石井ふく子、ホームドラマひとすじ60年に思う伊志井寛との関係

石井ふく子プロデューサー(1926年9月1日~)は、92歳の誕生日を迎えました。17日には、『渡る世間は鬼ばかり3時間スペシャル2018』を放送するそうですね。過去にも記事にしたことはありますが、今日は改めて石井ふく子さんについて書きます。

石井ふく子プロデューサーといえば、平成世代でも名前はご存知ですよね。

Google検索画面より
テレビ開局時から約60年間、ホームドラマひとすじに制作に携わってこられた方です。
“おばけ番組”と呼ばれた、『肝っ玉かあさん』

Facebookタイムラインより
『ありがとう』といった高視聴率の連続ドラマ、

劇中より
『女と味噌汁』『カミさんと私』『おんなの家』など、TBSの“日9”、東芝が単独でスポンサードしていた東芝日曜劇場枠で次々ヒット作を生みました。
TBSはかつて、「ドラマのTBS」などといわれましたが、石井ふく子Pの貢献は大きかったとおもいます。
そして、平成に入ってからは、『渡る世間は鬼ばかり』でお馴染みですね。
石井ふく子さん92歳のお誕生日会。
— 西郷輝彦 (@teruhikosaigo) 2018年9月1日
71歳の私がガキのように、
あれこれお説教頂いたのでした。
男優陣も当然ながら、女優陣のすごいこと。 pic.twitter.com/cNWOkTQaDF
「ホームドラマは心の事件」というのは、石井ふく子プロデューサーの持論ですが、事件を扱いたいのなら、時代劇でも刑事モノでもいいわけです。
どうして、そんなにホームドラマにこだわれたのか。
私がふと思ったのが、伊志井寛に対する恩讐です。

Google検索画面より
石井ふく子は、芸者・三升延の娘で、小さいときから祖父母の籍に入れられて育てられたそうです。

『女性自身』(2014年10月14日号)
三升延が俳優の伊志井寛(石井寛)と再婚しても、伊志井寛は入籍も養子縁組もしてくれず、後に実母の三升延と養女の手続きをして、やっと「石井」になったそうです(Wikiより)
要するに、石井ふく子Pは、家庭や親子関係など家族縁がうすい「ほしのもと」であり、「心の事件」自体が起きようがなかったので、ドラマの親子喧嘩や嫁姑の確執などは、「こんな経験したかった」という具現かもしれません。
どうして伊志井寛は入籍すらしなかったのか、このあたりの事情は全く分かりませんが、継父の伊志井寛を憎んでいるのかと思いきやそうでなさそうで、『カミさんと私』や『ありがとう』などで、父親役にキャスティングしています。
入籍はしてもらえなくても、伊志井寛のことが好きで、「伊志井寛の家庭」をドラマにしてみたかったのでしょうか。
それとも、親に可愛がられなかった子ほど親に認めてもらいたくて親孝行になるという話がありますが、似たような感情があるのでしょうか。
そう考えると、石井ふく子ドラマを知るには、石井ふく子という人をもっと知りたい、という気持ちにさせられます。
『渡る世間は鬼ばかり』の意義
さて、今回の『渡る世間は鬼ばかり』は、記者会見によると、夫婦をテーマにするそうです。
【渡鬼】記者会見1/3 184歳最強コンビ・石井ふく子氏&橋田壽賀子氏、驚愕のトークに一同唖然!!【TBS】 https://t.co/kyHPzxYQcS
— TBSテレビYouTuboo (@tbsyoutuboo) 2018年8月31日
以前、私は、「『ありがとう』(平岩弓枝作)に比べると、『渡る世間は鬼ばかり』(橋田壽賀子作)はあまり興味を持てない」ということをブログ記事で書いたことがあります。
それに対して、「平岩弓枝と橋田壽賀子を比べるとは何事だ」というような批判を受けたのですが、私は決して、平岩弓枝>橋田壽賀子と、おもっているわけではありません。
先日の、山口瞳のところで書いたように、作家というのは、書くことをためらってしまうようなことでも書ききってしまう、現実に埋没しない強靭な精神力が必要です。
どんな精神構造をしていても、30年以上、嫁姑だの継母だののイビリを書き続けるというのは、並大抵のことではないとおもいます。
私が『渡る世間は鬼ばかり』を見る気がしなかったのは、第1部の藤岡琢也と山岡久乃演じるサラリーマンの退職者夫妻が、ナニナニ家を守るという大義を振りかざして娘5人の結婚問題に干渉していたので、「無産階級のリタイア夫婦に継がせる家督なんてねーだろ」と、アホくさくて見ていられなかったのです。
でも、現実に、家制度に囚われて子どもにとって迷惑な老親は巷間たくさんおられるわけで、だから橋田壽賀子の脚本は、私の趣味とは別に、世情を映し出すドラマとして必要なのだろうとおもいます。

石井ふく子Pのドラマ、ご覧になったことありますか。

あせらず、おこらず、あきらめず

橋田壽賀子ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」2017年3時間スペシャル
この記事へのコメント
いくつかは見ていました。
ただ石井ふく子の来歴に関してはまったく知らなかったですので、今回のお記事を拝読し、(なるほど)と考えさせられております次第です。この前の私小説の話題とも繋がりますが、創作者にとって家庭環境や私生活は大きなインスピレーションの源でありまして、それが作品に直接描かれていることもあれば、一見荒唐無稽な内容でも、よく観察すれば、様々な形で反映されているといったこともあります。だからこそ「作品研究」と並んで「作家研究」も必要となるわけでして、今回のお記事も、いっぷく様ならではの「石井ふく子研究」ということで興味深く拝読させていただきました。
一般的に、特に幼年期からローティーンまでの間に精神的な欠落感を抱いてしまうと、その影響は生涯続くことが多いようです。お記事を拝読しながら、驚異的なキャリアを誇る石井ふく子にもそうした影響が生涯続いているのだろうとあらためて感じました。
>「こんな経験したかった」という具現
これはとても深いご指摘で、多くの場合、「自分の経験を下敷きにした」人物設定やストーリーを生み出すのですが、「なかったこと」も創作の大きな原動力となり得るのですね。
実はこの前、BSで放送している『ありがとう』を観てみたのですが、じっくりと描かれた人間模様は観応えがありますね。俳優たちも役作りと役の成長にじっくり取り組める時代だったのですね。大袈裟な演出も大袈裟な演技も必要なく、実に上品で心地よく観ていることができました。水前寺清子が若くて、わたし今の水前寺清子もとても好きなのですが、若い頃には確かにアイドル的な輝きもあったのだとよく分かりました。
>彼女だけでなく当時はそういう女性が多かったですね。
嫌ですね~。そういう風潮をメディアが煽りまくってましたよね~。そんな風潮にぬけぬけと乗って、「男は三高じゃないと~」なんて言ってた女性はすべてバッドライフを送っていてほしいというのが本音です(笑)。もちろんその3つとも、理解できる部分はあります。慎重に対する要求にしても、確かにそれはわたしも「女性の身長に対する好み」はありますから。具体的に申せば、「155~164くらい」が好みですが(笑)。ただそれもすべて「中身」あっての話であって、「三高」とか言って、「中身」と関係ない要素だけずらり並べられると、(アホか!)という気分にはなります。「現実」を真正面からしっかり見れば、性格の悪い人間とは生活をともにできないことくらい分かりそうなものなのですが。
でも昨今はまったく異なる調査結果となっているようですね。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/07/news097.html
「高学歴」なんて最下位で(笑)、「高身長」もとても低いランクになっています。わたしはよく平成の社会や文化傾向について批判をしておりますが、この点に関しては現在の方が正気なのかなという感を持ちました。
ダブルイリミネーションについてお教えいただき、ありがとうございました。テニスのグランドスラムは前半戦でスター選手がばたばた負けてしまうと、クライマックスで地味~な選手が揃ってしまうこともあるんですよね。やはりベスト8の中の少なくとも5人は知名度の高いスター選手でないと盛り上がりません。ダークホースは8人中、3人いれば十分です(笑)。その点、ダブルイリミネーションはおもしろいシステムですね。
樹木希林のメッセージ、拝読させていただきました。樹木希林の年季の入った意見に納得です。
9月1日に若い人の自殺が多いということで、テレビを含めいろんなメディアが特集を組んだり、メッセージを送ったりしていますが、わたし最近よく思うのですが、「弱くてもいいんだ」「逃げてもいいんだ」というメッセージも大切ですが、近年そちらへ偏り過ぎているような気がしています。すべての人間が弱さを持っているのですけれど、「弱いままでいい」だけでは人生苦しいばかりなのではとも考えてしまいます。RUKO
『渡る・・・』よその家庭は気にならないので(笑)
観てないです。
でもそれは作家の「差」ではなくて、
時代背景や個性の違いだと思います。
「ありがとう」になると鼻につき始めて
でも、石井ふく子さんの経歴は存じませんでした。
家庭の味をあまり知らない人がホームドラマを作る・・・
ちょっと考えさせられますね。
今の僕の家内のようです、
合同写真の石坂浩二さんとは同年代です^-^
TBSの代表的なドラマでしたね!
経歴を知りませんでした、幸せでないところが後の人生の糧に
なっているんでしょう。
石井ふく子Pがいまも現役なのは素晴らしいことです。記事を拝見して、石井ふく子Pが伊志井寛をキャスティングしていたことと伊志井寛死後の遺産騒動とは感情的に繋がるように思えました。