『片づけられない私を見つめて』不注意優勢型ADHDの女性を描く

『片づけられない私を見つめて』(しみず字海/KCデザート)をマンガ図書館Zで読みました。ADD(不注意優勢型ADHD)という発達障害の女性を主人公に、その学校時代、そして就職してからの生活が描かれています。「注意が持続できない」「衝動性が強い」とはどういうことかがわかります。

あらすじ
『片づけられない私を見つめて』(しみず字海/KCデザート)は、不注意優勢型ADHDののどかを主人公にした、しみず字海さんの漫画です。
新宿成人ADDセンター・さくらいクリニック院長・櫻井公子さんが監修者をつとめました。
ストーリーは、のどかの小学生生活から始まります。
給食の時間に、突然「数学の宿題」のことが気になって、まだみんなが食べているのに机の引き出しからバサバサと教科書を取り出します。(一つのことに集中できない)
しかも、その引き出しは何でも押し込まれていて片づけられていません。(整理整頓が苦手)
古くなったコッペパンの欠片などが入っています。
テスト中に、また思い出したことがあって本を広げてしまい、カンニングを疑われます。(気になることがあるとそこに神経がいき、それまで何をしていたかを忘れる)
テストの点数は、100点をとったかと思えば10点のときもあります。
先生と話をしていても、ふと時計が目に入って、「あ、もう5時だ。テレビのアニメが見たいのに」などと考えてしまいます。
人から呼ばれるとびっくりします。(音や声に敏感に反応)
そんなのどかに、小学校・中学校の担任の理解はありません。
その行動から、そわそわして、集中力が続かない、やる気にムラがあるなど、現象的には事実ではあるのですが、もっぱら否定的な評価を下します。
のどかは、高校を卒業して、専門学校を経て就職。
自分が手際よく仕事ができないことから、朝は早く出社し、残業も半分しか申告せず、持ち帰って片付けるなど、人より時間を使って追いつこうとします。
それを、モーレツ社員でスピード出世した課長の男性が見て、「自分と同じがんばりやである」と解釈。
上司としてだけではなく、男女として交際を申し込みます。
のどかは、課長に嫌われないように頑張ろうとしますが、もともと人より「抜きん出たい」からではなく、「追いつく」ために無理をしていので、限界がきて仕事にミスを。
すると、課長は「人のせいにするな」「だらしない」「やる気がない」など、結局学校時代の先生たちと同じ、現象だけをみた無理解な断罪をします。
ある程度段ボールを片付けたものの収納が足りなくて頓挫。なんだか途方に暮れて『片づけられない私を見つめて』(しみず字海/KCデザート)を読み始めた。ADD女性の話。
— 猫道 (@kutanecomichi) April 19, 2016
部長の女性もADDだったために、のどかの障碍は理解され、最終的的には、のどかの「一所懸命さ」という取り柄が開花してハッピーエンドになるのですが、全体を通してADHDの特徴がよく描かれたキャラクターでストーリーが展開されています。
ADD(注意欠陥障害)とADHD(注意欠陥・多動性障害)
本書では、主人公がADD(注意欠陥障害)と診断されていますが、現在はADHD(注意欠陥・多動性障害)の中の、「不注意優勢型」と診断される障害です。
注意欠陥障害とは、前頭葉など脳の一部に、機能不全があることで起こると考えられています
集中力を維持することが難しく、刺激の少ない単調な仕事は苦手とされています。
横からの割り込みや一番にこだわるなど「順番」という概念が苦手だったり、他の人の話をさえぎったり話に水をさしたりすることもあるといわれます。
ADHDというのは、それに「多動」が加わった診断名です。
多動には、「無意識に体が動き、それを抑えられない(体の多動)」、「おしゃべりを自分でコントロールできない(口の多動)」といったことがあります。
のどかには、多動の所見はなかったか、「注意欠陥」の方がより強く現れているということでしょう。
障碍か慌てものかは区別が付きにくい
本書を読んで、私の長男が受傷の後遺症として、この診断をくだされた意味が改めてわかりました。
長男は、たとえば、次に〇〇をするという予定があると、出し抜けに「次の次」のことまで確認することがあります。
ときには3日後ぐらいの予定まで気になるようです。
あとは、「おしゃべりを自分でコントロールできない(口の多動)」が当てはまるかもしれません。
「こんなにおしゃべりだったか」と妻も首を傾げることがあります。
往来でタバコを吹かしている人を見て、「こーんなところでタバコを吸ってる人がいるから困るよねー」などと言い出すので、ちょっとハラハラしますが(汗)
ただ、順番を守らないとか、話を遮るといったことはありません。
つまり、ADHDといっても、様々なタイプがあり、所見もそれらすべてがでるわけではないから、障碍なのか、ちょっと慌てものなだけなのか、の区別はつきにくいのです。
「だらしないやつ」と決めつけない
ですから、周囲の人で、「話の輪にうまく入れなくてKYなことを言う」「落ち着きがない」「衝動買いを行う」「約束を忘れる」「部屋がちらかっている」という人がいたとしても、ただちに「だらしないやつ」「怠けているやつ」と決めつけ、頭ごなしに断罪しない方が良いと思います。
たとえば、本人の自己肯定感につながるような会話を行ったり、指示や頼みごとは具体的て簡潔にするなどして、相手が受け入れやすく、信頼してもらえる人間関係を構築するような会話につとめるなどの「理解とサポート」は行いたいものです。
ところで、みなさん自身には、ADHDの特徴で思い当たるフシはありますか。
マンガ図書館z
https://vw.mangaz.com/virgo/view/142021/i:0

片づけられない私をみつめて

仕事&生活の「困った! 」がなくなる マンガでわかる 私って、ADHD脳!?
- 作者: 司馬理英子
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2017/02/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
この記事へのコメント
これは単にだらしがなかっただけだと思います。
後年、このだらしなさと格闘した結果、
成長してからは、わりと順番通りでないとイライラしたりするようになりました。
調べてもらうと何かの診断が付くかも知れません。
叱ってほしくないし、責めて欲しくない。それをしてもどうしようもないから。
自分が病気だと気付かないことやマンガのように周りの人も病気と気付かないことが多いです。
今は、いい薬があります。
精神科や心療内科に通院するのは気が引ける方が多いと思いますが、薬が合うと驚くほど改善して生きやすくなるケースを実際に見たことがあります。
会社でもどんくさいと思っている人が実はADHDだったということはあります。
本人はつらくてどうしようもないので、こういう病気があることを広く知っていただきたいですね。
実際に(そういう障害視点で)ある程度長く接しないと「おかしい人」としか認識できません(知性は大学卒でもあり欠落していない部分もありますが、興味のない部分はものすごく簡単なことでも何度説明しても理解不能というかほぼ受け付けません)。
この人と過ごす前は、すんごく莫迦でした自分の10歳までの頃が何か発達障害だったと思えるだけでしたが、今は若干ですがわかります。
この障害の方は、職業や職場にめぐまれれば仕事でも力を発揮できると思いますが、ふつうの職場では長く勤めるのは難しくはじき出されるだろうと思えます。
最近、”発達障害”とよく聞きますが・・
”ちゃんとした発達”とはどういうものなのですか?
人間何か一つや二つ欠点・短所があるもんだと
思います。