黒沢明、ムード歌謡の横綱『黒沢明とロス・プリモス』リーダー

今日は黒沢明さん(1934年5月30日~2009年4月9日)の命日です。『ラブユー東京』『たそがれの銀座』『ヘッドライト』『せめてお名前を』など次々ラテン系のムード歌謡で女性の心を歌い上げた黒沢明とロス・プリモスのリーダーとして1960~70年代に活躍しました。

ロス・プリモスとはなんだ
1961年に結成された、ラテンコーラスグループです。
いわゆるムード歌謡ジャンルを長年支えてきました。
ムード歌謡というジャンルをご存知ですか。
昭和40年代をピークに、歌謡曲の有力なジャンルとして親しまれてきました。
ムード歌謡の簡単な定義です。
1.戦後、占領軍を相手に活動していた歌手やバンドが、東京の銀座や赤坂のナイトクラブに移って歌い始めたことがはじまり
2.ハワイアン、ジャズ、ラテンなどをベースにしたダンサブルな歌謡曲
3.歌詞は神戸、長崎、柳ケ瀬、中之島など夜の盛り場や港町(地名)を舞台にする
4.大人の恋心を歌う
バンドですから、複数のメンバーによるグループで、コーラスとともに楽器も担当しているのが特徴です。
ムード歌謡を代表するグループといいますと、
ハワイアンミュージックのムード歌謡といえば、和田弘とマヒナスターズ。
鶴岡雅義と東京ロマンチカは演歌調。
そして、ラテン系ならば、今回ご紹介する黒沢明とロス・プリモスです。
マヒナは殿堂入りとして、黒沢明とロス・プリモス、鶴岡雅義と東京ロマンチカはムード歌謡の東西横綱と言っていいでしょう。
ラブユー東京
黒沢明とロス・プリモス - ラブユー東京 - https://t.co/VdcavNtPNQ @DailymotionUSAさんから
— 畠中由宇・相互フォロー100% (@hata_follow) April 8, 2020
1965年、黒沢明は、ロス・プリモスのメインボーカルに森聖二を新たに迎え、“大人にも楽しめて唄える歌”として再スタート。
そして、大ヒットしたのが『ラブユー東京』です。
もっとも、1966年4月にクラウンレコードからリリースした時は、『涙とともに』(作詞/木村伸・作曲/中川博之)がA面で、『ラブユー東京』(作詞/上原尚・作曲/中川博之)はB面でした。
それが、地道な活動で1年後に『ラブユー東京』の方が注目され、A面とB面をひっくり返して再リリースしたというエピソード付きです。
上の動画は何度観ても飽きません。森聖二さんがとにかく巧いのです。
高い音も出せるので、女性になりきった歌い方が合っています。
Youtubeには、「東京って言ったらまさにこういう雰囲気だよね。都会の夜の感じって」「この声を人間国宝に推薦します」などなど絶賛のコメントが並んでいます。
https://www.youtube.com/watch?v=E0D6yx-D1ws
徳光和夫に「お兄さん」と言われた男
歌がヒットすると、センターで歌うヴォーカルが注目されるのですが、複数のメンバーを束ねるリーダーの力量が不可欠であることも忘れてはなりません。
ロス・プリモスの場合、黒沢明さんはリーダーではありますが、決して「俺が俺が」とでしゃばることなく、上記の動画でもいちばん目立たない左端にいます。
ロス・プリモス自体は多くのヒット曲がありますが、さて、「このメンバーの中で誰が黒沢明なのか」、と思われる方も多かったと思います。
それほど、黒沢明さんは自己主張されなかったのです。
『せめてお名前を』という歌がヒットした時、徳光和夫が司会していた番組にロス・プリモスが出演しました。
そこで徳光和夫は、黒沢明さんに「お兄さん」と冗談を言ってました。
もちろん、顔が似ている、という意味です。
私は子供の頃、そこで初めて「黒沢明」という人を意識。それがなかったら、メンバーの1人としか思わなかったでしょう。
倒れた黒沢明はステージの復帰ができなかった
黒沢明とロス・プリモス「たそがれの銀座」 https://t.co/szT96Mel22 @YouTubeさんから 1968年 「たそがれ」と言えばロマンチックな響きだったけど、最近は死にそうな気配に変わった。
— かしろう (@asuka0509) April 3, 2020
その後も、『たそがれの銀座』『ヘッドライト』、上述の『せめてお名前を』などのヒットを重ねましたが、グループ結成15周年を前にした1980年、黒沢明はコンサート中に倒れてしまいます。
ロス・プリモスがテレビ出演すると、決まって「(リーダーは)復帰に向けリハビリ中」とのことでした。
入院中は作詞活動も行っていたそうですが、結局ステージの復帰はならず、2009年に亡くなりました。
黒沢明が倒れてからは、グループ名からリーダーの名前を外したものの「ロス・プリモス」の名称は存続させました。
それは自分に声をかけてくれた森聖二の感謝の気持ちもあったといわれています。
しかし、その森聖二も、黒沢明が亡くなった半年後、自宅で心筋梗塞の発作で倒れ、息を引き取りました。
昨今の楽曲は、映像や音響技術が重要になっているようですが、声(コーラス)とメンバーの楽器だけでムードを作り上げるムード歌謡の世界が昭和の一時期は隆盛を極めました。
それはロス・プリモスの歌で堪能することができるでしょう。

黒沢明とロス・プリモス ベスト ラブユー東京 EJS-6027 - 黒沢明, ロス・プリモス

極上ムードコーラス BIG3 CRC-1840 - 黒沢明とロス・プリモス, ロス・プリモス, サザンクロス, 平和勝次とダークホース
この記事へのコメント
懐かしいです
確かにそういうジャンルありましたよね~。
ロスプリモスも、東京ロマンチカも
しっかり覚えてます~。
ぱっと見、徳光さんが若かったらこんな顔なんだろうなと思いました。
甘い歌声でした。