自己愛が、ビジネスも人間関係も傷病者介護も失敗させるという話

自己愛がビジネスも人間関係も傷病者介護も失敗させるという話です。理想の自分像にこだわり過ぎ、行動機会を損失したり他者との関係を壊したりするからです。Youtubeに出てくる啓蒙動画みたいなタイトルになってしまいましたが、今日はこのことについて書いてみます。

一昨日の、心肺停止妻、遷延性意識障害長男、肝炎等母支えた6つのポイントで、家族として傷病者のフォローが効率的に「できる」人と、「できない」人について書きました。
これは、Googleの検索経由で私のサイトをご覧になって相談された方や、逆に私が、いろいろな闘傷病記を見て感じたことです。
その続きになりますが、「できない」人については、全員とは断言しませんが、ある特定の傾向が目立つことも感じていました。
前回は論点が拡散すると思い書かなかったのですが、適切に動けない人は、ひとえに自己愛が強い印象を受けました。
たとえば、佐藤優という人が、『嫉妬と自己愛』(中央公論新社)という本でこんなことを書いています。
以前は社会で一旗揚げるという「大志」があったのでチャレンジし、できないとできる他者に対して嫉妬していたが、今はそれに代わってたたかわずに自分を守ることを優先する「歪んだ自己愛型」の人間が増えてきた、というのです。
つまり、戦って負けるより、戦わないで黒星をつけなければ、「戦えば自分はすごいんだ」という「自分の理想像」を守れるということです。
自己愛(型)とはなんだ
では自己愛とはなにかといえば、理想の自分像が正当であるべきとこだわり過ぎ
「(文化・制度・他者などの)社会に対して自分の客観的存在や価値観や行動を相対化できない人」
という意味で使われています。
つまり、人間は無謬でも万能でもなく、したがって自分は間違いうるものである、取るに足らない存在である、という冷静な見定めが耐えられない人です。
自分は社会で価値のある人で、物も良くわかっているという「理想像」を抱いています。
実際に、自分が第三者として、客観的に物事を論ずるときなどは問題なく理性が働くのです。
ところが、ひとたび自分の不作為や、自分の信じているものなどをイジられると、自己が一番大事なために、理想像が脅かされると混乱します。
否定的意見などあると、それを受け入れられずに議論から逃避したり、嘘や詭弁で開き直ったりします。
こういう人は、私から見ると生きづらいだろうなと思います。
たぶん、どこかに就職しても続かないし、友人ができてもいつか関係が破綻するのではないでしょうか。
こういう人が、傷病者の家族としての看病・介護をすると、こんな特徴が考えられます。
1.同じような傷病者の家族と意見や情報の交換を積極的にできません
2.たとえば認知症など“認めたくない所見”と向き合えないので、患者が適切な治療やケアを受けられません
3.せっかくブログに闘病記を書いても、忠告コメントを受け入れられません
4.思い描いた闘病生活にならないと、医療従事者を逆恨みすることがあります
5.セカンドオピニオンなどは医師に断られると恥ずかしいので行いません
6.医療従事者や善意の忠告者に対して嫌な思いをさせても自分を守ることが第一です
私は最初、そういう人はプライドが高いのかと思っていました。
しかし、よく考えるとそうではないんですね。自己愛なんです。
自己愛とプライドは違うのです。
プライドというのは、社会的価値観に準拠していますが、自己愛というのは自分にとっての理想像が大切なのです。
たとえば、プライドの高い人は、自分がお金がなくてカップラーメンで昼食を済ませるブログ記事をためらうかもしれません。
しかし、自己愛の強い人は、お金がなくても暮らしている自分の清貧さや、カップラーメンがいかに美味しいかを表現できる自分に酔っているので、そんなことお構いなしに書けるのです。←カップラーメンのブログ記事を書いた人は自己愛が強いという意味ではありません。
逆に、お金を稼ぐという努力や戦略を伴う話は、自分に自信がないので、「魂を売りたくない」などと悪い事のように決めつけて一方的に唾棄するのです。
『男はつらいよ』は山田洋次監督の自己愛否定の毒だった
映画『男はつらいよ』はお好きですか。
私は全作見ていますが、山田洋次監督というのは、『男はつらいよ』も含めて、喜劇の中で人間の“毒”を表現する映画を作り続けています。
『男はつらいよ』では、マドンナたち、たとえば松坂慶子が、わざわざ寅次郎に結婚を報告しに来たり、京マチ子が寅次郎の思いを全く理解していなかったりなど、寅次郎に無慈悲な態度をとる“女性の毒”がよく描かれるのですが、実はいちばんの“毒”は、“自己愛の強い”車寅次郎であり、決して一般的な意味においての幸せ(所帯を持つ)を獲得できない厳しい現実をいつもつきつけています。
寅次郎が単純に振られるのは、全48作中、実は半分もなく、途中からは、求愛されたらお別れしたり(池内淳子や八千草薫など)、別の男と結ばれるように自分がキューピットになったり(十朱幸代や淡路恵子など)します。
もし現実世界で、これだけ機会があって、そのすべてを結婚を前提に前向きにお付き合いしていたら、とっくに結婚しているでしょう。
なのに寅次郎は、自分の描いた恋路が自分の予定していない方向に行くと(理想通りにならないと)、やる気を無くすのです。
自己愛の強い人がこの映画を見ると、ほぼ例外なく寅次郎に自分の生きざまを重ね、ハマってしまうのです。
ところが、ある時、山田洋次監督が自己愛否定を描いているのではないかと気づき、マドンナに求愛された寅次郎のように、すっと同作への関心が引いていく。そんな傾向があります。
まわりに、自己愛型タイプのやりづらい人っていませんか。

嫉妬と自己愛 - 「負の感情」を制した者だけが生き残れる (中公新書ラクレ)
この記事へのコメント
普通の会話は普通の人とは成り立っていると思うのですが、まるっきりアホらしい、取るに足りないことをいつまでもクドクド喋っている人とはあんまりお話したくないですね。
そんな意味ではセールスマンとしては成功しないタイプだと思います。
それって結局、何もしないってことじゃないですか。
理想の自分像があるのは構わないのですが、現実の自分とのギャップを素直に受け止めていくことが大切ですよね。
令和の台風が通り過ぎて行きました。
被害が少なくて良かったですね!
さすがに歳を取ると、そんな徒労は感じなくなりましたけれど…。
今回の記事を拝見して自己愛が強いのだと思いました
自分にも同様の傾向があるので
気をつけねばとも思いました