市川猿之助事件、ドクター・キリコ事件など自殺幇助を仏教で論考する

ドクター・キリコ事件(平成10年)を覚えていますか、もしくはご存知ですか。ネットによって知り合った人による自殺幇助事件です。おりしも、「市川猿之助を自殺幇助で逮捕へ」(文春オンライン)という話題もあり、自殺について仏教の視点から考えてみました。市川猿之助が、自殺幇助で逮捕されるのではないかといわれています。(2023年6月2日現在)
市川猿之助を自殺幇助で逮捕へ「両親は別の薬物摂取の可能性も」「ビニール袋、薬のパッケージをゴミに」(文春オンライン)#Yahooニュースhttps://t.co/ZXQPFUGsdR
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) June 2, 2023
自殺幇助とは、自殺を手助けする行為です。
自殺幇助は、日本では刑法第202条に規定されている、「自殺関与と同意殺人に関する犯罪を規定した条文」によって、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処されると定められています。
市川猿之助事件については、まだ詳細が明らかになっていないので、今回は『平成日本を震撼させた重大事件未解決ミステリー』(グループSKIT、PHP研究所)Kindle版から、ドクター・キリコ事件(1998年)をご紹介します。

ネットを介して知り合った者による、自殺幇助事件です。
青酸カリがあれば逆に安心できた!?
事件が起こったのは、1998年12月12日午後1時ごろ。
東京都杉並区に住む当時24歳の女性(24)宅に「草壁竜次」から送られた、10人以上の致死量に相当する23グラムの青酸カリ入りカプセルが全部で6個詰めを口にし、女性はそのすべてを飲んで死んでいました。
送り主の住所は架空のものでした。
ただし、電話はつながりました。
「本当に飲んだんですか。彼女が死んだら自分も死にます」と言って、繋がった相手は本当に服毒自殺をしました。
送り主は、私立大学の理工学部工業化学科を出た、薬物知識のある27歳の男性でした。
卒業後は、北海道の医薬品開発会社で働いていましたが、すぐに退社。
単身でインドやタイなど海外旅行をしていましたが、そのときに「お守り」としてもっていたのは青酸カリ。
いつでも死ねる選択肢を持つことで、逆に開き直って生きる術を見つけたといいます。
当時、東京都に住む「美智子交合」なるハンドルネームの主婦(当時29歳)が運営していた、「安楽死狂会」という文字通り安楽死を取り扱ったウェブサイトがありました。
男性は「キリコ」を名乗り、そこに設置された掲示板に「専属医」として招かれ、「ドクター・キリコの診察室」という掲示板で、安楽死したい人の相談に乗っていました。
そして、「青酸カリの保管委託」という名目で、被害者の女性を含む「自殺希望」を標榜する数人に青酸カリを送付していました。
「保管委託」という名目通り、キリコ自身は、その人たちが自殺するためではなく、自分のようにいつでも自殺できる青酸カリが手元にあることで、逆に安心して自殺に踏み切らないことを狙っていたといいます。
ところが、案に相違して、本当に自殺者が出てしまった。
キリコが自殺したのは、その引責であったと見られています。
後先になりましたが、なぜこれをドクター・キリコ事件と呼ぶかというと、『ブラック・ジャック』に登場した、主人公の敵役として、死にたい人を死なせる仕事をしている「医師」から命名したものでした。
しかし、本人に自殺幇助の意図がなかったのなら、ドクター・キリコと呼ぶのは違うように思います。
さて、みなさんは、この事件をどう考えられましたか。
仏教は自殺をどう見るか
一般的に、宗教は自殺を禁じています。
人間の命は、神のものだという信仰に基づいているためです。
では、神様を前提としていない仏教ではどうか。
お釈迦様は、自殺については肯定も否定もしていません。
弟子には、自ら死を選んだ人もいます。
……と、ここで読み飛ばさないで、最後まで読んでくださいね。
それは、答えを出せないとか、自殺そのものをよしとするからというよりも、お釈迦様の仏教は解脱と涅槃寂静が目的なので、解脱できたならば(涅槃に至るならば)生死は二の次という考え方だからです。
お釈迦様の弟子ということは、涅槃寂静のために、出家してすべてを捨てている人ですよね。
すべてを捨て、涅槃を求めている人が死を選んだということは、煩悩がなくなった、欲望が捨てられたということです。
翻って、出家もしていないくせに自殺したい人は、煩悩がなくなったから自殺したいわけではないですよね。
むしろ、煩悩に負けて、逃げ出す意味で自殺したいだけでしょ。
それは、お釈迦様は認めていません。
解脱していないならば、自殺は「業」を背負うことになります。
業というのは、善悪どちらも含む行為ですが、仏教的にはそのもととなる意志自体を「煩悩」としています。
現世で嫌なことがあったから、そこから逃げるために自殺することは、「業」を生むことになるので認めていません。
厳密に述べようと思ったので、まわりくどくなりましたが、お釈迦様の仏教では、人生に不満や絶望を感じたことによる自殺は認められていない ということになります。
では、大乗仏教はどうか。
大乗仏教の基本的な「コンセプト」は利他の精神です。
その理屈では、他人のために命を捧げることはいいことになってしまいますが、ここは解釈が難しく、現実にそういう自殺はあるかどうかの議論は措きます。
ただ、少なくとも言えることは、遺された人を悲しませる、というマイナス面がありますよね。
それは、「利他」に反することです。
電車に飛び込まれたり、ビルから飛び降りられたりしたら、周囲の他人にも迷惑だしね。
それも、「利他」に反することです。
自殺幇助については、どちらも認めているという話は聞きません。
もとより、「生きとし生けるもの」に対する一般論としては、「殺す」ことは禁じており、したがって自殺幇助などは認めていないと解釈できます。
大乗仏教の、利他の価値観から見ればもってのほかでしょう。
ゴータマ・シッダールタさん(お釈迦様)が長年かかって悟った結論は、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」そして「一切皆苦」の四つであり、それを四法印といいます。
諸行無常: すべての物事は常ならざるものである。
諸法無我: すべての物事は我ならざるものである。
一切皆苦: この世のすべては苦しみである。
涅槃寂静: 涅槃は安らぎの境地である。
仏教の「四法印」という教えの一つに、一切皆苦というものがあります。
世の中や人生は、自分の思い通りにならない苦しみの連続なのだ。
思い通りにコントロールできることは、決して多くはないという真理を教えているのです。
だから、つらい、苦しい、生きづらい、というのは、そもそも人生として当たり前のことであり、そんなことで死ぬのはおかしいだろう、ということになります。
え、俺は別に仏教なんか信仰していないって?
仏教というのは本来、信仰するものではなく、個人がありのままに事象現象を悟る世界です。
外界の現象を合理的に解明するのが科学であり、人間の内心を合理的に探るのが本来のお釈迦様の仏教です。
つまり、人間は金持ちだろうが貧乏だろうが、大学出だろうが中卒だろうが、イケメンだろうがそうでなかろうが、仏教を信じようが信じまいが、どんな立場や価値観であっても、一切皆苦の人生だと言っているのです。
だれだって一切皆苦で生きているのに、あなただけ生きづらいから一抜けたとやられたら、残った人はどうするんですか、という話です。
人間というのは、死にたい死にたいと思っても、人のちょっとしたアドバイスで、気を取り直すこともあります。
衝動的にヤッてしまうのは、ホントもったいないなあと思います。
未解決事件はたくさんある
『平成日本を震撼させた 重大事件 未解決ミステリー』は、未解決事件、起訴されてはいるものの、再審請求などが行われ謎が残るもの、動機に疑問が残るものなど、核心部分で「謎」をともなう事件を51事件リストアップしています。
その中には、このブログでもご紹介した事件も含まれています。
07 大阪西成女医不審死事件(平成24年)
22 北九州監禁殺人事件(平成14年)
32 和歌山毒物カレー事件(平成10年)
33 ドクター・キリコ事件(平成10年)
36 東電OL殺人事件(平成9年)
37 太田市女児行方不明事件(平成8年)
どれも、メディアを賑わせた事件ばかりです。
51も載ってますから、他の事件についても、また折りを見てご紹介しましょう。

平成日本を震撼させた 重大事件未解決ミステリー (PHP文庫) - グループSKIT, グループSKIT
この記事へのコメント
作品に罪は無いけど、演者にはあった。
薬物犯程度とは訳が違うからか。
コメントを有難うございました。
静かな海は見ているだけで、心が癒されます。
市川猿之助さん、他人には分からないことがたくさん
有るんでしょうね。
お帰りなさい!!
再開を心待ちにしていた一人です
多分私と同世代のかたとお見受けしますが
毎回、良識ある博学ぶりに舌を巻いております。
今後とも御身大切ご自愛くださいますよう。
さまよった時期もあります。
でも今、何とかなっていて生きていてよかったと思います。
宗教は持ちませんが、かいてくださっている内容を読むと、なるほどなぁと興味がわきました
キリコの幇助は小乗仏教の精神に沿っているのかも。