長門裕之でいつも考える、芸能人が芸能人を暴露することの是非

長門裕之(ながとひろゆき、1934年1月10日~2011年5月21日)さんの命日です。芸能一家であるマキノ・加藤一族の中でもとくに芸達者で、1962年に日活を退社後は独立してテレビドラマや映画などで活躍しました。自分の女性関係や妻の南田洋子の認知症介護などを明らかにしたことで話題にもなりました。(画像はGoogle検索画面より)

長門裕之の身内をずらっと並べると、妻は南田洋子、弟は津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、母の妹(叔母)に沢村貞子、その弟(叔父)に加東大介、祖父は牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵。
沢村貞子が離婚しなければ、前夫の藤原釜足も身内でした。
長門裕之という人は、役者としてはいまさらご紹介するまでもなく巧い人だと思いますが、それとは別に、物議を醸したのが暴露についてです。
暴露の男
1985年に、『洋子へ』(データハウス)という本を書きましたが、いろいろな芸能人に対する本音や、女性との秘め事が書かれていました。

たとえば、『あやとり』というホームドラマで共演した池内淳子との濃密な関係や、紺野美沙子は尻軽女だとか、松田聖子は「社会人としての態度がなっていない」「歌は聴くに耐えない」と酷評したとか、渥美清が渥美国泰を「自分のような大物と同じ名字だったために存在が霞んだ」と批評したことで(思い上がっていると感じ)腹が立ったとか。
紺野美沙子については、自分がオーナーの事務所(人間ぷろだくしょん)をやめて独立したので、その私怨で書かせたのかもしれません。
業界のショックは大きく、そのため仕事が激減。
長門裕之は、ゴーストライターが、飲みながらの世間話を勝手にまとめたもので、「こんなのはダメです」と、本を床に叩きつけるパフォーマンスで当時謝罪していましたが、実は「ダメ」というのは、「もっと過激なことも言ったのにカットされた」という意味だったと、あとでうそぶいたともいわれました。
もうひとつは、南田洋子が認知症になり、具体的にどんな介護の日々を過ごしているかを、テレビのドキュメンタリーや、『待ってくれ、洋子』(主婦と生活社)という本で明らかにしたりしました。

『待ってくれ、洋子』より
この賛否については議論がありましたが、芸能界では里見浩太朗が激怒して、自分の公演から長門裕之を降板させたぐらいで、長門裕之の核になる人脈である昭和九年会(昭和9年生まれの芸能人の集まり)では、特に非難する声はなかったといいます。
私も2度、このブログで「長門裕之の好きにすればいい」という意見を述べました。

長門裕之は好色家で、南田洋子を泣かせていたそうですが、役者として格上だった南田洋子と結婚した長門裕之は、最後までその序列を尊重し、以前あった長者番付を見ると、毎年少しだけ南田洋子の収入を多く申告する気配りもある人でした。←こういうことは芸能雑誌やWikiには出てきません。
そして、南田洋子が亡くなると、後を追うように翌年なくなりました。
ヒューマンインタレストとはなにか
芸能人が芸能人の批評や暴露をするというのは、あまり良いことをしているようには見えないかもしれません。
ただ、同じ俳優だからこそ、芸能記者やマニアらにはわからない、興味深い事実を知っていることも確かです。
たとえば、石原裕次郎ってどんな人だったんだろう。
映画やドラマでは格好いい役だけど、リアルではどんな感じなんだろう。
という興味は、ヒューマンインタレストといって、人なら自然に抱く関心事です。
そういう関心がないという人もいるのですが、もちろん、その有無自体は価値観の問題なのでどちらでもいいのですが、ないことがいいことだとまでいいきるのは、誤解、というより誤謬といってもいいのではないかと思います。
人に関心がないというのは、決して健全なこととはされていません。
私自身はそうした関心は、内容にもよりますが、結論から書くと「あり」ます。
物事には、原因があって結果があります。
このような演技をする人は、どのようなバックボーン(人生や環境)があってのことなのだろう
というヒューマンインタレストとして、その人となりを知りたいという欲望があります。
そうした背景にさかのぼってアプローチしていく作家論、俳優論は、その人のリアルな姿から、その人の生きた社会、さらに自然までを結ぶダイナミズムをもち得るものです。
もちろん、それらを安易につなげてしまうとたんなるトンデモ論になってしまうのですが、その人のリアルなパーソナリティと、演技を完全に別物としてぶった切ってしまったら、はたして演技論をどの方向に昇華させていくのか疑問です。
要するに、有り体に言えば、「素晴らしい演技だ」という褒め言葉で完結してしまうわけですから。
話を戻すと、『洋子へ』という本は、長門裕之の一方的な視点だったので独善的な部分もありましたし、『待ってくれ、洋子』では、あの素敵な南田洋子が……というショックもないとはいいません。
でも、物事は暴くことで、より進んだ真実に向かうわけですから、私は長門裕之が仕事を失いながらも、暴露することを恐れなかった姿勢には敬意を表したいと思います。

洋子へ―長門裕之の愛の落書集
この記事へのコメント
先陣となったのかもしれませんね。
ヒューマンインタレストについては、いっぷく様のおっしゃる通りで、わたしはそうした見方をいっぷく様にお教えいただいたと感謝しております。作品鑑賞の興味がぐんと増しますし、より深く鑑賞できます。
・・・
母と一緒に歌唱をする時間を作ったのですが、その後、特に夜の面会時間にコルセットを外していたりといろいろありまして、あまり歌えてはおりません。ただこれおは今後も続けていこうと思っております。母がなにせ「歌うこと」が大好きなのが大一なのですが、一般的に考えても精神衛生上、そして脳の働きなどにもとてもいいのは間違いないところだと思いますし、わたしも歌うことが好きなのですけれど(カラオケには行きませんが)、一人ではなかなか歌う時間を設ける気分になりませんから、「自分のため」にもよさそうです。
わたしの母の場合、本を読む習慣がまるでないのが、特にこの入院期間中は痛いところです。どんなものでもいいけれど、読む習慣さえあればそうそう退屈しないはずですが、本当にまったく(笑)ないのです。自分が会員の短歌同人誌はさすがに自分の作品が載っているページを中心に(笑)目を通しているのですが。活字中心の本も読みませんが、さらに苦手なのが漫画でして、(どう読んでいいのか分からない)というくらい読めません。
>いずれにしても総額はケンちゃんシリーズだけではないと思います。
なるほどです。考えてみたら、「ケンちゃん」ってほとんどの日本人が知ってましたよね。馬場・猪木並の知名度と言ってもいいかもしれません(笑)。「ケンちゃん」の名で様々なビジネスを仕掛けたのでしょうね。もちろんある種のビデオは関係ないでしょうが(多分 笑)。
>6倍は盛りすぎですね。
ケンちゃんはまだ50代なのですね。いまだ見栄を張りたい気持ちがあるのでしょうね。子役時代にスターとして絶頂を極めた人の悲哀も少々感じます。 RUKO
お写真を拝見していてサザンオールスターズの桑田さんかと思うものがありました。(もしかして、これは周知のことなのかな・・・(;'∀'))
ひこじゅうやる前に盗賊役で出てたから、ああ久しぶりに見たなーと思ってたけど地味に干されてたのね(^_^;)
他人を材料にしているのは自分を暴露するためかな?
もう亡くなって8年も。
早いですね・・