『こころ』(夏目漱石/作、高橋ユキ/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)

『こころ』(夏目漱石/作、高橋ユキ/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、エゴと倫理観の葛藤を描いた小説の漫画化です。恋愛と友情の間に悩みながらも、友人よりも恋人を選択。自分自身をも信用できなくなった自己嫌悪の心理が描かれています。『こころ』は、1914年に発表された、夏目漱石さんの代表作の一つです。
上「先生と私」
中「両親と私」
下「先生と遺書」
の三部で構成されています。
1996(平成8)年6月30日で第14刷。
Wikiによれば、新潮文庫版は、2016年時点で発行部数718万部を記録しており、同文庫の中でもっとも売れている。作品としても「日本で一番に売れている」本だそうです。
太宰治さんの『人間失格』とともに、文芸作品としては異例のベストセラーでありかつロングセラーです。
『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版です。他人の前では道化に徹し、本当の自分を誰にもさらけ出せない男の、幼少から青年期までを男の視点で描いています。https://t.co/CGh8hGKqwT #人間失格 #太宰治 pic.twitter.com/l66AfPprbY
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) August 4, 2023
長編文芸作品はハードルが高そうだと思われる方は、本書を含めて漫画化されたものが何冊か出ているので、それをまず読まれればいいのではないかと思い、今回ご紹介させていただきます。
ストーリーは、主人公の「私」が「先生」と出会い、先生の影に関心をいだきながらの交流、そして終盤は一気に先生の過去が描かれます。
「先生の妻」(お嬢さん)は、唯一名前がわかっていて、「静」(しず)といいます。
先生とは、わりない仲(周囲には計り知れない親密な仲)に見えますが、その一方で先生が距離を取っている風でもあります。
「K」は、先生とは同郷で、同じ大学に通っていました。
ストーリーを、かなり端折ってご紹介します。それでも結構長くなりました。
「闇」のある先生に興味を持った「私」
「私」は、暑中休暇を利用して鎌倉の海に来ていたとき、「先生」と知り合い、東京に帰ってからも自宅に訪ねるようになります。
私は、先生が留守のときに訪ねると、「美しい奥さん」が応対してくれました。
先生は例月、その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或ある仏へ、花を手向たむけに行く習慣であることがわかりました。
以来、たびたび訪問するようになりましたが、先生はいつも静かで、静か過ぎて淋さびしいくらいであり、近づきがたい不思議があるように思っていたものの、私を迷惑がっているわけではないようでした。
ただし、私が、大学の指導教官より先生を尊敬すると言ったことに対しては、自分はそんな価値はない、と言っていました。
私にとってはどうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いたと書かれています。
秘密めいたものを知りたくなったわけですね。
たとえば、誰の墓参りをしているのか、どうして行くのかは、奥さんにも言っていないのです。
そして、先生は「淋しい」という言葉をよく使います。
こんなやりとりもありました。
「子供でもあると好いんですがね」と奥さん。
「子供はいつまで経たったってできっこないよ」と先生。
奥さんが黙っていたので、「なぜです」と私が代りに聞くと、先生は「天罰だからさ」といって高く笑いました。
それでも、私からみて先生夫妻は「仲の好いい夫婦の一対であった」といいます。
先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行ったり、一週間以内の旅行をした事もあるといいます。
先生からはこんな話も聞きました。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」
気になったのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」の一言。
先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、「あるべきはずです」と断わったのか。
そんなある日、私の父親が重い病気にかかり、私は実家に帰りました。
夏の暑い盛りに明治天皇が亡くなります。
直後に、私は先生から長い書簡を受け取りました。
「あなたがこの手紙を手に取るころには、私はこの世にはいないでしょう。」
先生の遺書でした。
これは大変なことになった。
私はそのまま俥を駅へ向かわせ、東京行きの汽車に乗り、先生の手紙を読み始めたのです。
先生からの手紙には、先生がなぜ自分自身のことを価値のない人間に思うに至ったのかという経緯が記されているのでした。
騙され騙した自分の命にけじめ
手紙の内容を簡単にまとめると、先生は両親の遺産相続を巡って、財産を管理していた叔父に遺産を騙し取られました。
先生がいつぞや、「多くの善人が、いざという時、金によって悪人になる」と言ったのは、その叔父のことを考えていたのか、と私は合点がいきました。
宅を構えてみようと思った先生は、軍人の遺族、つまり夫人と娘の住んでいる家を紹介されて入居しました。
その娘が、今の夫人の「静」さんでした。
先生は、親友のKもそこに下宿させました。
Kは浄土真宗の僧侶の子でしたが、中学の時には医者の養子に入っていました。
養家はKを医者にしたがっていましたが、Kは宗教や哲学の道を志し、先生と同じ科に入りました。
そのため、仕送りが止まってしまったので、仕事をしながら勉学に励んでいたのですが、生活に困窮したKは、次第に健康と精神に異常をきたしていったのです。
そこで、見かねた先生がそれを止めて、自分の下宿に住まわせて物質的な援助をすることにしたのです。
しかし、その善意は自分には仇となりました。
今度はKと静さんが仲良さそうなため、それに嫉妬する日々となりました。
Kは先生に、静さんに対する思いを打ち明けます。
「お嬢さんに気があるので応援してくれないか。」
先生は表面上は承諾したものの、実際は嫉妬で気が狂いそうでした。
焦った先生は、仮病を使って学校にいかず、Kが大学に行っているうちに、だしぬくように夫人に「お嬢さんを私にください」と願い出ます。
「よござんす。差し上げましょう」と、あっさり夫人からはお許しが出るのですが、うまくいったらいったで、今度は出し抜いたことをもって、Kに対して後ろめたい気持ちになります。
悔しさをこらえて祝福してくれるKに対して、先生は「策略で勝っても、人間としては負けた」と思いました。
Kは、やはり静さんをとられたショックなのか、その後自殺します。
先生はお嬢さんと結婚しましたが、顔を合わせるたびに、Kのことが脳裏に浮かぶようになりました。
先生はただ、その一点で彼女を遠ざけていたのです。
すべてを打ち明けようと思ったこともありましたが、妻の記憶に暗黒な一点を印するのにしのびなく、結局は言えませんでした。
こうして、先生は他人にも自分にも愛想を尽かしてしまったわけです。
手紙の最後にはこう書かれていました。
“私は死ぬ前にたった一人で好いから、
— 八田靖彦(姓名学者/占術研究家) (@yasuhikohatta) September 9, 2023
他を信用して死にたいと思っている。
あなたはその一人になれますか。
なってくれますか”
【夏目漱石/『こころ』】#夏目漱石 pic.twitter.com/wVJGqUzAsH
“私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはその一人になれますか。なってくれますか”
人間はいつわりとへつらいばかりで真心がない存在である
明治時代というのは、シぬか生きるかという結論を出す時代だったのでしょう。
同じ人を好きになって、出し抜くとか抜かれるとか。
今なら、後先がどうであっても、先方がいいと思った人ならイエスと言うし、そうでなければノーというでしょうから、先に告白するのがKだろうが先生だろうが、なるようにしかならなかったかもしれません。
でも、当時は、親がイエスと言ったら決まりだったんでしょうね。
それと、やはり遺産相続で、いい人だと思っていた叔父さんに裏切られたことも伏線として大きかったんですね。
人はエゴで人を裏切るし裏切られることもある、という人間観を描きたかったようです。
Kを、浄土真宗の僧侶の子、と設定したのも興味深い。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人は『教行信証』の中でこう説いています。
すべての衆生は、昔からこんにち現在に至るまで、煩悩罪悪に汚され気持ちは清らかではなく、いつわりとへつらいばかりで真心がない。そこで、念仏を唱える他力回向の信心によって阿弥陀如来の本願に帰す(成仏する)ことを教えるものである、と、
つまり、我々大衆は、お釈迦様のように自力で悟れるほど立派ではないのだから、念仏を唱えて阿弥陀如来に導いてもらおうという教えなんですが、先生は、まさにこの世での自力での再生を諦めたわけですね。
真宗大谷派の門徒の子弟である夏目漱石は、『吾輩は猫である』に続き、またしても仏教的な結末としたわけです。
つまり、人間の弱さや誤りについて、それを克服するハッピーエンドではなく、人間の業の深さを容赦なく描く弱いままでの結末を選びました。
『こころ』は、底本がすでに著作権の法的な保護期間を過ぎて、青空文庫からファイルをダウンロードして読むことができます。
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— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) August 17, 2023
国内随一の人気作ですから、ぜひ1度お読みください。

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この記事へのコメント
何回も拝見してますが美しい漫画ですね!
それを「仏教」というカテゴリに入れているのが深みを感じます。
どの作品もうまく記事されましたね。
芥川龍之介の短編文学、どれも細やかな視線、
夏目漱石と言えば「坊ちゃん」しか知らない人も多い。
「こころ」は学生時代に読んで漱石感が変わりましたよ。
結果は失敗多く悩んでというのが多かった。
明治天皇についてさらっとしか書きませんでしたが、夏目漱石は明治天皇が好きで、明治という時代の「終わり」を描きたかったという指摘もあります。
太宰治は、日本共産党の会合に参加していたそうですが、ロングセラー作家の思想は対照的で、それもまた興味深いことです。
およげたい焼きくんと同じく永遠のベストセラーに。