志村けんさんの名言を振り返る

コロナ禍による急逝で、現在もネットではお悔やみの投稿やツイートが絶えない志村けんさん。あまりにも多くの方が書かれているので、今更私が書くのもどうかなと思いましたが、昨夜、Facebookに志村けんさんについて投稿したところ、100以上の「いいね!」がつきました。

まだまだ関心の高い話題なんですね。
私は、関連記事ではこのページが印象に残ったので、次の記事をシェアさせていただきます。
常識をバカにする奴に常識を超えたことはできない
『心に響くMOVIE』というサイトにおける、志村けんさんの印象に残る「言葉」を抜粋してまとめたものです。
心に響いたので。https://t.co/AvXYJQPyxv
— Kazuomi Kawazu (@kazuomi_kawazu) March 31, 2020
・人生は不公平だってこと。(中略)ただし、ひとつ言えることがある。ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね
・お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対にできない/非常識なことをするためには、まず常識を知らなきゃいけないんだよ
・最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない
・ムダなことでもなんでも知ってた方がいい。知らないと損をすることはあっても、知ってて損することはないから
・何もしてない奴が「じゃあ、お前ちょっとやってみな」って言われることはあり得ない。普段から何かをやり続けているから、誰かの目にとまって声をかけられる んだ
・古今東西、いつの時代も、自分が楽しいと思わない仕事からよい結果は生まれない
・人になにかを伝えたいならウソをついちゃいけない
・自分の一生なんだから、自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。 売れるか売れないか、先のことは誰にもわからないけど、自分が納得いくまでやれば、それでいいんじゃないか
・気取らないこと。とにかく飾らない。自分を大きく見せようとする段階で人はうそをつくし、それはすぐに見破られるものですよ
・仕事に限らず何でもそうだけど、「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから
私にとっては、「お笑い」であるかどうかに関係なく、人の生き方としてたいへん示唆に富んだ名言だと思いました。
いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備
「常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対にできない」や、「努力」に関する件もよくわかります。
志村けんさんは、約束があると必ず時間前に着くようにしているので、相手は恐縮と緊張感を持つようになり、いい仕事ができる、というようなことが、『志村流: 当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する』(王様文庫)にかかれています。
タレント本というより、ビジネスパーソンの啓蒙書のような内容です。
私は逆に、遅刻して「約束を守れなかった」負い目から、相手に主導権を握られる苦い経験を懲りずに繰り返しているので(汗)、全くそのとおりだなあと思います。
「努力が嫌い」といっているタモリが、『ブラタモリ』であれだけ博識なのを見ても分かる通り、タレントとしてのキャラクターだけを額面通り見てコバカにするのは、それを支える本人の努力を見誤ることになります。
まさに、「ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力している」のです。
普段から何かをやり続けているから、誰かの目にとまって声をかけられる
といっても、努力さえすればいいという綺麗事を述べていはいません。
「人生は必然と偶然」ということですね。
努力したからと言って、絶対に成功できるとは限らない
ただし、何もしない奴には何も訪れない、ということです。
「最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない」というのも名言ですね。
未知の世界に踏み出すのに、出し惜しみしていたらだめだろう、全力でぶつかるからこそ次の課題がわかる、ということだと思います。
人になにかを伝えたいならウソをついちゃいけない
ファン・視聴者を裏切ってはいけないということです。
ここも、我が意を得たりと膝を打ちました。
「自分を大きく見せようとする段階で人はうそをつく」というのも深いですね。
ここはそのまま、ブロガーとしてのありように当てはまると思いませんか。
自分が伝えたいことは、自分の言葉で責任をもって書き、それに対してまっとうな批判や反論があれば、それは自分にとって心地よいものでなかったとしても正々堂々と甘受するということなんでしょうね。
東八郎さんはメンターだったのか
志村けんさんが、コメンテーターだの、映画監督だのといった文化人に走らない理由として、Wikiの記載が話題になっています。
志村けんは子供からバカにされることに内心憤慨していた時期があったらしく、その際『バカ殿』シリーズで共演していた東に「東さんはその歳になっても、なぜバカな演技ができるのですか?」と尋ねたところ、東から「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」と諭され、大いに感激したという。志村はことあるごとにこのエピソードを披露し、東に対する敬意を表している。教育者の家庭で育った志村けんさんにとって、やはり皇宮警察官の息子として生まれた東八郎さんとは、なにか通じるところがあったのかもしれませんね。
志村けんさんの生前のご遺徳お偲び申し上げます。

志村けん―わたしはあきらめない - NHK「わたしはあきらめない」制作班, KTC中央出版, 中央出版=
この記事へのコメント
志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。
志村さんの言葉は人間として深いですね。こころに留めておきたいものばかりです。
あまりに突然でビックリしました。努力の人だったんですね。
志村さんに言わせると自分は努力が足りなかったんだな・・・とあらためて思いました。
かなりの数の人生の示唆を強く感じました。
正直に素直に努力して生きたいもんです。
志村けんさん、全く繋がりないですが、不思議なショック。
「ニタとしたお顔」が今後見れないのは残念です。
「ビジネスパーソンの啓蒙書」と小生も感じます。
「遅刻して・・・」はやってはいけないビジネスの基本ですが・・・
男女関係には有効な手段と思います?(爆)
「東八郎さんはメンター」はお笑いだけでなく・・・
ビジネスにも通用、人生において通用する事と感じます。
馬鹿な振り?をして人間関係を構築している知人います。
志村けんさんのご冥福をお祈りします。感謝!?(=^・ェ・^=)
志村けんさんは、芸人の鏡ではないでしょうか。東八郎さんがおっしゃったことを忠実に守って、最後まで観客を笑わすことに命をかけておられた。すばらしいことだと思います。
今の若いお笑いの人は、芸人なのに高学歴だとか、クイズ番組で自分の博学をひけらかしたりしていますね。全くおかしなことです。お笑いの人は「アホ」に徹するべきなんですよね。そうでないと、だんだんうっとうしがられて、人気がなくなります。カッコよくみせてもそれは芸人には求められていないことなんだと思います。
努力家でいい人だったんですね。
ご愁傷様です。
やはり重みがありますね。
志村けんさんのご冥福をお祈りします。
ドッキリ番組で「素」の志村けんが物静かだったこと
が忘れられません。あ~お笑いの人って本当は真面目
なんだなって子供心に思いました。志村けんを演じる
ために志村康徳は凡人ではわからないような努力を
苦労を重ねてきたんだろうな。偉大な方でした。
志村けんさんのご冥福を祈ります。
明日にでも「実は嘘でした」なんて出てきてほしいところです。
また一つ大きな時代が終わった感じがします。
お兄さんが弟が死んだことでコロナは本当に怖い病気なんだと皆さんに知ってほしいと言ってましたね。
最後の大仕事はコロナウイルスをなめてはいけないという啓蒙でしたね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
というような言い方をする人もいますが、
むしろそれ以上にビジネスや生き方にシビアと
いえるかもしれませんね。