結婚三十年目、妻が離婚を切り出す時(桐野さおり著、ユサブル)

結婚三十年目、妻が離婚を切り出す時(桐野さおり著、ユサブル)は、長年連れ添った夫婦が30年目の離婚をお互い考えていた話です。熟年離婚というと、妻が夫に愛想を尽かすイメージがありますが、実際には必ずしもそうではないということを考えさせます。

評論家の樋口恵子という、柏餅みたいな顔した人が、柏の葉っぱ、もとい「濡れ落ち葉」という言葉を創ったそうです。
夫は定年後は、ヤることがなくて、濡れ落ち葉のように妻にまとわりつくから、そう云うのだそうです。
でも、妻は立派だから、逆にはならないらしい。
一方、夫は定年になったら、妻を旅行にでも連れて行こうかと殊勝なことを考えるが、もうそれは手遅れで、妻は夫の定年を待って離婚届を突きつけるそうです。
とにかく、夫婦関係はもっぱら女性でもっていて、女性がその気になったら夫婦生活は成り立たないという女性主義の「評論」にいつも貫かれています。
まさか、こんな感情的な悪意すらうかがえる話を、賢明な女性の方々が実感をもって受け入れられるとは思えませんが、まあたしかにそういう場合もあるでしょう。
ただし、全てがそうとは限らないし、またかりにそう見えても、真相は異なる場合があります。
本書『結婚三十年目、妻が離婚を切り出す時』は、その後者を描いたストーリーです。
桐野さおりさんがユサブルから上梓しています。
『ご近所騒がせな女たちVol.5』というサブタイトルで、スキャンダラス・レディース・シリーズというシリーズ名がついています。
離婚はお互いが考えていた
結婚30年目にして、子どもから一泊旅行のプレゼントをもらった夫妻。
しかし、妻はそれを機に夫と離婚をするつもりでした。
別に男ができたからです。
夫は痩身で大人しそうな人。
妻は太ってルックスも悪く描かれています。
2人はお見合いで結婚。
「お似合い」ともいえないカップルで、ちぐはぐな30年。
夫は、父親の印刷工場で働いていて、酒やバクチにも溺れず、結婚生活は、とくに金銭的な不自由はありませんでした。
家業をついだ夫は過労で倒れ、妻は「この人は私がいなくてはダメだ」と奮起します。
ところがある日、客が来たときに夫は、妻のことを「クマ」と表現し、「デブス」だった妻は傷つきます。
そこで、夫婦の間には溝ができたのかな。
妻はパート先で知り合った、妻に逃げられた男と仲良くなります。
それで、離婚を決意するのです。
妻は、「あたしがいないとだめだったくせに、クマ呼ばわりしたことが許せない」と思い、夫は夫で、「このクマと結婚するやつなんかいないだろうから、自分が結婚しなければ」と思った結婚生活だったように感じます。
そして、いよいよ妻は離婚を切り出すのですが、夫は意外と落ち着いていて、「お前みたいなクマをもらってくれる人なんかいるのか」といいながら、自分も年季の入った離婚届を出します。
いつも懐に忍ばせて、出せる時が来たら突きつけるつもりだったそうです。
といっても、クマ妻のように、不倫をしていたからではありません。
夫は、妻が本当は大酒飲みなのに我慢していたことなど、妻が無理していた日々を見透かしており、そんな妻を、解放したいと思っていたそうです。
できれば、離婚は妻から切り出してほしい。
そこで、離婚を切り出した妻に、内心「好都合」と思ったかもしれません。
妻が三行半を突きつける格好にしてプライドを守るのとともに、妻が言うことで妻は自分の人生を自分で選択したことになるからです。
夫婦生活が大事なら、「クマ呼ばわり」についてなんで夫に文句を言わなかったのかな、という素朴な疑問もあります。要するに、夫の上から見下ろすような「慈悲」が嫌だったのでしょう。
そういうことも含めて、会話の足りない夫婦だったんでしょうね。
で、結末だけはちょっと納得いかない展開だったのですが、すべてネタバレではつまらなくなりますので、そこは伏せておきます。
要するに、長年連れ添った夫婦2人とも、実は離婚を考えていた、という話です。
自分軸で生きていない人は人生の勝者ではない
マスコミや女性識者は、熟年離婚というと、夫が愛想を尽かされたと決めつけ夫側を悪し様に罵るのですが、実際には必ずしもそうとは限らない、ということを描いた物語です。
でもまあ、勝ち負けとかどっちが正しいかとかいう問題ではありませんが、この物語の読後感では夫の方がすべてにおいて妻に勝っているような気がしました。
私が男だからそう見ていると思いますか?
そういうわけではないんですよ。
先に離婚を言いだしたのは妻のほうだから、妻のほうが愛想を尽かしたのだと思いますか。
でも夫は、くしゃくしゃになった離婚届をもっていたわけですから、タイミングの問題でしょう。
そして何より、ここが大事ですが、「クマ呼ばわり」はきっかけであり、妻は、男ができたから離婚するわけです。
でも、夫は別に、「女ができたから」ではありません。
妻は、もし、そういう男が現れなかったら、離婚には踏み切れなかったかも知れません。
要するに、男なしでは自分の人生を動かせない、つまらない生き方なのです。
でも、夫の離婚願望は妻に依存しているわけでも、愛人がいるからでもありません。
タイトルは、まるで妻が三行半をつきつけたようなイメージですが、実態はあくまで男を乗り換えただけなんです。
これ、もしも、夫は自分の離婚届を隠して、妻が「男ができたから離婚したい」というだけのことにしたら、裁判で慰謝料取れるかも知れません。
なぜなら、妻の不倫だから。
でも、夫はそれをしなかった。
夫の、長年連れ添った妻への感謝の気持だったんじゃないでしょうか。
物語では、家業を妻が切り盛りしたと描かれていますが、それも、夫ができないわけではないけれど、あえて妻のやりたいようにさせて、夫は黙っていただけかも知れません。
ですから、私はこの物語を読んだ限りでは、どう見ても、夫の方が勝っているように思います。
これは創作なので、極端にそう描いているのかもしれませんが、いずれにしても巷間よくある「夫が愛想つかされた熟年離婚」は、識者の紋切り型の夫ダメダメ論が当てはまるとは限らず、真相は第三者にはわからない、ということではないかと思いました。
もし、こういう展開が本当にあったら、冒頭の樋口恵子さんなどは有頂天になって、「だから男はだめだ」みたいな論評になりそうですが、そうではなくて、男性の立場や内心をきちんと考察しながら、女性が自分軸で生きるということはどういうことなのか、ということを啓蒙的に指摘すべきなのです。
そういうまじめな女性識者を、私は未だかつて見たことがありません。
だから日本は、いつまでたっても男社会なのです。
それと、よく熟年離婚で、財産分与の都合で夫の定年まで待つということがありますが、あれも、「結局夫の都合かよ。自分軸がないんだな」と、私はバカバカしく思います。
だって、人生は時間が有限です。
やっていけないと思ったら、1日も早くお別れして、次の人生をはじめたほうがいいでしょう。
失敗した結婚生活の精算をあてにするって、もったいない時間の使い方だなあと私は思います。
もちろん、適切な財産分与は必要です。
ですが、それより、別れた後自分はどう生きるかを考える時間とエネルギーを大切にすべきだと思います。
いずれにしても、結婚や離婚に「生き方」を問うのではなく、いたずらに夫婦の対立を煽り、無責任に熟年離婚で「女性の勝利」を煽っているのが、マスコミや女性識者たちなんです。
余談ですが、樋口恵子さんは、もしかしたら事実婚かもしれませんが、ちゃんと学者の夫がいました。近年亡くなったんですけどね。
上野千鶴子さんの結婚も話題になりましたよね。
彼女たちは、そのように自分たちはしっかり「普通の夫婦生活」をしておきながら、そうでないものを啓蒙しているだけなんで、まあなんでもマスコミのトレンドは真に受けないほうがいいと思います。
自分軸の人生を、自分で考えましょう。

結婚三十年目、妻が離婚を切り出す時/ご近所騒がせな女たちVol.5 (スキャンダラス・レディース・シリーズ) - 桐野 さおり
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この記事へのコメント
離婚なんて考えないうちに逝ってしまいました。
仲良く45年も一緒にいましたよ (^-^)!
評論家の言うことはサラッと流しています
バカバカしくなるので・・・。
要するに自分軸で生きるならば、結婚だの離婚だのはひとつの結果や手続きに過ぎず、ことさらそこに勝ったの負けたの配偶者がだらしないからだのという評価をするのは本質ではないということと、男が悪いから離婚したと言うなら、悪いものを変えられなかった、悪いものを選んだあなたは何? という反問がついてまわるし、それはしょせん自分軸の人生ではなく、男に依存している軸ではないのか、という疑念があります。
迷惑の掛け合いなのに、一方の側(夫側)だけが
悪いなんて変ですね。
負けになりますね・・・周りの顔色を見ながら結婚する
のは果たして是か非か・・・