市原悦子の家政婦が「河野信子」から「石崎秋子」に変わった理由

市原悦子さん(1936年1月24日~2019年1月12日)の訃報で持ちきりです。ニュースサイトのほか、多くの方がブログやSNSで触れているので、とくに新しい話もありませんが、昭和の俳優や作品を振り返るこのブログとしては振りかえっておきたい方です。

マスコミの訃報では、代表作として、『家政婦は見た!』と『まんが日本昔ばなし』を挙げていますが、『家政婦は見た!』については、その多くをこのブログでご紹介しています。
『松本清張の熱い空気 家政婦は見た!夫婦の秘密「焦げた」』(1983年)

⇒『熱い空気(家政婦は見た!)』市原悦子、野村昭子、石井トミコ
四半世紀にわたって続いた『家政婦は見た!』シリーズの第一作目です。
世田谷線の通る東京・下高井戸にある協栄家政婦紹介所(所長は野村昭子)。
そこに登録して住み込む、要するに専従の家政婦・河野信子(市原悦子)が主人公です。
当時の家政婦サービス料金は、9時~17時で5800円、という説明テロップも出ます。
そのうち10%が紹介所の取り分だそうです。
“同僚”の家政婦には、石井富子(現石井トミコ)、野中マリ子、西川ひかるらがいます。
8作目から、山田スミ子、今井和子、白石まるみらに家政婦が入れ替わったのですが、顔ぶれが家政婦から少しだけ遠くなったような気がしました。昔アイドルだった人もいますしね。
『家政婦は見た!エリート家庭の浮気の秘密 みだれて…』(1984年)

⇒『家政婦は見た!エリート家庭の浮気の秘密 みだれて…』市原悦子
『土曜ワイド劇場』の歴代視聴率記録第1位(30.9%)を記録しました。
本作は、『家政婦は見た!』シリーズの第2作目ですが、1作目の『熱い空気』と何が違うかというと、主人公の市原悦子の役名が、「河野信子」から「石崎秋子」にかわり、所属する家政婦紹介が、「協栄家政婦紹介所」から「大沢家政婦紹介所」に。家政婦の日当は6700円になりました。
でも家政婦の顔ぶれは同じです。
第1作目が好評で、2作目を作るということになったものの、松本清張が続編の制作を許可しなかったとのことで、2作目以降は、1作目をモデルにしたオリジナルな設定にしたわけです。
『熱い空気』では、矛盾に満ちた上流階級の家庭に入り、たとえば届いた書留を、やかんの水蒸気を使って開封するなど、市原悦子自らがルール違反をおかしながら、積極的に手を突っ込んで壊していました。
が、2作目以降は、「家庭の秘密を知りたい」という就業の動機は同じでも、当時の時事ネタ、スキャンダルをモデルに設定された家庭の、欺瞞や悪事を告発したり、その家族に手を差し伸べたりなど、次第に正義感が強くなっています。
要するに、社会風刺ドラマとしての性格が強くなりました。
市原悦子は「犯罪者」を演じたかったそうですから、その個性や演技力を全面開花させるのは、原作のキャラクターのほうが適している気がしますが、ドラマとしては、社会風刺ドラマのほうが無難で作りやすかったのかもしれません。
いずれにも共通して言えるのは、家政婦の話なのに、必ずご飯を食べるシーンがあることです。
当時は、ホームドラマでもご飯のシーンが多く、「ドラマというとご飯を食べている」などという極論の批判もありましたが、『家政婦は見た!』ではそのシーンをあえて入れているわけです。
登場人物が一堂に介し、気を許しあいながら食事をするシーンは、ストーリーの整理や説明、出演者の演技力などを見るために大切なシーンであることに気づいたのは、このドラマを見てからです。
『駅前旅館』(1958年)

⇒五社協定のさなか“松竹映画風”を東宝で配給した『駅前旅館』市原悦子
修学旅行で、上野の旅館に泊まっている女子高生役の市原悦子です。
今回の訃報で、一部市原悦子のプロフィールを、「高校卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業後、富士銀行行員を経て、俳優座養成所へと進む」としているメディアがありますが、メディアによって、「富士銀行行員」があったりなかったりします。
どうしてでしょう。
『駅前旅館』は、22歳の時の出演ですから、現役の早稲田大学生時代になります。
そして、台詞のある役でしたから、それまでにも出演経験はあったと思われます。
「女優の卵」ではなく、すでに商業映画で実績を作りつつある人を、大企業が新卒で採用するのでしょうか。
採用したら、現役行員として女優をするかもしれませんから、当時なら常識的に考えて認めないんじゃないだろうかとおもいました。
そうでなくても当時は、金融関係の入社は、女性の四大卒はキャリア組としてごくわずかしか採用されず、ほとんどが短大卒か高卒でした。
たぶん市原悦子は「二文」ですから、昼は富士銀行で補助的な仕事をする勤労学生だったんじゃないかなと私は思ってます。
それですと、卒業後、俳優座養成所に入所で辻褄が合うのです。
ま、別に大した事ではないですけどね。
市原悦子さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
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この記事へのコメント
さりとて正義の味方では、松本清張氏としては
容認できなかったんでしょうね。
>市原悦子は「犯罪者」を演じたかった
市原悦子の「犯罪者」、観てみたいですね。そういう冒険を、多くの俳優は望んでいるのだと思いますが、一つ当たり役が出てしまうと、どうしてもそのイメージの役ばかりになってしまいがちですからね。かつて常盤貴子がテレビドラマで人気絶頂だった頃、あまりに同じ役ばかりで精神的にどうしようもなくなり、事務所に「次は映画じゃないと辞める」と談判したというエピソードもあります。しかし「イメージ定着」問題は日本だけではなく、よくフランス人の友人が言うのですが、トム・ハンクスが殺人鬼とかやったらおもしろいし、本人もやってみたいだろうけれど、世界的に完壁に「いい人」イメージがついていて、それができないのでは、と。俳優が意欲的な役に挑戦できるような成熟したファンが多くいること、そして社会でなければいけませんね。
市原悦子の出演作、今後も機会があれば、いろいろ観てみたいです。
馬場の貴重なお写真、有難うございました。いずれも初めて拝見するものばかりです。いや~、それしても若き日の馬場、惚れ惚れしますねえ~。当然ながら、まずでかい。力道山が馬場の中にすっぽり入りそうです。この若い馬場を前にしたら、たいていの格闘家は途方に暮れるのではないでしょうか。あまりに持って生まれたものが違い過ぎるし、次元の違う身体能力と感じても不思議はありません。そして表情がまた素晴らしいですね。全日時代からしか見たことないわたしにとって、未知の馬場がいるようです。日プロ時代、キニスキーと死闘を繰り広げていた頃とも少し感じが違いますね。ふてぶてしいまでの自信の表情にも見えますし、何やら「ワル」のような雰囲気もあって、男心(笑)をワクワクさせてくれます。
そう言えばですね、高知で『ワールドプロレスリング』が始まったのが、1977年くらいだったと思います。1976年のアリVS猪木は特別に放送されましたが、その頃はまだ『ワールドプロレスリング』の放送がありませんでした。だからわたしは格闘技戦真っ最中の、「出来上がった」猪木をいきなり見始めたわけで、初めてまともに試合を観た時のインパクトは絶大でした。二番手だった日プロ時代から観ていたら、まったく異なる印象を持っていたと思います。
サンダー杉山の次の動画がありました。米国での試合ですが、シブい展開ながら、観応えがあります。このような小さな会場で行っているのはテレビマッチなのでしょうか。いかに米国でも現在のような多チャンネル、多配信時代と違いますから、どのようなテレビ局がどのような試合をチョイスしていたかも興味深いテーマですね。
https://www.youtube.com/watch?v=NDXY80tbn_E
RUKO
まだまだご活躍すると思っていたのですが、本当に寂しいです。
ご冥福をお祈りいたします。
『おばさんデカ』はBSフジで今でも時々やってますので、見ました。市原悦子さん、不思議な存在感があって素敵です。
とっても悲しく、寂しい死です・・・
本当に残念です。
これから私にとって馴染み深い方とのお別れが多くなるんだろうなぁと考えると、感慨深いです。
市原悦子さん、本当に上手い女優さんでした。
ご冥福をお祈りいたします。合掌