岡江久美子さんの遺骨映像を見たくせにマスコミを唾棄する自己愛

岡江久美子さんの訃報は突然でしたが、遺骨になるのも早かったのでさらにびっくりしました。法律で定められている、死後24時間を超えたところですぐに荼毘に付したのでしょう。葬儀も行わなかったことと、遺体そのものの感染のリスクを考えているのかもしれませんね。まずは、岡江久美子さんの生前のご遺徳を、お偲び申し上げます。
いつもなら、岡江久美子さんの過去の出演作を振り返るところですが、一言したいことがあるのでそれを書きます。
さて、大和田獏さんが、岡江久美子さんのお骨を抱いてメディアに挨拶と国民へのメッセージを発した点について、コーフンしたネット民は、マスコミに八つ当たりしているのですが、ちょっとおかしくないでしょうか。
【新型コロナにより死去】岡江久美子さんの遺骨が自宅に戻るhttps://t.co/HxQyTco6Ju
— ライブドアニュース (@livedoornews) April 24, 2020
夫・大和田獏は遺骨を持ち「こんな形の帰宅は本当に残念で、悔しくて、悲しいです。みなさまもお気をつけ下さい」と語った。 pic.twitter.com/O9b42dVPL3
いくつかコメントを拾ってみます。
>マスコミがあまりに酷い
>家の前に集まってるマスゴミ
>こいつらアホちゃう?
>フラッシュたいてるだけの数のカメラマンが密集してたんだよな
>本当にクズだよ
>そっとしておいてってコメント出してるのに
映像を見る限り、別に嫌がる大和田獏さんに無理やりぶら下がったわけではなく、自宅内まで入り込んだわけでもありません。
大和田獏さんはご自身の立場を考えて、報道陣に対して必要な挨拶と国民へのメッセージを発し、それをマスコミは撮影しただけではないでしょうか。
大和田獏さんの言われる「そっとしておいて」というのは、メディアだけでなく、視聴者(国民)に対しても発信しているのですよ。
私は、このコメントこそ、もっともだと思いますが、いかがですか。
>いつも思うが
>お前ら会見映像きっちり見ておいて
>「押しかけるマスコミが酷い」とか
>頭おかしいんじゃねーの?
私は、感染して亡くなった人が、こんなにはやくお骨になるって知らなかったので、たまたま見てしまいましたが(志村けんさんの時はもう1日あったように思いました)、そうでなかったら、わざわざ積極的に「そのシーン」は見なかったと思います。
見ない人が、「そんな取材は不要です」というならともかく、見ておいて文句を言うのは変ですね。
要するに、「大和田獏になりかわって、取材する奴を悪く言うギフンにかられた自分てなんて素敵なんでしょう」という自己愛の思い上がりではないのですか。
そもそも、私は見てしまいましたが、その感想は、「死に目にも会えない、葬儀も行えないという酷さがコロナなんだな」と改めて感じました。
つまり、映像自体にはそれを考えさせる公益性はあると思いました。
自粛破りをして恥じない心に、考えてもらうためにも必要な映像ではないでしょうか。
いつも自分以外のものに不平不満ばかり述べて、自分は何も悪くない。
そういう姿勢が、緊急事態宣言で各自の自覚が問われている今、問題視されるべきではないでしょうか。
マスコミが無謬ということではありません。
ただし、いつも書いていますが、マスコミの質は民度の合わせ鏡だと私は思います。
マスコミ批判をする前に、じゃあ翻って自分はどうなんだろうって謙虚に考えてみませんか。
批判は必要だと思います
そうかと思うと、今度は逆に、こうしたブログやマスコミに対して、「政治批判はするな」などという噴飯な意見を述べる人もいます。
そういう人は、給付金10万円は辞退しないとおかしいですよね。
政府は、いったんは条件付き30万円で補正予算を組んだのに、ひっくり返したのは、国民やメディアが要求を上げ続けたからです。
批判したから、10万円が給付されるにいたったのです。
しなければ、そうはならなかったのです。
もちろん、先日ご紹介した武田邦彦氏のように、批判の仕方に首を傾げるものもあります。
しかし、それはそれでまた「武田氏はおかしい」と批判を述べればいいだけです。
言論(表現)は自由です。
自由にいろいろな表現活動を行うことで、人は「気づき」を得て、社会は前に進むのです。
批判という行為そのものを否定する人は、きっと、自分が批判されたくない、自己愛の強い人なんだろうと私は思っています。
そういう方は、ブロガーには向いていないんじゃないでしょうか。

岡江久美子の楽食レシピ - 岡江久美子
この記事へのコメント
最期に立ち会えなかったご家族、そして一人で旅立った岡江さんを思うとこのウィルスの残酷さを思い知ります。
それにしても志村けんさんの時に知りましたが、死に目に立ち会えない。荼毘に送り出す時さえ立ち会えない。家族にとってこんな残酷とも言える最後になるのはやりきれません。
大和田獏さんのご挨拶もニュースで見ましたが
別にマスコミがヒドいとは思わなかったのですが
そんな風に思う人もいるんですねぇ・・・
マスコミを批判しているのは、
3蜜をみずから作っているからだと思う。
報道している側が一番わかってない。
それは見たからこその感想で、見せてくれた映像そのものを
否定するのとは別問題ですね。
10万円の件もそうですが、マスコミは私たちの要求を
満たすために、上手に使うものだと思います。
志村さんも岡江さんも、最後は家族や親しい人たちとも会えなかったというのが、コロナの怖さを物語っていますね。
大和田さんはきちんとしたご挨拶をなさったので、私たちもある程度岡江さんの最後を知ることができ、よかったと思います。
あれだけ政治家が色々言っても、不要な外出したりパチンコに行ったりする人はいるんですね。とにかく自分で自分をまもること。それしかないような気がします。
報道を見て、私はどうしてご遺骨は手渡しされなかったのだろう?(わざわざ椅子が置かれていたので、大和田さんの御意向?)と思いました。そして、志村けんさんの時も思いましたが、家族は感染予防の観点から面会さえもできず、亡くなってから知らされて、火葬場へ行くことも許されない状況。普通、残された者は、お通夜・告別式という数日の間に現実を受け止め、送り出すことができると思うのですが、コロナの場合は残された人たちの心に空いた大きな穴・悲しみは癒えることがないように思います。
学生時代に、勉強しながら「はなまる」見ていることもありました。
致し方ないことですが、ご遺族はどんなに寂しいでしょう。きちんとしたご挨拶をされていたと思います。
映像は見ませんでしたが。
批判はたいてい起きるもの? 口を極めて罵倒するだけみたいなのはアウト。
意見は言っていいと思います。思わぬ事態で政府も右往左往しているような状態だから余計に、知恵を出し合うべきでしょう。
妻をこんな形で突然失った哀しみ、悔しさがにじんでいて
葬儀もできない中で精一杯の挨拶だったと思います。
取材が嫌かどうかは、被取材者が決めることで、外野がどうこう言うことではありません。
考えさせられます。
大和田獏さんのメッセージを伝えただけで、どうして叩かれなきゃならんの?
マスコミを叩けば正義みたいな風潮ってありませんか。バカバカしいですな。
コロナの怖さを改めて感じています。
いつも批判される立場のわたしです。(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v
皆さん相当ストレスが溜まっているんでしょうね。(o゚∀゚o)
しかし人に八つ当たりするような行為を批判と呼べるのだろうか。いっぷくさんはご存じだと思われますが、これは明らかに批判ではなく単なる「非難」ですよね。
ネットにはびこる批判と呼ばれるものの正体の殆どが「非難」か「誹謗中傷」か「名誉毀損」か「八つ当たり」です。
批判であればわたしはいつでも聞く耳を持っていますが、非難なら相手にしません。共馬鹿になる気はありませんから。まあこのところそんな「民意の低いブロガー」は現れていませんが、炎上させて喜ぶ愉快犯はどこにでもいます。SSブログの中でもそういう輩を数名特定しています。何か遣ったら直言しようと思います。