医療的ケア児者の主張コンクール、『大金星』高校合格おめでとう

『医療的ケア児者の主張コンクール』という催しが、国立成育医療研究センター“もみじの家”で開催されました。医療的ケア児のスピーチ大会です。グランプリに輝いた『僕の夢』というスピーチは、先天性ミオパチーという筋肉の難病をもった支援学校中等部の生徒が、門前払いを食らってもくじけずに公立高校の合格という『大金星』にたどり着く内容です。

国立成育医療研究センター“もみじの家”は、以前ご紹介しました。
⇒脳障がいの後遺症と医療的ケア児のための「もみじの家」
東京世田谷にある、小児科専門の国立病院・国立成育医療研究センターの附属施設であるもみじの家。
人工呼吸器や、痰の吸引などが必要な子どもたち(医療的ケア児)に、医療・福祉の両面から手厚いケアを提供しています。
その、もみじの家で2019年3月、『医療的ケア児者の主張コンクール』という、人工呼吸器を付けた人や、気管切開をしている人がスピーチをする催しがありました。(主催:一般財団法人 重い病気を持つ子どもと家族を支える財団/企画:もみじの家)
その中で、グランプリに輝いたのは、『僕の夢』(髙橋祥太/東京都)というスピーチです。
「映像と音声の無断使用は禁止」と記載されているのですが、Youtubeに動画がアップされていますから、スピーチは無断転載しなくても誰でも閲覧できます。
話者の高橋祥太さんは、先天性ミオパチーという筋肉の難病です。
高橋祥太さんの夢は、大学に進学し、会社で働くことです。
高橋祥太さんの父親は貿易関係の仕事をされていて、高橋祥太さんに、行ってきた国について話をしてくれたり、テレビ電話で、その国にしかない食べ物や飲み物などを、画面に映しながら紹介してくれたりしているそうです。
高橋祥太さんは、お父さんとの会話から、将来は自分も、実際に外国へ行ってみたいと思うようになったそうです。
これは、観光旅行という意味ではなく、大学に進学して、商社に入るなどして貿易関係の仕事がしたいということでしょう。
ただ、それには、通っている特別支援学校の高等部ではなく、普通の高校に行きたいと思ったそうです。
でも同級生、同学年の中では受験をするのは僕だけでした。私も、同じ年頃で同じ立場の子がいるので、「大金星だ!」のくだりは、ちょっと泣けました。
過去の先輩たちは受験をしなかった先輩が多かったです。
僕は少し心配になりました。
「自分は合格できるのか」「普通の高校に行けるのか」
「高校に行けたとしても、みんなのペースについていけるのか」
たくさん悩みました。
僕は、併願先の私立高校を探しました。
健常な中学3年生と同じように学校見学に行き、個別に相談もしました。
僕は自分もこの学校に受け入れてくれると思い期待しました。
しかし、こう言われました。
「自活できないとうちでは無理です」「見た目で難しい」
などと学校の先生から直接言われ、とてもショックでした。
入学試験を受けられず、非常にくやしい思いをしました。
僕は絶対合格して「先生たちを見返してやるぞ!」と思いました。
その悔しさをバネにして、一生懸命勉強して都立高校に合格できました。
合格したとき、今の特別支援学校のたくさんの先生方から、
「おめでとう」「この学校の大金星だ!」
などと言われ、僕はとてもうれしかったです。
僕は高校に進学し、自分の目標に向かって
英語検定や漢字検定などの勉強だけでなく、
いろんなことにチャレンジしていきたいです。
僕一人ではできないことがたくさんありますが、周りの仲間や先生方に助けてもらいながら
目標に向かって頑張りたいと思います。
高橋祥太さんのスピーチ内容の素晴らしかったところは、
1.父子が、将来を語り合う会話をきちんと行っていること
2.高橋祥太さんが、高校進学の苦悩や強いビジョンを具体的に語ったこと
3.度し難い思考停止の世間を見返してやったこと
だと思いました。
私はこれまで、成功者は、ハートが強くないとダメかもしれないという気持ちがありました。
でも高橋さんの苦悩や前向きな姿を知り、「強さ」が必要なのは、ハートではなく、ビジョンとか希望といったものなのだということを教わりました。
可能性は与えられるものではなく自分で作るもの
我が家も、「障碍者は支援学校」と決めつけたい、つまり何もしない、何も変えたくない発達障害の親御さんから、ずいぶん中傷されました。曰く、
「障碍者が高等学校に行ってどうする」
そりゃ、何も考えず前に進むことを放棄した人生消化試合のような人たちには、そういう見方しかできないでしょう。
でもね、「どうする」という発想自体、後ろ向きと思いませんか。
なぜなら、既成の枠組みを前提しているからです。
前例がないのなら前例になればいい、という新しいものに挑む発想がそこには感じられません。
自己実現はまず、前に進む気持ちがあるかどうかです。
勘違いのないように書きますと、「障碍者よ、皆高等学校を目指せ」などと言っているわけではありません。
そこは絶対に誤解しないように。
障害のステージや諸事情ありますし、先日ご紹介した知的障害のあるフィギアスケート選手のように、支援学校に在籍していても、自己実現の場は見つけられます。
私が言いたいのは、高等学校という選択肢がもし頭の片隅にでもあるなら、最初からダメと決めつけないで、後悔しないよう前向きに検討してはいかがでしょうかという話です。
それは、パイオニアになっても前向きに生きるか、「無難」に既成の道筋に従うのかという、人生の選択すべてに通じる根本的な人生哲学につながることだと思うのです。
ただひとついえることは、チャレンジを恐れて既成の道筋に従っていても、社会も人生も何も変わらないということです。
ブツブツ文句を言うより、可能性に賭けて行動してみましょう。
玉砕もありと楽天的に腹をくくれば、パイオニア人生は意外と清々しいものです。

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この記事へのコメント
高橋祥太さんの場合、確かにお父上とのしっかりした絆が感じられますね。将来の夢も含めて、中身のあるコミュニケーションが取れている。わたしの父の場合、とても気にかけてはくれていたのですが、なにせ「教師か医者になれ」と言うくらいで、「なぜそう思うのか」について説明しないだけでなく、どんな側面においても子どもと正面切ってコミュニケーションを取ろうとしませんでした。おそらくわたしの父だけでなく、世の中そうしたパターンは多いのだと思います。だから高橋さん親子のコミュニケーションぶりは素晴らしいと感じますし、少々羨ましいほどです。
「見返してやるぞ!」という心意気もいいですね。きれいごとを言う人たちのお決まりフレーズの一つとして、「憎んだり、恨んだりするよりも、忘れることが一番の復讐なのだよ」というものがありますが、まあ一面の真実でしょうけれど、やはり(見返したい!)という方が本音でしょう。わたしにも正直なところ、見返したい、落とし前をつけたい対象が多く存在します。ケースバイケースではありますが、ある種の「復讐心」は大きな原動力となり得ますよね。
>前例がないのなら前例になればいい
そうなのです。でもこれが理解できない人たちが多過ぎますね。そして、「どうする」なんてことをすぐに言いだすような人たちは、人間的にも退屈なこと間違いないと思います。しかも子どもの可能性を最初から否定している。子どもさんが可哀そうですね。気の持ちようで、人生いくらでもワクワクできるのに、最初から放棄していますからね。
今夜のお記事も、本当に嬉しい気分にさせていただきました。有難うございます。
・・・
>「生かされている」という表現も
わたしもこの言葉、ダメなのです。何と言いますか、(自分って悟ってるだろう。しかも「いい人」だろう)と主張されている感がとても強いのです。エゴ丸出して生きてきた人が大きな挫折を味わってそっちの方向に目覚め、(他者に委ねられている)感覚を持った時にグッと気が楽になると、そのような心理作用で「行かされている」信仰に嵌る人が多いのだと思うのですが、言葉自体があまりに曖昧で、実質的には「何も言ってない」と変わらないですよね。そしてどうしても偽善的な臭いはプンプンしてくるのですね。
>私もしたときは痛みが薄れたと思いました。
そうなのですね!それではまず装着するだけでも即効性の要素があり、そして継続的に治療されていく遅効性の要素もあると考えられるのですね。とにかく車椅子へ座れないほどの痛みが数日間続いてましたから、いきなり吸われたのには驚かされました。 RUKO
それにしても学校側の「見た目で難しい」と言う理由、最低です。そんな学校、こちらから願い下げですね。
受け入れる社会や学校側も一緒になって「前例がないなら前例になればいい」の気持ちを持っていきたいものだなーと思いました。
感動します。
ようやく、5月らしい清々しい陽気の1日でした!
自分も新しい環境でつまずいており、迷っていましたが前向きになりました。
心中複雑な方もいらっしゃるでしょうね。
事情や人間関係は難しい。