加藤武、訃報で『仁義なき戦い代理戦争』を思い出す

加藤武が亡くなったという報道で持ちきりです。加藤武といえば、文学座代表の肩書ながら、舞台だけでなく、テレビドラマや映画にも俳優として数多く出演しました。中でも、『仁義なき戦い代理戦争』(1983年、東映)において、広島の実業家で、かつ任侠の世界でも大きな役割を果たした、打本昇を演じたのが印象に残ります。(画像は『仁義なき戦い代理戦争』より)加藤武については、昨年10月の「第2回蒲田映画祭(シネパラ蒲田)」において、「小沢昭一的こころの部屋…戦争っていやだ。平和で行こうよ」というスペシャルトークショーを行ったことを記事にしました。

Google検索画面より
ポスターには、加藤武と小沢昭一という2人の俳優の顔写真が出ています。
第2回蒲田映画祭、蒲田から始まった戦後邦画界を振り返る

会場の外壁に飾られたパネル
これは、本当なら、小沢昭一との対談だったものが、小沢昭一の急逝により、加藤武が小沢昭一の分までがんばって話したトークショーです。
そこから1年もないうちに、今度は加藤武が死去してしまったのですね。
加藤武と小沢昭一は、麻布中学・高校の同級生でした。

小沢昭一を紹介するGoogle検索画面
文学座代表の加藤武ですが、実は文学座は“出戻り”で、1度は小沢昭一らと新劇団を旗揚げしています。
同級生にはフランキー堺もいました。

Google検索画面より
加藤武が小田原町(今の中央区築地)、フランキー堺が大田区池上、小沢昭一が大田区女塚(今の西蒲田)と、“郷土愛の人”であるところが共通しています。
そして、同じ早稲田大学で学んだ北村和夫とは、文学座俳優として長く盟友としての関係を築きました。
『仁義なき戦い 代理戦争』で、対決する山守親分を演じた金子信雄については、「文学座の大先輩と共演できた」と共演を喜びました。
加藤武は、人とのつながりを大切にする人だったのだろうと思います。
広島のタクシー会社を経営する親分を演じる
これまで、加藤武も出演していた映画については何度かご紹介しましたが、現在手元にあるのは、『仁義なき戦い』シリーズの第3弾、『仁義なき戦い 代理戦争』(1983年、東映)です。
呉にあった美能組の美能幸三氏が手記にし、それを飯干晃一氏がノンフィクション小説としてまとめた『仁義なき戦い』が原作の実録映画です。
すでに書物などで明らかにされている経緯をたどりますと、当時、山口組は全国制覇の真っ最中で、すでに福岡や山陰の有力組織に盃をおろしており、山陽道が懸案でした。
そこで、広島東洋カープの樽募金などで知られ、市内3番目のタクシー業者というれっきとした実業家でありながら、任侠の世界にもかかわっていた打越組と舎弟盃を交わします。
が、それは広島の任侠界の独自性から「神戸の風下に立った」と反発があり、呉の山村組は、山口組とともに大きな組織だった本多会と、“ごっすん”(対等)の兄弟盃を交わし対抗します。
それはすなわち、広島の抗争は、山口組と本多会のたたかいの代理戦争だった、という意味で映画のタイトルがついているのだと思います。
原作と同じタイトルですが、映画の登場人物は、すべて名前を変えています。
ただし、実録映画なので、菅原文太が美能幸三氏役で、小林旭も、成田三樹夫も、田中邦衛も、山城新伍も、室田日出男も、内田朝雄も、それぞれ当時の誰の役であるかはすぐにわかります。
加藤武は、「打本昇」という役名ですが、これはもう、打越会長とすぐにわかる名前です。

『仁義なき戦い 代理戦争』より
対向する「山守義雄」もしかり。これは金子信雄が演じています。
「打越さんはいい人じゃ」「いい社長じゃ」という評判はあっても、「いい親分じゃ」という声はなかった、というエピソードがあるのですが、実業家で盃のしきりたりも知らず、任侠の人間としての性根にも疑問符がつく打越氏のふるまいを、加藤武がうまく演じています。
加藤武自身は、いい人であり、またいい俳優だったと思います。