六郷の渡しから万年屋へ(旧東海道川崎宿を歩く)

六郷の渡しから万年屋へ(旧東海道川崎宿を歩く)

六郷の渡しの碑を見てきました。旧東海道が、現在の東京の日本橋をスタートして品川、大森と南下。東京都と神奈川県の境である多摩川を越えた川崎側の土手にあります。東海道五十三次川崎宿に入る入口として現在は碑とともに解説板が建てられています。そして旧東海道に沿って歩いて行くと、奈良茶飯が名物と言われた旅籠の万年屋の跡にたどり着けます。


昨日、東海道かわさき宿交流館を訪ねました。

東海道かわさき宿交流館

そして、旧東海道五十三次の川崎宿とよばれる区間には、現在も多くの旅籠や茶屋、神社、寺院、墓地、会所など、当時の様子をうかがえる建築物や碑・解説板があることを知りました。

そこで、不定期になりますが、川崎宿区間のそれらを訪ね、このブログに書き留めておこうと思います。

今日は、東海道かわさき宿交流館が発行している「東海道川崎宿の見どころ」というまち歩きシートに書かれた航空写真の1番と6番、そしてその途中、旧東海道関連ではありませんが、現在の京急電鉄、当時の京浜電気鉄道の旧六郷橋駅を通ります。

東海道川崎宿・六郷の渡万年屋
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六郷の渡し


六郷の渡しの碑と解説板です。背後に見えるのは、国道15号線の新六郷橋です。東京から多摩川を越えて神奈川に入ってすぐのところです。

六郷の渡しの解説板

川崎市の解説によると、徳川家康が1600年にいったんは六郷大橋を架けたものの、1688年(元禄元年)7月の大洪水で流された後は、明治になるまで船渡しになったそうです。船渡しは当初は江戸の町人が請負い、やがて川崎宿で請け負うようになったとか。

明治天皇行幸の際には、船橋をかけ渡ったと絵とともに解説されています。

船橋をかけ渡った

六郷橋駅の跡


いよいよ旧東海道川崎宿区間を歩き始めますが、電柱には旧東海道ではないのですが川崎宿の史跡の一つとして、大師電気鉄道の六郷橋駅跡という表示があります。

大師電気鉄道の六郷橋駅跡

実際には、大師電気鉄道ではなく京浜電気鉄道に改称されてから作られたものらしいのですが、とにかく旧六郷橋駅も確認できました。駅は残っていませんが、駅だったところが残っています。

旧六郷橋駅下りホーム跡

これを撮ったのは上の橋の西側からですが、橋の東側は、『男女7人秋物語』(1987年、TBS)で、今井良介(明石家さんま)と神崎桃子(大竹しのぶ)の関係が復活するきっかけとなる場面のロケが行われています。

『男女7人秋物語』のロケ
『男女7人秋物語』より

それはすでに、このブログの、「『男女7人秋物語』京急大師線旧六郷橋駅前で「戦後最高」の恋愛場面」でご紹介したとおりです。

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万年屋


六郷橋駅跡を出て、碑に従って旧東海道を歩きます。

旧東海道の碑

するとOKストア川崎本町店が。ここは他のスーパーよりもさらに安いのでいつも使っています。

okストア川崎本町店

それはともかくとして、お店の正面入口横に、「東海道川崎宿史跡めぐり」というタイトルで、旧東海道五十三次川崎宿の解説板があります。

東海道川崎宿史跡めぐり

そしてその向かいにあるのが、万年屋という旅籠の解説板です。

万年屋の解説板

東海道かわさき宿交流館の解説によると、万年屋にはアメリカ総領事館ハリスが宿泊し、皇女和宮も訪れたという言い伝えが残っているとか。そして、実際に万年屋があったのはその解説板のところではなく、まさにOKストアがあったところだそうです。

スーパーが、わざわざ解説板を設置しているのは、そういう理由だったのです。

次回は、旧東海道を南下する前に、川崎大師に分岐する大師道に寄ってみたいと思います。

川崎本 (エイムック 2528)

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エイ出版社
  • 発売日: 2012/12/24
  • メディア: 大型本