医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得(工藤広伸著、廣済堂健康人新書)

医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得(工藤広伸著、廣済堂健康人新書)

医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得(工藤広伸著、廣済堂健康人新書)をご紹介します。介護ブログを開設している40代男性の著者が、タイトル通り、認知症の介護経験に基づいた心得をまとめています。本書では、大切なことは慣れることだと述べています。

昨今、介護離職という問題が取り沙汰されます。

文字通り、介護のために仕事をやめてしまうことです。

私が消息を知る高校時代の友人も、少なくとも2人が介護離職しています。

彼らには弟がいますが、自分が長男でかつ結婚をしていないから(弟は家庭を持っているから)、仕事をやめて親の介護を全面的に引き受ける立場にならざるを得なかった、という点が共通しています。

テレビのニュースを見ても、認知症の親を抱える子が、心中したり、殺したり、自分が自殺したり、といった事件は枚挙に暇がありません。

しかも、親の介護で苦労するのは、たいてい長男か結婚前の末娘。

一人娘など例外はありますが。

これが「家制度」に囚われた、我が日本の「文化」の実態です。

別に好き好んで、長男や末娘に生まれたわけではないのに……。

そう考える私が、気になって手にとったのが、本書『医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得』という書籍です。

8年前にもちらっとご紹介しましたが、あれから被介護者の人数も介護度も増したようです。

介護を楽しくする王道はない



著者は40代男性です。介護は2012年以来。

祖母(要介護3:子宮頸がん、アルツハイマー型認知症)、母(要介護4:シャルコー・マリー・トゥース病、アルツハイマー型認知症)、父(要介護5:脳梗塞、悪性リンパ腫)の介護を行っているそうです。

子宮頸がんと認知症の祖母、手足に障碍を持つ認知症の母を介護するため介護離職しました。

現在は、東京と岩手を往復しつつ介護を行い、介護生活を本にするフリーライターだそうです。

介護経験のある方は、たくさんおられるでしょう。

しかし、遠方に3人というのは想像を絶しますね。

母親は、もともと要介護1だったのが、現在は4まで進んだようです。

んー、私だったら、岩手で暮らすけどな。ま、いろいろ事情はあるのでしょう。

本書は、綺麗事も、前向きな話も一切ありません。身も蓋もない介護の日々が描かれています。

本書によると、介護とはこういうものだという悟りだけが現実的解決だというのです。

それには、むしろポジティブシンキングは不要、ということです。

理不尽な現実に慣れるということは、諦めや割り切りを持つことしかない。

理解力の低下した人と半ば会話が成立しないからといって、そこに無理に善意の解釈なんか要らない。

ただ、「そういうものだ」と現状を受け入れれば良い、と言っているのです。

全くその通りであると思いますし、それは実は認知症介護だけではなく、私は人生のあらゆる困難に対していえることではないかな、と思います。

しょせん、善意にとらえたって現実は現実ですから、最後に頼りになるのは「悟り」なんだろうなあと思います。

「諦めや割り切り」と向き合うのも人生


国民民主党の玉木という代表が、医療費削減に絡めて「安楽死」を持ち出すという、人の道を外れた主張を行いながら、それをないことにして党は躍進したのですが、本当にいいのか、と思いますね。

まあ実際に寝たきりの人については、「自力で食べられなくなったらおしまい(シナせてやれ)」という人も少なくないですからね。まるでそれがいいことのように決めつけて。

でも、私はその立場を取りません。

私の学生時代の同級生が、ホスピスの夫人に対して、苦しまずに絶命に至る薬の投与を医師に尋ねられて、苦渋の承諾をしたことで「自分がとどめを刺した」と心が壊れてしまい、3回忌すぎても情緒不安定な書き込みをFacebookで繰り返しています。そういうのを見てますからね。

「安楽死」推進者さんは「本人が望めばいいだろう」とか簡単に言うけどさ、かりに遺言があったって関与させられた人は生涯寝覚め悪いんです。シにゆく人も、残された人を生涯苦しめるようなお願いはいかがなものかと私は思います。

以前も書きましたが、『涅槃経』というお釈迦様の臨終を描いたお経があるのですが、お釈迦様がいうには、葬式というのは、死者のためでなく、参列する人が供養(善行)して功徳を得るために行うものだというのです。

つまり、シにゆく人は、「これまでお世話になりました」という気持ちを込めて、残された人々に孝行しなさい、と言っているのです。

その伝でいえば、寝たきりの人への介護の時間は、介護される側ではなく、介護する人の権利だと思っています。

つまり、シにゆく人が、残される人に、一緒にいられる最後の時間を作り、その間に介護者は心の整理をするのです。

どんな年寄だって、突然シなれたら、「あのときこうしたらよかった」「こんなこともしてやりたかった」とか後悔するでしょ?

そういう無念な思いを、抱かないようにするための時間というわけです。

ですから私は、決して介護の時間は人生において無駄とは思いません。

ただし、それは、介護者の、人生の貴重な時間や生活を犠牲にすることも確かです。

介護って、やっぱり大変ですよ。綺麗事ではありません。

「安楽死」はともかくとして、どこまで積極的な処置を行うか、という点では議論はあると思います。

結局、その人の事情や、人生観次第だと思います。

どのような考えであっても、尊重される世の中であってほしいというのが私の結論です。

みなさんは、いかが思われますか。

医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得 - 工藤広伸
医者は知らない! 認知症介護で倒れないための55の心得 - 工藤広伸

この記事へのコメント

2024年10月28日 23:11
安楽死。させる側のことはあまり配慮されていませんな。
2024年10月29日 00:32
身内だと以前の人格を知ってるから怒ったり悲しんだらしてしまいます
2024年10月29日 04:16
ウチの義母は施設に入っていて、相方がしょっちゅう呼び出されています。。。
2024年10月29日 05:51
父は倒れて1週間だったけど、母は施設で3年位?認知症だったので、仕事、子育て、介護はきつく、嫌がる母を少しずつデーサービス、宿泊サービス、グループホーム、医療型老人ホームと程度で替えて対処しました。私は次女ですが、家にいるので、姉と協力して毎日通いました。私の出来る限りやったという気持ちがあるので、父母に関しては悔いはありませんね。
でも自分の時は?と思うと社会事情が違うし、今自由に生活してる所から、施設という籠に入りたくない!という気持ちが大きく、色んな場面を思い巡らしています。70という年齢は今大丈夫だけど、後何年で介護される?という年齢になるのか不安が出て来る時です。今出来る事は病気と認知を避ける行動だけはするようにしています。
2024年10月29日 06:25
そうかトドメを刺しちゃったって気にもなるんだね、見送る側の事も少しは考えてみるか。
2024年10月29日 06:41
おはようございます^^
出来るだけピンころで^^
実家の方は早く病死(母は37歳で、父は69歳で)。
夫の方は、母が83で病死。父は99歳で老衰。でもほとんど迷惑をかけられた覚えないです。
ですから、あまり安楽死と言ったことを考えることはなかったですが、
はて、自分のことになったらどうでしょう。やはりピンコロで逝きたい^^
2024年10月29日 07:58
ボケないように。ボケないように。
2024年10月29日 10:26
兆高齢になってる老夫婦なのでどちらがなっても深刻です。
2024年10月29日 10:35
本人がいくら望んでも結果的にそうするしかなくてもトドメを刺しちゃったって気持ちになると思います。
逝く側はそれでいいのかもしれないけど残される側の身になると考えモノですね。

私は娘ですし35歳になっても未婚なので親からは(多分)介護要員とみなさていると思います。
だからこそ身につまされる・・・。
2024年10月29日 12:17
私も介護離職は頭をよぎりました・・
なんとかなりましたが、当時のケアマネさんやヘルパーさんたちが助けてくださったからこそ、です。(悲しいかな、妹たちはなにもせず、ででした)
2024年10月29日 13:01
親の扶助は、実子に、「自分の生活を脅かさない範囲」で義務付けられています。
最近夫の両親と妹が同時に入院するということがあり、夫と夫の姉が2人で世話をしていましたが、両親はそれを「当然」と思っています。
夫は仕事を休み、「生活に支障」が出ているにも拘わらず。
まぁ私は関係ないので、夫の判断に任せますが、夫の両親は自分の息子が独立した世帯者であることは認めておらず、いつまでも自分の所有物だと思っていることは明らかです。
2024年10月29日 13:25
さっき言ったことも忘れている認知症の人に
「もう楽にしてくれ」と安楽死を望まれても
真に受けていいのかと思います。
2024年10月29日 13:50
某地で校長職を務め、教育委員会にいる高校の同級生は
「年寄りは長生きしなくていい。70歳まで生きれば十分だ」
と、オフレコで私に話していました。
高齢の親の晩年、介護で苦労した様子。
2024年10月29日 14:07
私は自らの意思で介護離職しましたが、自分の決断に後悔はありません。介護離職ついては何が正解かなど無く、おかれた環境や立場によって人は皆違うと思っています。
2024年10月29日 14:27
残される人に、一緒にいられる最後の時間を作り、その間に介護者は心の整理をするの・・・なるほどそういう時間でもあるわけですね。
でもやはり介護は大変ですね。私もその刻が迫ってきています。
考えてしまいました。
2024年10月29日 15:33
こんにちは!
ガンと認知症にはなりたくないです・・・(^-^)!!
2024年10月29日 18:31
こんばんは。
悟りが大事というのはおっしゃる通りだと思います。
どうして長男に生まれたのかなどと悩んでも仕方がないのです。
私の母は後2年で三桁の大台に乗りますが、頭はしっかりしていて耳が少し遠い以外は何も問題はありません。
ありがたい事です。
2024年10月29日 20:58
小生は母をホームにいれました。障害や病気をもっての1軒や生活はそれなりに苦しいですが、想像を絶する介護者のひとがいるんだなと思いました。そういう環境におかれないとわからない世界。そういうことをわかっている議員が何人いるか?そんな人ばかりだと霞が関も動かない。安楽死は賛同しますが、条件をちゃんといろいろつけて、しかしうちの家族をもしそんなことをしたら、小生も生きていられないかな。後悔してずっと地獄の人生。
2024年10月29日 21:24
介護者が「悟り」を持つことの大切さ、とても共感します。日々の介護の中で、全てをコントロールしようとせず、状況を受け入れる姿勢が心の安定につながるのですね。自分を追い詰めず、無理なく続けるために必要な心構えだと感じました。
2024年10月29日 21:40
みなさん、コメントありがとうございます。

> させる側のことはあまり配慮されていません
自分の最期に人の手を煩わせるのはよくありませんね。

> 身内だと以前の人格を知ってるから
介護は第三者のほうがうまくこなせる面もあると思います。

> 施設に入っていて
プロに任せられるところは任せたほうがいいですね。

> 出来る限りやったという気持ちがある
大変でも介護はそう思えるための時間でしたね。

> 見送る側の事も少しは考えて
いくら本人の意思でも残された人は一生悔いが残ると思います。

> 出来るだけピンころで
ピンピンコロリは大人気ですね。

> ボケないように
認知症の原因がはっきりしていれば予防もできるのですが。

> どちらがなっても深刻
そういう家庭は珍しくないと思います。

> 残される側の身になると考えモノ
最後の最後に責任を負わされるようで嫌ですね。

> 妹たちはなにもせず
きょうだい力合わせて、という麗しい家庭ばかりではありませんね。

> 「自分の生活を脅かさない範囲」で義務付けられて
脅かす、というのが何を指すのかですが、影響は必ず受けますね。

> 真に受けていいのか
認知症の度合いにもよるでしょうね。

> 年寄りは長生きしなくていい
そういう人の親に限って長生きするのかも。

> おかれた環境や立場によって人は皆違う
十人いたら十通りの介護があると思います。

> やはり介護は大変
大変だからこそ亡くなったあとの後悔は少ないのでは。

> ガンと認知症にはなりたくない
みんなそう思っていますよね。

> 何も問題はありません
それは素晴らしいですね。日頃の努力の賜物でしょうか。

> 後悔してずっと地獄の人生
やはり残された家族にそんな思いをさせないためにも、人に自分のシを委ねてはならないと思います。

> 状況を受け入れる姿勢が心の安定につながる
いざその立場に立ってみると難しいかもしれませんが、前もってそういうものだとわかっているかいないかではまったく違ってくると思います。
2024年10月31日 07:59
そーですよね、
10人いたら、10通りの人生観。
であれば、それを受け入れてくれる寛容性の高さが世間にあることが望ましいですよね。