ひょっこりひょうたん島“55周年”大人も夢中になった本格人形劇

ひょっこりひょうたん島(1964年4月6日~1969年4月4日、NHK)というテレビ史に残る人形劇番組が始まったのが、今から55年前の今日です。火山の噴火が原因で漂流することになった、ひょうたん島の住人たちが巻き起こす様々な出来事を数話ごとのストーリーにまとめた帯番組でした。

NHKの人形劇の原型は、『チロリン村とくるみの木』(1956年4月14日~1964年4月3日、NHK)にあるといわれますが、その当時はまだ、中に手を入れて動かすタイプの人形で、操り棒を使った本格的な人形劇は、ひょっこりひょうたん島が最初といわれています。


Facebookタイムラインより
ひょっこりひょうたん島は、子供を楽しませる人形劇の帯番組でしたが、決して子どもしか楽しめないわけではなく、おとなも楽しめる番組でした。
むしろ、大人の番組も含めて、その後のTV番組の先駆的役割を果たしたのではないかと思います。
群像劇のはしりであった
ひょっこりひょうたん島は、いわゆるヒーロー物ではなく、群像劇でした。

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群像劇というのは、ひとつの物語の中で、各登場人物による完全に独立した短編がいくつも同時進行している作品です。
社会というのは本来そういうダイナミスムで動いているし、そもそもひとりのヒーローを追うだけの話だと、そのヒーローが好きになれなかったら、もうその物語には魅力がなくなってしまうのですが、ひょっこりひょうたん島はみどころがいくつもありました。
ひょっこりひょうたん島には、サンデー先生(楠トシエ)と博士君(中山千夏)ら5人の子供達のほか、政治家のドン・ガバチョ(藤村有弘)、海賊のトラヒゲ(熊倉一雄)、ギャングのダンディ(小林恭治)、キャプテン・キッドの宝の中から出てきたリトル・キッド(藤田淑子)など、物語の中心となる登場人物が多数登場しました。
オールスター番組であった
声の出演者が、今から見ると大変豪華です。
上掲の6人のほか、若山弦蔵、伊藤牧子、千葉信男、滝口順平、新道乃里子、柳沢真一、増山江威子、江美京子、桑山正一、青島幸男、松島トモ子、谷幹一、堀絢子、玉川良一、三遊亭小圓馬、坂本新兵、山崎唯、久里千春、八奈見乗児、佐山俊二、三國一郎、黒柳徹子、鈴木光枝など。

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全員がレギュラーというわけではありませんが、これだけ多くの人が出演していた賑やかな番組だったのです。
余談ですが、当時『おはようこどもショー』にも出ていた楠トシエは、私にとって自分の母親と同世代であるにもかかわらず、心ときめいた最初のアイドルでした。

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それはともかくとして、ひょっこりひょうたん島は、人形劇というよりも、ドラマと変わりない本格的な作り方でした。
すでに第一線で活躍していた人とともに、同作を機に飛躍して、番組を登竜門とした人もいました。
たくさんの人が一緒に仕事をすることで、とくに若い人にとっては知己を得る機会も多かったのではないでしょうか。
この番組にともに出演している山崎唯と久里千春は、『トッポジージョ』でも共演して結婚しました。
そして、現在のように「専業声優」ではなく、自分自身で芝居ができる人、つまり俳優が担当していました。
たとえば、バカボンのママでお馴染みの増山江威子は、かつては劇団四季の女優です。

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俳優が声を担当したほうがいいのか、「キャラクターのイメージを壊す」から顔があまり知られていない専業声優がいいのか、という議論もありますが、でも今の声優って、別に映画やテレビに出ていなくても顔は知られていますよね。
帯番組のモデルとなった
放送時間は、月~金の17:45~18:00。
この頃は、夕方5時が門限の家は多かったのですが、それを守らずに遊び続けることも。
しかし、『ひょっこりひょうたん島』を見なければならないので、5時45分までには帰宅したものです。
15分で区切りをつけてその日の番組として成立させ、かつ次の日も視聴者がチャンネルを合わせたくなるようなラストにして番組を終わらせる、という構成を毎日作り続けました。
当時は、15分や30分の帯番組が他局でもありましたが、このひょっこりひょうたん島がモデルになったのではないかと思います。
NHKでは、当時から連続テレビ小説もありましたが、「テレビ小説」というぐらいですから、ナレーションで強引に話を進めたり区切りをつけたりできるので、脚本家からすると進行というメンでは処理しやすかったと思います。
しかし、ナレーションのない人形の群像劇でそれを行うには、起承転結をしっかりつけた脚本が必要でした。
それを身につけることで、脚本家としての力もついたとおもいます。
今は毎日決まった時間に放送され、その時まで家に帰りたくなるような番組ってなかなかないですね。

ひょっこりひょうたん島 ヒット・ソング・コレクション(オリジナル版) - ARRAY(0x10af6a28)
この記事へのコメント
『ひょっこりひょうたん島』関係のお写真をこうして拝見させていただくと、(いいものを作ってやろう)という熱気が漲っているように感じます。この熱気は昨今のテレビで感じられない要素ではないでしょうか。
>たくさんの人が一緒に仕事をする
そうですよね。この感じ、よく伝わってきます。
>「専業声優」
う~ん、現在とはまったく状況が違いますね。現在は専業声優が大きな市場になっていて、洋画やアニメなんかでも普通の俳優が主要な役で吹き替えに起用されると怒るファンがなかりいます。ただわたしなんかは、専業俳優の人たちもそれぞれクセがあって、いろんな作品で(またこの声か・・・)というのはあまり好きではないのです。専業声優をどうこう言うつもりはないのですが、日本はどうも専業声優やアニソン歌手らの人気が大き過ぎるようになってしまっていると思います。
>夕方5時
わたしもかなり長い間そうでした。それが高校時代は好き勝手な時間に帰るようになってしまうとは(笑)。そもそも中学時代、間違ってバレーボール部へ入り、夜9時だの10時だのまでの練習・・・ほんとに嫌でした。
・・・
>体がなにかに反応しているのは悪いことではない
なるほどです。本当に人間の心身は繊細なバランスの上で機能しているのだとつくづく感じます。何らかの症状が起きた際の明確な理由がいつも存在するわけではなく、複雑極まりない心身の働き、調整能力のちょっとした揺らぎによって、時に一見激しい症状となる場合もあるのでしょうね。
>食欲があるかどうかが
ですよね。母はこのところあまり食べないのですが、どうも食欲の問題よりも「好み」の問題が大きいように感じます。顔色もいいですし、喋りもとても活発ですから、「食欲不振でげんなり」という感じではないのですよね。
その母なのですが今日また転倒しておりまして、詳細は後日の記事でアップしますが、大事には至らなかったものの、本当に「いつ何が起こるか分からない」状態できついです。ただ、肝心の心臓はどんどん調子がよくなってきています。それだけにここはより気の引き締めどころであると自覚して日々過ごしていきます。まあ退院して在宅という時期が来れば、看護士はいないのですから、毎日家族があらゆる可能性を想定しつつ過ごさねばなりませんので、この段階で苦しんでいてはならないとも思っております。 RUKO
ストーリーは忘れましたが、よく見ていました。
灯台をロケットに改造して打ち上げるという話を覚えています。
黒柳徹子さんもいらしたんですね。
懐かしい人形劇ですね!
ドンガバチョもダンディさんも懐かしいです。
この番組が終わるころ親父が夜勤に出て行くので
母親はあまり好きな番組でなかったと言ってました。
1人1人形を動かしていたとはびっくりです。
八丈島の外観がひょうたん島によく似てますね
確かに観ていたはずなんですけど・・・。
親しんだので、「ひょっこりひょうたん島」に変わったときは違和感がありましたね。
それは、和風から洋風に変わったことと、操り人形になったことからかも知れません。
しかし、いつの間にか中学高校で試験勉強をしなければいけないときでも「ひょっこりひょうたん島」だけは見るようになっていました。
めちゃ懐かしい!!!
あの頃は、生きるのに一生懸命でした。