年忌法要は何回忌まで行ったら良いの?しないと罰があたるの?
仏事シリーズ第三弾です。
今日のお題は、年忌法要について
親族が亡くなって、何回忌の法事ってありますが、あれ、いつまでやったらいいの?
しないとなにか悪いことあるの?ということについて解説されている動画からご紹介します。法事は、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、(二十五回忌)、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌とあります。
一周忌だけは「まる一年」ということで、「周」がつきますが、あとは「◯年目」という意味なので、たとえば三回忌なら、その年が三年目、つまり実際は「まる二年」ということです。
一周忌以外は、基本的に「三」と「七」がつく回忌で、二十五回忌だけは例外ですが、五十回忌の中間点ということで法要を行うのでしょうか。
弔い上げというのは、年忌法要の最後として執り行う法要のことですが、まずそれは何回忌まで行ったら良いの、という話です。
先日、『仏壇等処分するとして魂抜きするものとしないもの、わかりますか』でご紹介した、仏教・お寺ch 大慈さんの動画で語られていました。
『曹洞宗宗勢総合調査報告書2015』(全国の曹洞宗寺院のアンケート結果)にある『檀信徒の弔い上げの年忌』によると、33回忌(24.3%)と50回忌(24.4%)がほぼ同数だったそうです。
それを地域ブロック別で見ると、
五十回忌が多い……北海道、北陸、近畿、中国、四国、九州・沖縄
三十三回忌が多い……東北、関東、甲信越
となっています。
動画では、「北海道をのぞくと、東の三十三回忌、西の五十回忌」とまとめています。
一方、『曹洞宗檀信徒意識調査報告書2012』(檀家側のアンケート調査)では、檀家信徒に、『弔い上げまで欠かさず行うべきだ』と聞き取り、それに対する回答です。
ということで、ほぼ半数の檀家・信徒が、法事は積極的に行うべきだと思っています。
しかし、現代人は多忙ですし、それぞれの生活がある親族で集まることもむずかしくなりました。
それでも、法事はしなければならないのでしょうか。
浄土真宗本願寺派高善寺(島根県邑南町)の、武田正文僧侶(臨床心理士、公認心理師)のチャンネルからです。
法事は、亡くなった人に近い人達が集まり、命と向き合う機会だといいます。
命は終わっても、仏様となってご浄土という世界があるから安心しなさい、ということを亡くなった人が教えてくれるのが、法事なのだそうです。
では、法事を行わないとバチが当たるのでしょうか。
「仏様は、バチが当たるとか、祟りがあると言った存在ではありません」
では、バチが当たる、祟りがあるというのは、いったい何を指しているのでしょうか。
「これは実は、私達自身の心がそうさせているのです。私達の目の前で悪いことが起こったとき、私達はどこかに原因を探すのです。
そんなときに、心の中に法事をしなかった罪悪感を持っていると、法事をしなかったからこんな悪いことが起こったんじゃないか、そういうふうに私達は考えてしまうんです。」
仏様は、お浄土の世界という素晴らしい世界がある。ということを私達に伝えているので、法事をすることによって、私達が自分中心のものの見方で、苦しみ、迷い、生きていくのではなく、仏様からご覧になった世界は、私達がいいときも悪いときも支えているということを知ってほしいと語っています。
要するに、法事を行わなくても罪悪感は持たなくていい、ということです。
だだ、法事は「自分中心のものの見方」からちょっと離れて、自分の人生を見つめ直す機会になり得るということだと思います。
私自身は特別な信仰がないので、宗教のルールや考え方がさっぱりなのですが、亡父が宗教道楽で、墓守をしている祖父母の菩提寺が本願寺派、東京で付き合っていたのが曹洞宗、母の改名の命名が天台宗、そして今にして思うとたぶん高橋是清に憧れたようで、是清が学んだキリスト教系の大学に進んだため、我が家が何度引っ越しても捨てられない聖書が押入れにあります。
しかし、宗教は世界観ですから、掛け持ちというわけにもいかないので、今後そうした宗派との付き合いをどう調整していくか、なども調べていきたいと思っています。

マンガ仏事入門 (おしえて法事・葬式・お仏壇) - 作:岡橋 徹栄 画:広中 建次

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今日のお題は、年忌法要について
親族が亡くなって、何回忌の法事ってありますが、あれ、いつまでやったらいいの?
しないとなにか悪いことあるの?ということについて解説されている動画からご紹介します。法事は、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、(二十五回忌)、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌とあります。
一周忌だけは「まる一年」ということで、「周」がつきますが、あとは「◯年目」という意味なので、たとえば三回忌なら、その年が三年目、つまり実際は「まる二年」ということです。
一周忌以外は、基本的に「三」と「七」がつく回忌で、二十五回忌だけは例外ですが、五十回忌の中間点ということで法要を行うのでしょうか。
法要は何回忌まで行ったら良いの?
弔い上げというのは、年忌法要の最後として執り行う法要のことですが、まずそれは何回忌まで行ったら良いの、という話です。
【弔い上げ】法事は何回忌までやるの?【ご供養】 https://t.co/6E4qKknm2O via @YouTube
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 24, 2021
先日、『仏壇等処分するとして魂抜きするものとしないもの、わかりますか』でご紹介した、仏教・お寺ch 大慈さんの動画で語られていました。
『曹洞宗宗勢総合調査報告書2015』(全国の曹洞宗寺院のアンケート結果)にある『檀信徒の弔い上げの年忌』によると、33回忌(24.3%)と50回忌(24.4%)がほぼ同数だったそうです。
それを地域ブロック別で見ると、
五十回忌が多い……北海道、北陸、近畿、中国、四国、九州・沖縄
三十三回忌が多い……東北、関東、甲信越
となっています。
動画では、「北海道をのぞくと、東の三十三回忌、西の五十回忌」とまとめています。
一方、『曹洞宗檀信徒意識調査報告書2012』(檀家側のアンケート調査)では、檀家信徒に、『弔い上げまで欠かさず行うべきだ』と聞き取り、それに対する回答です。
回答数 | % | |
まったくそう思わない | 58 | 0.9 |
そう思わない | 540 | 8.3 |
どちらともいえない | 2279 | 34.9 |
そう思う | 2572 | 39.4 |
非常にそう思う | 633 | 9.7 |
無回答 | 448 | 6.9 |
合計 | 6530 | 100.0 |
ということで、ほぼ半数の檀家・信徒が、法事は積極的に行うべきだと思っています。
法事はなぜ行うのか
しかし、現代人は多忙ですし、それぞれの生活がある親族で集まることもむずかしくなりました。
それでも、法事はしなければならないのでしょうか。
浄土真宗本願寺派高善寺(島根県邑南町)の、武田正文僧侶(臨床心理士、公認心理師)のチャンネルからです。
法事は何でするの?一周忌、三回忌、七日参り、満中陰 https://t.co/CWbNO8r7BG via @YouTube
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 24, 2021
法事は、亡くなった人に近い人達が集まり、命と向き合う機会だといいます。
命は終わっても、仏様となってご浄土という世界があるから安心しなさい、ということを亡くなった人が教えてくれるのが、法事なのだそうです。
では、法事を行わないとバチが当たるのでしょうか。
「仏様は、バチが当たるとか、祟りがあると言った存在ではありません」
では、バチが当たる、祟りがあるというのは、いったい何を指しているのでしょうか。
「これは実は、私達自身の心がそうさせているのです。私達の目の前で悪いことが起こったとき、私達はどこかに原因を探すのです。
そんなときに、心の中に法事をしなかった罪悪感を持っていると、法事をしなかったからこんな悪いことが起こったんじゃないか、そういうふうに私達は考えてしまうんです。」
仏様は、お浄土の世界という素晴らしい世界がある。ということを私達に伝えているので、法事をすることによって、私達が自分中心のものの見方で、苦しみ、迷い、生きていくのではなく、仏様からご覧になった世界は、私達がいいときも悪いときも支えているということを知ってほしいと語っています。
まとめ
要するに、法事を行わなくても罪悪感は持たなくていい、ということです。
だだ、法事は「自分中心のものの見方」からちょっと離れて、自分の人生を見つめ直す機会になり得るということだと思います。
私自身は特別な信仰がないので、宗教のルールや考え方がさっぱりなのですが、亡父が宗教道楽で、墓守をしている祖父母の菩提寺が本願寺派、東京で付き合っていたのが曹洞宗、母の改名の命名が天台宗、そして今にして思うとたぶん高橋是清に憧れたようで、是清が学んだキリスト教系の大学に進んだため、我が家が何度引っ越しても捨てられない聖書が押入れにあります。
しかし、宗教は世界観ですから、掛け持ちというわけにもいかないので、今後そうした宗派との付き合いをどう調整していくか、なども調べていきたいと思っています。

マンガ仏事入門 (おしえて法事・葬式・お仏壇) - 作:岡橋 徹栄 画:広中 建次

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この記事へのコメント
菩提寺がないと、法事をどう行うのかすら、わからないですね。
早く亡くなった母は既に三十三回忌を終えましたが8年前に亡くなった父の供養は、それまで自分が持たないでしょうね。
昔は死んだら土に埋めた、でも何処に埋めたか分からない。
なので石を置いて分かるようにした。そのご我が家の墓を優位に見せたくて墓石を建てた。などで死後に関しても何の決まりもないので法事は普段の心の中でだけ先祖様を思い出してます。なかなか上手く言えません。
後は命日に仏壇にてお参りしております、
去年の父の十三回忌は行いませんでした
今年の母の七回忌は行います
なぜかは分かりませんが
喪主の兄が、それでいいだろうと、いうので、、、。
ただ、父の兄弟に声をかけてお招きするというのは、今回で最後にしようと考えています。
次回以降は、母とボクの妹たちとその子供たちまでのつもりです。
ただ、4年後に父の兄弟たちがどうなっているかで変わりますけどね(^^)
37回忌まで勤めてあとは50回忌で一応終了です。その頃には新しい仏さんが出来ているので延々と続きます。
父の37回忌は済み、あとは母の33回忌と37回忌で終わりです。次は自分が送ってもらう番ですね(笑)
昔は親戚からご近所まで喚んで大変でしたが、最近は親族だけ、それも両親の親族は皆高齢になり今は家族と兄弟だけ、それもコロナで父の37年は家族だけで営みました。
そもそも都営の集団墓地なのでお寺の檀家
でもないし(もっと言っちゃうと無宗教だし)
命日に家族でワイワイと故人の思い出話をす
るだけで充分喜ぶのではないかと。
特に信仰する宗教がない場合、死んだら自動
的に仏式で葬られて仏様の弟子になるって
変な仕組みだなぁと子供の頃から思ってまし
た。