました。
前進座というと、政党では日本共産党との関係が強いと言われ、前進座のナンバー2俳優・嵐圭史が、志位和夫委員長に質問するという構成の政見放送もありました。
が、保守的な立場の人々の支持も厚く、独立劇団としては大きな規模であった前進座劇場は、そうした幅広い支援者の募金で建てられたものです。
その前進座劇場も、今年で閉館してしまいました。
私も以前、身の程知らずにも、前進座の研究生に応募して時代劇の真髄を体験したい、などと考えた時期もありましたが、まあそれは自分勝手な夢想に過ぎません。
せめて、今の地上波には存在しない良質娯楽時代劇を明日からじっくり鑑賞したいと思います。
ユニオン映画が製作し、日本テレビで放送されたその伝七捕物帳全160話が、明日22日からCSのホームドラマチャンネルで放送されます。

DVDから
当時、リアルタイムで見ていた私にとって、『伝七捕物帳』は、同じユニオン映画製作の『長崎犯科帳』(萬屋錦之介主演)とともに時代劇ドラマとしてはもっとも印象に残る作品です。
ニコ動でも、「なつかしくて涙がでる」「主題歌は全部歌える」「梅之助サイコー」なんて書き込みがずいぶんありますね。
以前、時代劇専門チャンネルで放送されていたことがありましたが、今回はホームドラマチャンネルで週1回再放送ありで放送されます。
最近は『パパと呼ばないで』(チャンネルNECO)『前略おふくろ様』(日テレプラス)『男女七人夏物語』(ホームドラマチャンネル)など、CSでは気になるドラマが次々始まり、録画する番組がまた増えてしまいます。
さて、伝七捕物帳ですが、主役は黒門町(今の上野)の伝七(中村梅之介=中村梅雀の父)。江戸の岡っ引きです。といってもただの岡っ引きではありません。
もとは罪人。しかし、彼を見込んだ江戸北町奉行・遠山景元が直々に紫房の十手を与えました。
ただ、奉行が直接雇うものに与える紫房とは与力。岡っ引きはその下の同心の裁量ではたらく身分です。
つまり、伝七は「岡っ引き」でありながら、実は与力の権限を奉行から与えられている、という設定です。
そのため、一介の岡っ引きでありながら、遠山景元(中村梅之介の2役)に相談をする場面が何度か出てきます。
伝七の下っ引には、がってんの勘太(高橋長英)とかんざしの文治(今村民路)がつき、事件の解決に奔走します。

番組から
ライバルを自称する岡っ引きとして、赤っ鼻の五平(瀬川新蔵)と下っ引のちょろ松(稲吉靖司)もいますが、彼らはもちろん伝七のように仕事はできない引き立て役です。。
その他、伝七が普段飲食や休憩に使っている居酒屋の面々も伝七を支えます。
まあ、このへんの設定は捕物帳には“お約束”です。
主題歌を歌っているのは橋幸夫。これがまたいいですね。こぶしをきかせる濃い歌い方ではなく、いかにも江戸っ子というあっさりしている歌い方です。「江戸の花」。今もたぶんフルコーラス……歌えると思います(笑)
中村梅之助は前進座の俳優です。現在も株式会社前進座の社長です。
前進座といえば、沢村、河原崎、中村、嵐、藤川など、親子孫と俳優を続ける名門が在籍し続ける伝統的な歌舞伎劇団です。
長門裕之や津川雅彦の叔父である加東大介、東宝映画で端役が多いけれど存在感のある役者だった沢村いき雄、河原崎長一郎など河原崎三兄弟の父親である河原崎長十郎、松山英太郎・政路の父親である河原崎国太郎、そして中村梅之助の父親である中村翫右衛門など、古くからテレビや映画でも活躍してきた名前が出てきます。
中村梅之助は、NET(現テレビ朝日)の『遠山の金さん捕物帳』(1970~1973年)で4年間主役を務めて世間にも名前が知られるようになりました。
前進座に映画放送部が新設され、他の座員もテレビや映画に出演するようになるのはこの頃からです。
中村梅之助は丸顔です。少なくとも時代劇の2枚目役としては“異色”です。
が、温和なキャラクターをきちんと演じ、芸術的な十手の殺陣さばきを見てからは、「それも“あり”だな」と納得させられるでしょう。
岡っ引きです。十手と、たまに万力鎖があるだけで刀は使いません。
にもかかわらず、刀を振り回す悪役と渡り合います。
いくら打ち合わせや稽古をしても、相当の技術がなければできません。
プロレスの醍醐味にも通じますが、予定調和だからこその信頼感と全面開花した技術によってうまれる名シーンなんだろうなと思います。
伝七捕物帳は、『遠山の金さん捕物帳』と同じく4年間放送されましたが、全160話。当時は番組改編期の特番はなかったので、本当なら52週x4=208話であるはず。数が足りないのは、火曜日20時に放送されていたため、4月~9月はプロ野球中継が12回放送されていたからです。
その分、撮影がないときは、前進座の舞台がスケジュールに入っていたのではないかと思われます。
何しろ、出演者は当時みんな前進座所属。そうではなかった高橋長英と紀比呂子は、早々にレギュラーから外れてしまいました。
そして、番組名物の“よよよい”も、当初は伝七と下っ引2人の計3人でしたが、いつのまにか居酒屋のレギュラーメンバー全員で行われるようになりました。
前進座というと、政党では日本共産党との関係が強いと言われ、前進座のナンバー2俳優・嵐圭史が、志位和夫委員長に質問するという構成の政見放送もありました。
が、保守的な立場の人々の支持も厚く、独立劇団としては大きな規模であった前進座劇場は、そうした幅広い支援者の募金で建てられたものです。
その前進座劇場も、今年で閉館してしまいました。
私も以前、身の程知らずにも、前進座の研究生に応募して時代劇の真髄を体験したい、などと考えた時期もありましたが、まあそれは自分勝手な夢想に過ぎません。
せめて、今の地上波には存在しない良質娯楽時代劇を明日からじっくり鑑賞したいと思います。