永田雅一、英雄主義に憧れた活動屋が最後に制作した『成熟』

永田雅一さん(ながたまさいち、1906年1月21日~1985年10月24日)の命日です。映画会社・大映の社長であり、プロ野球球団のオーナーであり、かつパ・リーグの初代総裁だった人です。大言壮語の語り口から、永田ラッパの愛称でも知られました。(上の画像はGoogle検索画面より)

映画の大映では、『羅生門』のヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞(1951年)や、国際的に名声を得た大作をいくつも手掛ける一方で、山本富士子、田宮二郎など自分が育てた俳優を五社協定で追放して結局大映は倒産。
野球では、私財を投げ売って東京球場を作る一方、優勝監督の西本幸雄を辞任に追い込んだり、現場介入も行ったりして、結局は球場も球団も手放すことになりました。
でかいことをやり遂げる一方で、問題も残した「功罪」のこれほど多い人生もないでしょう。
以前、日蓮宗の総本山である、東京大田区の池上本門寺には、『墓閥』という表現で、親しかった著名人同士の墓が近くに建ててあることをご紹介しました。

永田雅一の墓は、墓の周りが石塀や植木などで、一般の人が参拝することはできません。


池上本門寺には、プロレスラー力道山の墓があることをご紹介しました。

そこから通路を1つ挟んで、右翼のフィクサー・児玉誉士夫、
その児玉誉士夫の墓の向かいに、永田雅一の墓があります。

そのななめ向かいには東声会会長・町井久之、

さらにその奥には、衆議院議員だった大野伴睦、

そしてその隣には、東京スボーツ会長の太刀川家の墓が並んでいます。
あと、引っ越しましたが、河野一郎の墓もありました。
Wikiの「永田雅一」によると、永田雅一は、「戦後、河野一郎や岸信介との交流から、一時政界のフィクサーとなっていた時期があった。特に警職法改正で閣内が分裂した際に当時の岸首相が大野伴睦に対してされたとする政権禅譲の密約を交わした際に萩原吉太郎、児玉誉士夫とともに立会人になったとされている。」と書かれています。
つまり、ヒーローレスラー力道山を含め、保守政治家・右翼・裏社会・マスコミという、“裏で支配層を支え動かす人々”のつながりがすでに公然としており、永田雅一もその一人であると墓閥をもって自ら証明しているのです。
では、永田雅一が、根っからの右翼・反動思想だったかというと、そうではなく、Wikiには、青年期には「英雄主義的な気持ちから次第に社会主義にかぶれていった」とあります。
もちろん、英雄主義=社会主義者ではありません。
ただ、某新聞社グループの代表も、かつては日本共産党党員であったことを明らかにしているように、「英雄主義」のあらわれとして、青春時代に「反体制」に憧れるパターンはよくある話なのです。
それをいずれ、若気の至りなどと自己批判するわけですが……。
興味深いのは、永田雅一の場合、その「青年期」を必ずしも否定しているわけではないように思えることです。
「制作、永田雅一」としての最後の作品では、「家制度」に翻弄される男女高校生の苦悩を描く革新的な作品を作っています。
これも以前ご紹介しましたが、『成熟』という映画です。
『成熟』(1971年、大映)

『成熟』は、Amazonプライムビデオで観ることができます。
すでに、大映は社宅も抵当に入っていたといわれる頃ですが、関根恵子と篠田三郎をコンビで有終の美を、という気持ちは十分に伝わってくる作品です。

プライム・ビデオより
舞台は山形庄内地方。
漁師の一人息子である水産高校の男子生徒(篠田三郎)と、農家のひとり娘である農業高校の女生徒(関根恵子)が、互いに好意を抱きながらも、家業を継がなければならない立場のため、将来がむずかしい恋愛に悩みますが、周囲の励ましで吹っ切れるという話です。

プライム・ビデオより
「吹っ切れる」といっても、いつか家を捨てるつもりか、相手を完全に諦めるのか、どう吹っ切れたのかまではっきりとは描かれていません。
ただ、いずれにしても、「家制度」は諸悪の根源として描かれており、それが意外でした。
保守的な思想を映画にそのまま持ち込むことはしなかった点に、『活動屋』としての矜持を感じたのです。
山形花笠まつりほか、地元ではお馴染みのお祭りや、地域の様子を紹介する観光映画にもなっています。
永田雅一さん、ご存知でしたか。

Amazonプライム・ビデオ
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ラッパと呼ばれた男―映画プロデューサー永田雅一
この記事へのコメント
こうして拝読させていただきながら強く感じるのは、永田雅一の時代の日本は、政治、映画、野球、プロレスが強く結びついていたことですね。さらにその底流に財界と裏世界が結び付いている。それはつまりこれら分野の世界が中心となって昭和史を築いてきた事実に他ならないのだなあと感じます。黒い部分や影の部分がやたらと多いのもより興味をそそるポイントですね。
「英雄主義」という言葉はおもしろいですね。ぶっちゃけわたしの父もプチ英雄主義のようなものだったと思います。マルクス・レーニン主義については一切知らず、知るつもりもなく、「反権力・反体制」が人間として正当だと素朴に信じ、そして「そんな自分」をカッコいいと思っているのです。その際、「権力」や「体制」といった言葉についての吟味はされていないのも特徴です。保守派として知られている人で左翼からの転向組は多いですものね。西部邁なんかもそうだったですし。学生運動をしてた人たちが、卒業後はあっさり大企業に就職したというお話も、昭和を彩る(笑)伝説的エピソードの一つでしょうね。
『成熟』は例によって(笑)未見なのですが、観たいです~。関根恵子・・・。そしてこのジャケットは関根恵子が稲穂の中にいるのでしょうか。あるいは合成なのでしょうか、稲穂の中に裸で入ったら、お肌が大変ですよね。でも稲穂とか草むらとか麦わらの束とか、すごく映画的だと思います。
>私は納得行くまで何度でも見るので
そうですよね。特にお気に入りの作品、そして傑作とされる作品は何度観てもおもしろいし、観れば観るほど新しい発見があります。作品の奥深さを知るには一度の鑑賞で足りるわけもなく、その上わたしの場合は新作もどんどん観たい方で(笑)、さらに未見の過去作品も山ほどありますから、上手に取捨選択をしていかねばならないと最近つくづく感じております。ここが悩ましいところでもあり、しかし豊穣な世界の中にいられる快楽でもあるというところなのだと思います。
岸恵子をわたしが知った頃の印象は、「フランス人監督と結婚した人」「人前で立派に喋る人」という感じで、『悪魔の手毬歌』なども観たのですが、「魅惑的な美人女優」というイメージはまったくなかったのです。だから若き日の作品は実に新鮮です。「新鮮に鑑賞できる」のは日本映画黄金期の他の女優についても言えるのですが、特に岸恵子は「立派に演説する人」のイメージが強かったので、若き日は別人のように感じられます。
ジャニーズについては現在あまりに溢れ返っているのでついきつい書き方をしてしまいがちですが、極力客観的に考えようと、今まで手を出さなかったジャニーズ関係の本などを読んで知識を増やす試みをしております。
>そうしてしまったメディアの問題があるとおもいます。
これはまったくおっしゃる通りだと思います。何なんでしょうね、昨今のメディアのあらゆる局面で停止した状態は。クレージー映画とバナバマンの比較はまさしくメディアの現状を象徴する、ある意味愕然とするほど(笑)素晴らしいご例示だと思います。
>幼稚なことを言っている国民ではだめでしょう。
そうなんです。結局幼稚で思考停止した国民が、テレビだけでなく日本文化全体のレベルを下げておりますよね。 RUKO
関根恵子、篠田三郎の共演作品は数本あったかと思いますけれど。。
しかし、「家制度」は諸悪の根源として描かれた一本ですか。
山形県の庄内地方は何度か訪れてはいますが、かの地では特に花笠踊りはしないでしょうし、…そのあたり、イメージ先行でわかりやすくしているのでしょう。
反体制に憧れるにしても、これもまた時代を感じさせる映画ですね。
児玉誉士夫の向かいの墓だとは驚きでしたが、戦前の興行界は何かと権力と絡んだエピソードが多いものです。再建王・坪内寿夫や山口組三代目・田岡一雄などなど、それだけ娯楽文化が国民に与える影響が大きかったんでしょうね。
そして『成熟』も知らなかったのですが、一度観てみたいですね。関根恵子さんが懐かしいです(^^)
が、球団のオーナーや初総裁は知りませんでした。
プロ野球のオーナーはその時代の企業が。
大映のほかにも東映、松竹がありましたね。
永田ラッパと言う言葉を思い出します。
それにしても関根恵子さん、
稲穂の中に裸で入って、後から痒かったでしょうね。