本田宗一郎など『まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち』 (コアコミックス) Kindle版

本田宗一郎などをとりあげた『まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち』 (コアコミックス) をご紹介します。「虫ケラのように人の屍を踏み越える…独裁者の残酷伝ルポ漫画多数収録!」というセンセーショナルなコピーで発売されています。(文中敬称略)

名だたる大企業の創業者をとりあげた「偉人伝」です。
Amazon販売ページに出ている「目次」から。
会社経営で成功させた伝説の創業者たち
インフラ業界のボス 小佐野賢治
企業買収で財界君臨 横井英樹
元伊藤忠商事会長 中曽根政治の参謀 瀬島龍三
HONDA創始者・バイク王 本田宗一郎
西武グループの生みの親 愛人多き「ピストル堤」 堤康次郎
大東急を作った鉄道王 企業乗っ取り“強盗慶太” 五島慶太
競艇の父 裏社会と繋がるフィクサー 笹川良一
パナソニック創業者 経営の神様 松下幸之助
三越の“天皇” 岡田茂
プロ野球の父 正力松太郎 ほか
センセーショナルに書いてありますが、実は中身はそれほどでもありません。
構成がしょぼい、という意味ではなく、創業者としては「独裁者の残酷」というより、会社立ち上げとしては順当な厳しさと感じました。
今回はその中で、輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者である本田宗一郎(1906年〈明治39年〉11月17日 - 1991年〈平成3年〉8月5日)についてフォーカスします。
「残酷」どころか、「引き際の美しさ」が描かれています。
藤沢武夫と共にホンダを発展
昭和の名言
— 昭和平成ガイド (@showa_g) October 23, 2024
『忙しくて考える暇がないという人はどうかしている。忙しいからこそ考えてなんとか楽になろうと工夫するんだ』(本田宗一郎)
偉人の名言を1,400紹介。昭和平成ガイドhttps://t.co/6C472yhVcE #名言 #昭和
本田宗一郎は、静岡県磐田郡光明村(後の二俣町→天竜市、現在の浜松市天竜区)で鍛冶屋をしていた本田儀平と妻・みかの長男として生まれます。
高等小学校卒業、東京市本郷区湯島(現在の東京都文京区湯島)の自動車修理工場「アート商会」(現在のアート金属工業)に入社(当時の表現で丁稚奉公)。半年間は、社長の子供の子守りばかりだったといいます。
22歳で暖簾分けを許され、29歳で小学校教員の磯部さちと結婚。
その後も自動車修理工場事業を順調に拡大し、東海精機重工業株式会社(現・東海精機株式会社)の社長に就任。
エンジンに欠くべからざる部品としてピストンリングに目をつけますが、経験からだけではどうにもならない学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)機械科の聴講生となり、3年間金属工学の研究に費やします。
三河地震でいったん撤退しましたが、1948年(昭和23年)、本田技研工業株式会社を浜松に設立。
資本金100万、従業員20人で同社代表取締役就任。原動機付き自転車を考案して二輪車の研究を始めます。
翌49年、のちにホンダの副社長となる藤沢武夫と出会い、共にホンダを世界的な大企業に育て上げました。
……が、
1966年、東名高速が開通し、一般家庭の乗用車所有率も右肩上がりの時代、ホンダも世界に誇る自動車メーカーになっていましたが、本田が肝いりで搭載した新しい空冷技術を使った「H1300」は全く売れませんでした。
「空冷は明らかに時代遅れだ」
「でも社長は耳を貸してくれない」
「副社長、社長を説得してください」
藤沢は、本田に思い切って「空冷のことですが……」と話をします。
本田は、
「藤沢。昔、お前と約束したよな。技術については口出ししないでくれ。その代わり、俺も金のことは口出ししないと……」
藤沢は、「約束を破った以上、もう本田さんとは一緒に仕事はできない」と、責任を取って辞職します。
すると、本田もあっさり、「俺は藤沢あっての社長だ。俺も辞めるよ」
1973年に引退後、藤沢は隠居、本田は各地の工場を巡り、技術者たちをねぎらう全国行脚を行ったそうです。
偉人創業者は自分の決断を信じていた
「日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。」
— 中村 遊太郎|遊ぶ教育者 (@yutaroasobi) October 8, 2024
本田宗一郎(日本の実業家、HONDAの創業者)#失敗に強い子を育む pic.twitter.com/iVIc62Vkkt
本書はこう締めています。
カリスマと称される経営者たちには、自由な発想や実現する力、チャレンジ精神などさまざまな共通点がある。
そして何よりも自分の決断を信じていた。
不安の多い今の日本に、彼らのような魅力ある経営者がいるのだろうか。
ね、タイトルや宣伝コピーと違い、ちっとも「独裁者の残酷」ではないんですよ。
「自分の決断」が失敗することもあります。でもめげずに、また次のチャレンジを行うのです。
自己肯定感が低いと、なかなか「自分の決断」ができないんですよね。
自己肯定感が低い人の特徴
特徴①:他者と比較する癖がある
特徴②:過去にトラウマがある
特徴③:承認欲求が強く、他者に依存してしまう
(https://mba.globis.ac.jp/careernote/1327.html)
要するに、自分で決断して失敗するのが嫌なんですよね。
格好つけてたら何もできないのにさ。
私も自己肯定感が低いので、気をつけたいと思います。
元ヤンキーで現場の熟練工あがりの本田は、結構乱暴だったようですが、一日15時間労働を35年続けるなど、自分が先頭に立って働いたから、従業員はついてきました。
そして、本田のように全力を出し切れば、やめるときはいつでもスパッとやめられる、
ところが、普段全力を出していない凡夫ほど、辞めるときが近づいてくると、「もっとがんばればよかった」「もう1度だけチャンスがほしい」と、辞めることに未練たらたらになってきれいにやめられない。
老害の経営者っていますよね。
私がン十年前、初めて買った自動車が、ホンダのシビックだったことを思い出しました。
ホンダの自動車やバイク、乗られたことはありますか。

まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち (コアコミックス) - アンソロジー
この記事へのコメント
自分の今の結果はこれなのかぁと思いました。
失敗したときにリカバリーできるかな、なんて
自分を信じられません。わたし、失敗するんで。
計り知れないほどの信頼関係が有ったんでしょうな。
免許持っていないので、車もバイクも運転したことないですw
本の題だけ見ると、どんな極悪非道な事を
したのかと思ってしまいます。
何故こんな題をつけたんでしょうね。
今も新しい会社は次々生れてますが、
これだけの思いを持った社長がどれだけいるでしょうか。
HONDA の車は一度本気で買おうとしたことがありました。
しかしたまたまその販売店の感じが悪かったためにご縁がないままになってしまいました。
スパーカブは昔乗ったことがあります。
ホンダ車は、初代インスパイアを9年間乗っていたことがあります。
ホンダのスズキも静岡県・・・
ニチガク、ヤマハも静岡県、おおいですね!
人生最後のバイクはホンダと決めています、他3社は乗ってるので。
なぜかと言うとホンダ乗りチョークを知らずという名言がありましてホンダ車ならメンテ怠っても動くと信じてる(笑)
> 自分の今の結果はこれなのかぁ
重要な場面での決断力、やはりすごい人たちですね。
> 計り知れないほどの信頼関係
そういう相手に恵まれたことも成功の要因だと思います。
> リカバリーきくほうを考えます
慎重派ですね。
> 現代においては綻びが出てますね
代替わりすると創業時とはいろいろな点で変わらざるを得ないのでしょうね、
> ホンダのシティ
ムカデダンスですね。
> 何故こんな題をつけたんでしょうね
当たり前のタイトルでは目立たないからでは。
> 販売店の感じが悪かったためにご縁がない
そういうこと、ありますね。
> 販売店が偽装改良
それはかなり問題がありますよね。
> 本田宗一郎氏の「得手に帆あげて」
人生のバイブル、とまで高く評価する人もいるようです。
> 静岡県、おおいですね
隣にトヨタがあるからかもですね。
> 人生最後のバイクはホンダ
ホンダ社員が聞いたら喜びますね。
> 創業者の心はない
時代が変わって失われていくものもありますね。
今の社長は分かりませんが、本田さんの意志が引き継がれているのでしょうかね?
昔我が家はずっとホンダでした。今はもう車もないけれど。
本田宗一郎が偉いなぁ~と思ったのは自分が引退するとき息子にその経営権を渡さなかったのですよね。「自分の会社」意識の強い経営者って、やめると息子に渡す人が多いけれど。
意志というか、ホンダの文化は継承されているのではないでしょうか。
> 息子にその経営権を渡さなかった
会社を私物化しなかったんですね。