一人ぼっちでも大丈夫?改めて日本人の“群れたがり気質”を嗤う

一人ぼっちでも大丈夫?「友達ゼロ」の人の結末、という臨床心理士氏の諸富祥彦氏(明治大学文学部)のインタビューが話題になっているので読んでみました。同窓会などからは足が遠のき、会社の人間と休日まで交流する気にはなれず、ふと気がつけば「友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ、そんなケースについて話を聞いています。

これが記事のリンクです。
一人ぼっちでも大丈夫? 「友達ゼロ」の人の結末 というコラムについて「少し安心した」など
https://togetter.com/li/1121798
どういう内容かといいますと、東日本大震災後、「誰かとつながること」の大切さが叫ばれていますが、どんな調査を見ても「友達はいない」という層は5~6%は存在。
「絆全盛」の今、友達が少ない人はまずいことなのでしょうか?
結論から述べますと、まずくない、無問題だそうです。
「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ、よほど問題だと思いますよ」
「ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させる上で強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。」
とのことです。
「同僚と昼食を取らない人はどこか問題がある」「単独行動が多いのはわがまま」と認定する価値観については?
「昼休みぐらい「一人の時間」を作らないと、いいアイデアなんて浮かびません。本当に優れた発想というのは、一人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれるもの」
「孤独は寂しい、良くない」と考え、とかく群れたがる傾向が強い理由は?
「背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という 同調圧力があるのだと思います。」
初等・中等教育では、スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は別として、教師や親は口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立てば確実に良からぬことが起きる。
「友達が少ない人」はもちろん、「ランチを一緒に食べない人」も「社員旅行や飲み会に消極的な人」も、みんな“集団になじめないかわいそうな人”になる。
一方、「群れる」「つるむ」ことは、本来なら孤独の中で自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる便利な道具で、「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」という根拠なき自信を持てるようにもなる。
しかし、無理な同調は、いずれ精神的に追い詰められてしまう。
ときとして「友人」を些細なことで手をかけるような事件、そんな関係の末に起こった暴発なのかもしれません。
孤独に生きようと思いながら躊躇している人の中には、「あまり他人と距離を置きすぎると、いざという時に誰も助けてくれなくなるのでは」と考える人もいるが?
「広く浅くの表面的な関係で結ばれた友達が、いざという時に、本気であなたを助けてくれると思いますか。深い人間関係は、「孤独を知った者同士」の間にこそ生まれる。人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きるしかない。」 ゜
「孤独を引き受けた者同士だから、分かり合うための努力をする。孤独を知った者同士だからこそ響き合える、深い出会いがあるんです。」
そんな話です。
もっと手短にまとめたかったのですが、大変面白く共感できる記事なので、長くなってしまいました。
一人ぼっちでも大丈夫? 「友達ゼロ」の人の結末 https://t.co/fBFaQfMSd3
— 江川たまよ (@msegatama) 2018年7月4日
同調圧力というのは、もう立派な暴力ですね。
それにしても、私は、記事の内容自体は肯定的に受け止められますが、そもそもいちいち臨床心理士に確認して記事にしなければならないことなのか、ということに驚いています。
つまり、それほど現代は同調圧力に満ちた人間関係なんでしょうね。
友情◯じきにならないためには?
中崎タツヤの漫画に、何かと言うと「お前友達いないんだろう」と言って相手を罵った気になっている奴が、逆に、「友情こ◯き」と言い返されるシーンがあります。

私たちが「友情こじ◯」にならないためにはどうすればいいでしょう。
私見ですが、
1.お義理年賀状をやめる勇気を持とう
2.ブログやFacebookのおかしな投稿には「それは間違い」「そうは思わない」と書こう
3.自分が価値を感じない集まりは無理に参加しない
私は7年前の火災で、親類の連絡先すらわからなくなりましたが、それでも先方から年賀状は来ていました。
が、プライベートなものについては、結局一切やめました。
お義理で表面的な付き合いをいくらふやしても、深まった関わりにはならないし、いざという時に助けてくれるわけでもないからです。
それだけではなく、今も失礼なやつには、遠慮なく「失礼だ」と文句言いまくっています。
ただし、それは自分のわがままではなく、道理や常識のともなった正当な主張に限りますよ。
当たり前の主張を行って、それで切れたら、それだけの関係ですから。
上記の記事では、いちいち群れずに、一人のプロフェッショナルとして孤独に仕事をする習慣を身に付けることが必要なのではないか、と結んでいますが、私は、それにはまず、孤独に生きる人間としてのプロフェショナルであるべきと考えています。
みなさんは、孤独に耐えられますか?

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孤独が人生を豊かにする
この記事へのコメント
同じぐらいイタイ人ですね。
友情こじ◯さんは。
そもそも日本人、「友達」という概念が実に曖昧ですよね。もっと言えば、この「友達」という言葉には、「物欲しさ」さえ感じます。フランス人の友人(←この人は「友達」と称して間違いない人です 笑)が日本へ来て間もない時に宴会的なものへ出席、そこで初めて会った中年の日本人男性が、最初はぜんぜん無口だったのに、酔っぱらった途端にフランス人の肩を抱きながら、「友達、友達」と連呼したそうです。「はじめて会った知らない人に友達と言われた」と、心底怪訝な顔をしておりました。多くの日本人の「友達」って、そんなものだと思います。
そもそもわたしの感覚では、「独りでいられない」という精神が許し難いし、それ以上に許し難い以上に犯罪的とさえ思うのが、「独りでいる人をさげずむ連中」です。言うまでもなくこうした連中は、「自分が独りになることを最も恐れている最低の臆病者たち」なのですよね。だからこそ、「インチキの友達関係を持っているふり」をして、「多数派の中にいるという妄想」を確認したいがために、「独りでいる人」を「勝手に少数派と決めつけて」さげずんでいるのだと思います。見下げ果てた連中ですよね。
このテーマはわたしにとってもとても大事なものでして、お話は止まらなくなりそうですが、ここはもう一つ大切な点を書かせていただいて締めたいと思います。
「独りでいる時、人はとても美しい場合が多い」・・・もちろん佇まいにもよりますが、カフェで4~5人でギャーギャー言ってる女性たちと、独りで文庫本などを開いている女性と、どちらが美しく見えるかと言えば、もう歴然。それは男性にも当てはまることだと思います。
びっくりドンキーなのですが、調べてみますと、やはり店舗によって煙草への対応が異なっているようです。高知インター店の場合は、「時間・曜日禁煙」と「喫煙ルームあり」にカテゴライズされておりました。わたしがいつも全面禁煙のスタバなどを利用していることもあり、何となくメジャーな飲食のチェーン店は禁煙が普通かなというイメージが出来上がっていたのですが、案外そうでもないのかもしれません。こうしたこともまたいろいろ調べてみたいと思いました。
いつもお話しさせていただいているように、うちは母にカロリー知識もまったくない(笑)ですから、わたしがいつも頭を悩ませながら献立を考えております。食欲が旺盛なのは、健康状態総体としては有難いことだと思っておりますが(この前もびっくりドンキーのコロコロステーキを完食 笑)、脚腰痛があってウォーキングなどエクササイズもままならず、肥満状態は容易には改善しません。わたしに時間も資金も十分にあれば、自分のためも含めていろいろ凝った料理をやってみたいのですが、現在どちらも不足している(笑)状態ですから、限られた資源の中で工夫しております。ちなみに母は料理が不得意で、具材を切ることのみは得意としております(笑)。
カロリー計算の方は以前まとめて勉強したことがあるので、具材と量を見れば、だいたいは分かります。ただ、人間の身体って、カロリー計算してやっていても、いろいろな検査数値はなかなか思惑通りにはいかないことも多々ありますね。
日焼けサロンで焼いた肌って、逆に不健康な印象があるのですが、最近のレスラーは凄味よりも見た目重視と言いますか。もちろん昔からプロレスラーは見た目重視ではありますが、よりファンに媚びているのが現在ではないかと。
プロレスラーに限らず、白人でも日焼けサロンで焼いてると思しい人たちがいて、「日焼け=健康的」というイメージに憧れているのだと思いますが、どうも日焼けサロンに「健康的なイメージ」を求めるというのは、価値観が混乱しているとしか思えないのです。 RUKO
同調したくない場合もありますから、敢えて一人を好む場合もありかと思います。
それが孤独だとは思わないので…
友達がいようがいまいが、それぞれ個人のことで、
他人がとやかく云うことではないと思っています。
家族の次に大事なひとがいる人生も素晴らしいと思います。
(特に、女性一人では。。)
今は、普通になっていますが。。
付き合いはちゃんとしてますが、自立した生き方をしたいですね。
高校の頃から当たり前だと思っていた「ひとり映画」も、いまだにいい歳をした大人に驚かれることがあります。驚く人がいる事が私にとっては衝撃だったのですが^^;
古くから続いている友人はいますが、いっぷくさんもおっしゃっている「自分が価値を感じない集まりは無理に参加しない」を奇遇にも最近感じていたところです。
今は組織に属さず一人気ままで好きなようにやっているんで、周囲から見れば「孤独」でしょうが本人にとっては「楽園」です。(笑)
トイレに行く人たちに違和感がありました。
仲が良い友達かと思えば、
いない所では悪口で変な繋がりだと思ってました。
大学では、ツルム光景がなくて良かったです。
私自身、友達もいましたが『お一人様』が好きです。
いましたが、昔から一人でいるのが楽でした。
今はマンションの役員をしているので
多くの人達と接していますが
役員としての事で個人的付き合いはないです。
一人でいることのほうが楽です。
年賀状も昔から出さないのでこないです。
今の私に勇気をもらえた気がします。それにしても「友情こじ◯」とは面白いですね。
そこで出る話が前向きなものならまだいいけど、上司の愚痴とか家庭のつまらん話など聞きたくもないです。そんなもん一人で考えて決めろ…でしたね(^^;
一人になると言うのと、一人にならされる
なってしまうと言うのも少し違う気はしますが。
クラスメートの噂話よりも
空をぼんやり眺めている方がよっぽど楽しかったので
「変な人」みたいな扱いをうけてました
友達多い奴が価値がある奴という誤解。
諸富祥彦氏のインタビューは、友人を作ってはいけないということではなくて、友人に依存しない生き方はちっとも悪くないし、人生には孤独が必要な場面もあるという話だと思います。
私は「自分流(話が合う)友達が居れば十分ですね~
精神科に行ったら「甘えんな」
薬飲んだら「ヤク中」
助けてと言ったら「自分でなんとかしろ」
辛いと言ったら「みんな同じだ」
自殺したら「迷惑」
自殺したら「なんで相談してくれなかったの」
自分は何も提案もできないくせに
罵倒ばかりしてくる世の中
だいぶ生きにくいね。
「一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件である。」(エーリッヒ・フロム)