『気づけない毒親』自分の不遇な人生の本当の理由を知れば明日が開ける
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昨日は、安倍晋三さんから「毒親」問題を考えました。でも、まだ毒親についてご理解いただけない方も多いと思います。「親孝行」という言葉が、子の親に対する疑念や憤りなどを遮る役割を果たしているのです。しかし、自分の生き様が、自分のせいではなく親の関わり方にあったとわかることで、自分に対する肯定感を抱けて人生が開けてくることがあるかもしれません。ということで今日は、『気づけない毒親』(高橋リエ、毎日新聞出版)から毒親の概念やタイプについてご紹介します。
毒親とは何だ
毒親とは、子にとって毒のような悪影響を及ぼす親、という意味です。
医学や社会学など、学術上の明確な定義があるわけではありません。
Wikiにかかれているように、「俗的概念」です。
というと、マスコミが勝手に作ったトレンドと思われがちですが、社会問題というのは、得てして演繹的な成り立ちを示すものです。
つまり、最初に定義ありきではなく、様々な「悪影響」の事例が今後も積み重なることで、より厳密な定義が完成するということです。
「毒親」という言葉は、1989年にアメリカのセラピスト、スーザン・フォワードが『毒になる親』という書籍を上梓してから使われるようになりました。
「たとえ親はまったく変わらなくとも、あなたは子供時代のトラウマを乗り越え、親によって支配されている人生を克服することができる。(中略)あなたに必要なのは、それをやり抜く決意と実行力だけなのだ」スーザン・フォワード『毒になる親』https://t.co/ahXxO8EVzi
— 毒親・解毒bot (@dokuoya_gedoku) August 14, 2020
どうして毒親という存在があるのか、について、様々な原因が推理されています。
今日ご紹介する『気づけない毒親』では、親が昭和世代で、戦後後遺症とも言うべき強迫観念があったからといいます。
「頑張らなければならない」「我慢しなければならない」「急がなければならない」「競争に勝たねばならない」「強く生きなければならない」といった「ねばならない」という強迫観念を持ち、それを子に押し付けているといいます。
国会議員でもあった精神科医の水島広子さんは、毒親が発達障害だったケースがあったと『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―(新潮新書)』で述べています。
こう書くとすぐ、発達障害の人から抗議が来るわけですが、発達障害が必ず毒親になるという文脈ではないし、独りよがりの抗議でこの問題と向き合わない時点で、その人も毒親かその候補だと私は解しています。
といっても、私は別に専門家ではありませんが、親が発達障害だけでなく、自己愛性パーソナリティ障害であることも、主たる原因として枚挙できそうな気がします。
自己愛性パーソナリティ障害を簡単に言えば、自意識過剰で自分が一番かわいい。自分を守るためなら、嘘もつくし、他人も裏切れるし、我が子ですら時と場合によっては憎らしくなる人のことです。
子に対して、平気で罵倒・暴言のタグいを投げつけられるのは、このタイプだと思います。
そのほか、夫婦仲がよくない家庭も、子に辛くあたります。
配偶者(子にとっては親)の悪口なども、子の前で平気で口にします。というよりわざわざ耳に入れます。
毒親の6つの傾向
今日高橋リエさんの「気づけない毒親」の本を読ませて頂きました。
— バスィートKato@HSS型HSE (@ijIWZMa6AnOZcDc) July 25, 2020
子供に対する接し方がその時だけでなく、人間形成にかなり影響を与えることがわかりました。
これを見直すことによって、生きやすい個人、家庭、社会ができるのではないでしょうか?
すごく為になりました。 pic.twitter.com/IKl7FXna5b
高橋リエさんの『気づけない毒親』には、毒親の6つの傾向が書かれています。
これは、6種類に分かれるというよりも、毒親はたいてい複数の傾向をもっていて、その組み合わせがケースによって異なると見たほうが良さそうです。
ジャイアンタイプ
口が悪く、つねに攻撃的な言葉で子どもを否定し押さえつける「ジャイアンタイプ」。
「おまえなんてダメなんだ」「どうせできっこない」……
私も母親に言われましたね、「お前の顔はまずくて、どうせモテないのだから俳優はなれない」とか。
いや、別に俳優になりたいと言ったわけではなく、ドラマの話をして、自分だったらこんなふうに演じるのに、といったときですよ。しかも子供の頃。
「芸能界など反対だ」という意図があったようですが、何もそこまで言わなくいもいいだろう、と思いました。
電車の車掌になりたいと言ったときは、山師の父親が「そんなつまんねえ仕事で、3万ぐらいの給料もらってもつまらないだろう」と反対されました(笑)就学前の子にですよ。
これをやられると、自己肯定感も自己意思決定能力も育たないのです。
なおジャイアンタイプは、スイッチが入ると罵倒のラッシュに豹変する「般若型」、複数の子のうち特定の子だけを可愛がる(特定の子だけに辛くあたる)「差別型」があるそうです。
うちは、「差別型」でしたね。
可愛そうな母タイプ
子どもが思い通りにならないと、つらそうにしたり、泣いたりして子どもに罪悪感を抱かせコントロールする「可愛そうな母タイプ」。
これも私の子供時代にあてはまりますね(笑)
弱々しく、治らない貧血だと言って死にそうなふりをするので、買い物に行くときは、父親の名刺を財布やポケットに入れてやりましたが、母親が道端で倒れたことは1度もありません。
パフォーマンスタイプ
子が思い通りならないと、親戚中に触れ回って自分の正当性を訴える「パフォーマンスタイプ」。
これもやられたな(笑……からだんだん涙)
至れり尽くせりタイプ
子供のために、日々世話を焼き、献身的に尽くしながら、子どもが自分の敷いたレールを着実に走るよう、たくみに誘導するタイプを、本書では「至れり尽くせりタイプ」と呼んでいます。
実は、このケースが厄介です。
レールを用意してくれるので、子は、高学歴でステータスの高い職につくことが多いため、世間からは「良い親」に見られ、子自身も毒親であることに気が付かないことが少なくありません。
昨日の安倍晋三さんのタイプがこれでしょうね。
ただし、昨日も書きましたが、その人が自分の哲学をもって自分の人生を切り開けない「ほしのもと」は、真に幸福と言えるのかという、生きる上での根本的な疑問がつきまといます。
逃避タイプ
「逃避タイプ」。まあ要するに、ネグレクト、放任のたぐいですね。
うちは過干渉型だったので、唯一これだけは当てはまりません。
ところが、どちらかというと私の妻の実家がこのタイプだったようです。
2人で「お互い、よくグレなかったよなー」と慰めあっていますが、そもそも威圧型の毒親は、子がグレることすら許しません(汗)
だからそういう子供は、いきおい凶悪犯罪や自殺に走るのです。
自己愛タイプ
自己愛性パーソナリティ障害のところでも書きましたが、自分がよい妻、よい母であること、あるいはそう見えることが大事で、実は子のことなんか二の次という「自己愛タイプ」。
この傾向が強い人は、傍目には教育熱心だったり、細かいところに気がついたりと一見良妻賢母に見えるのですが、自分の非を認めない、自分にとって都合も悪いことは責任転嫁するそうです。
毒父タイプ
これまでの毒は母親でしたが、本書は、毒父についても5つのタイプを枚挙しています。
「事なかれタイプ」「(妻に)同調タイプ」「根性論で威圧するタイプ」「逃避タイプ」「家族を恐怖で支配するモラハラタイプ」などです。
毒親というのは、両親のどちらかだけということはなく、夫婦揃って毒なのだそうです。
毒親夫婦はいつも喧嘩をして、子に悪影響をもたらしますが、実はその喧嘩自体が当の夫婦にとってはそれなりにコミュニケーションになっているそうなのです。
そういえば、以前ご紹介した、杉田かおるさんの両親は、刃物まで使って喧嘩していたそうですが、杉田かおるさんは、それも愛情表現なのかと思い、以来、人と齟齬があると「表にでろ」が口癖になってしまったそうです。
第三者に相談して整理してもらうことも大切
ほかには、毒親は独り言が多い、自分の発言に責任を持たない、人や社会に対する不平不満ばかり述べている、精神年齢が低い、などを本書は指摘しています。
虐待はもちろん毒親ですが、肉体的虐待はいずれ表沙汰になります。
でも、上記の「毒」は、決して第三者からは見えないことが問題を深刻にしています。
そして、人格形成時にそのような「毒」を刷り込まれることで、大人になってからそれを払拭することはなかなか困難です。
私は本書を読んで思ったことは、自分の親が毒親だったという自覚があって、それが原因で自分が生きづらくなっている人は、1度専門家のカウンセリングを受けて、何が悪いのか、どうすれば払拭できるかを相談したほうがいいかもしれない、ということです。
「自分の親に限ってそんなことはないんだ」という気持ちはあるかもしれませんが、ちょっと自分のこととして考えてみませんか。
この記事へのコメント
人間は自分の親が1つの基準となって成長していく面があると思うのですが、それゆえに他者の親とはどう違うのかというのが解りづらい部分もあると思うので、そういう意味でも第三者に相談をするというのは大切なことかもしれませんね。
どんな親だったのか
自身があるとは言いかねますね。