三井高利、三井財閥・グループの礎を築いた呉服商人

三井高利など、人生後半から新しい世界で成功した遅咲きの人々を紹介しているぶ『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』(佐藤光浩著、文響社)。古今東西で40代以降に転機が訪れた人々を通し、何歳になっても「人生はまだまだこれから! 」と思える一冊です。(文中敬称略)

本書『遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則』は、50代、60代で成功を収めた古今東西の人たちを特集しています。
65歳で無一文になってから、「フライドチキンの揚げ方」というノウハウの権利ビジネスで財を築いたカーネル・サンダース。
畑違いのセールスマンから転身し、マクドナルドを成功させたレイ・クロック。
コンプレックスを武器に新たな音楽を創造したスキャットマン・ジョン―。
「彼らの業績は、40代で迎えた転機が始まりだった!全てを捨て、ゼロから這い上がった不屈の男たちのドラマ!ビジネス・芸術・学問の世界にその名を残した遅咲きの巨人たちから、人生を逆転する法則を学ぶ」というのが本書のねらいです。
先日は、キヤノン創業者・初代社長の御手洗毅をご紹介しました。
遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則(佐藤光浩著、文響社)は、古今東西で40代以降に転機が訪れた不屈で遅咲きの成功者を特集しています。キヤノン創業者・初代社長・御手洗毅など、人生後半から新しい世界で成功した遅咲きの人々から逆転の法則を学ぶ書籍です。https://t.co/0yklTl7S03 #キヤノン pic.twitter.com/DFah2KQkkt
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) November 6, 2024
今回は、三井財閥、江戸時代初期の豪商であり、三井グループの創設者としてその礎を築いた三井高利(みつい たかとし、元和8年(1622年) - 元禄7年5月6日(1694年5月29日))にフォーカスします。
先日の三菱グループ(岩崎弥太郎)は、明治維新後に外国の商船を日本に運ぶための会社としてスタートしましたが、今回の三井は江戸時代の呉服店が始まりでした。
店舗販売のパイオニア
昨夜OAされた情報7daysで三井グループの歴史を紹介するイラストを担当しました。三井高利さんが行ったマーケティング手法や現在では当たり前とされる店舗販売、定価販売などの始まりを描きました。いやあスゴい方だったんですねえ。このFOCUSコーナーは毎回意義深い仕事ができるので好きです。 pic.twitter.com/drf5uIyaUA
— 榎本よしたか (@YoshitakaWorks) March 24, 2024
三井高利は、伊勢国(現在の三重県松阪市)で生まれました。
幼少期から学問に励み、商才を磨きました。
三井家はもともと酒造業を営んでいましたが、彼は若くして江戸や京都で商売の勉強を行い、その才能を発揮するようになります。
1663年、高利は京都に「越後屋」を創業しました。
これは、三井家が呉服(着物)の商売に進出するきっかけとなった重要な事業です。
そして、満を持して52歳で江戸に進出します。
越後屋は、それまでの商慣習を次々打ち破りましたが、ChatGTPにまとめてもらいました。
1.現金掛け値なしの定価販売
従来の呉服商は掛売り(後払い)を一般的としていましたが、越後屋は「現金掛け値なし」を掲げました。これは「値引きや掛売りをせず、すべて現金で、かつ適正な価格で販売する」というシステムであり、当時としては革新的でした。この方法により、顧客に信頼と安定した価格を提供することができ、商売の効率化にもつながりました。
2.「店前商い」としてのオープンセール形式
高利は、店の正面で商品を並べて自由に見せる「店前商い」という形式を取り入れました。
従来は店内に客を招き入れて接待をしながら売ることが多かったため、顧客が商品の比較をしやすくするこの形式は、広く支持されました。
3.全国展開と金融事業の発展
高利の成功は京都にとどまらず、江戸にも越後屋を出店し、広く呉服業を展開することにつながりました。さらに、越後屋で得た資金をもとに、両替商(銀行業)にも手を広げ、これがのちの三井銀行、さらには三井財閥や三井グループの基礎となりました。両替商では、信用をもとにして他の商人や農民に資金を貸し付け、経済の活性化に寄与しました。
本書は、これに加えて、商品に「正札」をつけるという、今では当たり前の商習慣を始めました。
要するに、現在も引き継がれている販売業の形態を作ったのは、三井高利だったのです。
他の業者が、良し悪しも考えず、従来の商習慣をそのまま引き継いでいたのを、三井高利は「信用を重んじ、顧客第一に考える」という姿勢から、改めたほうが顧客のメリットになると思ったことは迷わず実践しました。
もちろん、それは顧客から自分への信用という見返りもあるわけですが、一方で、旧来の手法で経営していた店舗からは、妨害がずいぶんとあったようです。
幕府に、あることないこと告げ口されたり、三井の店舗の大家を取り込んで、店舗の食堂にトイレを作らせたりしたそうです。
しかし、三井は、すぐに自前の店舗を購入し、顧客の信用を勝ち取ることで、幕府も信用させたそうです。
出る杭は打たれてもめげない忍耐力が試される
現在、三井グループの金融は、住友グループと合併して、三井住友銀行になりました。
グループ自体が合併していないのに、グループの基幹産業である金融業だけを、他グループと共同で行うのはきわめて異例のことです。
これもまた、従来の商慣行にとらわれず、「よいと思ったことはすぐに実践する」三井高利の教えに沿ったものかもしれません。
本書がまとめた「三井高利に学ぶ逆転の法則」は、
1.チャンスが来たらすぐ行動
2.出る杭は打たれるものなので、めげない忍耐力が試される
3.ビジネスの仕組みを知るからこそ、仕組みにとらわれないアイデアが出る
「3」ですが、三井は従来のやり方を変えましたが、思いつきでアイデアを出したわけではなく、前述のように「若くして江戸や京都で商売の勉強を行い」、まずは徹底して既存のやり方で経験を積んだのです。
若いうちは、つい既存のやり方を「古い」とか決めつけて否定しようとするのですが、伊達や酔狂で既存のものがあるわけではないので、まずは既存のやり方をきちんとマスターすることから始めましょうということです。
「2」は、耳が痛いですね。
杭を打った奴のことは、ずっと怨み続ける忍耐力と持続力に自信はありますが(汗)、肝心の杭を打たれたことについては、「そういう邪魔が入ったのは、自分に縁がなかったということだ」などと勝手に悟って、諦めて撤退してしまうところがありました。
みなさんは、頑張ったところを「出る杭は打たれ」たことはありますか。そのときどうされましたか。

遅咲きの成功者に学ぶ逆転の法則
この記事へのコメント
新技術の提案をしたときに滅茶苦茶という言葉が当てはまるほど
非難や罵倒をされたことがありました。現在ではその技術が
当たり前となり、新世代の技術者たちはその技術を当たり前のように
使用しています。いつか証明されると思っていつも耐え忍んでいます。
合併はGJですな。
大福帳、残っていたらしいのですが、お嫁さんが焼いたといってました。残念。
時代小説を読んでいると、脚色はされているものの、こういう老舗の話は結構出てきます。学ばせていただいています^^
残念ながら、出る杭になったことはなく(寂しいことですが)打たれた経験もないですね(__;
寒暖差が大きくて毎日、着替えに悩んでいます!
その道で成功するためには人とは違う発想をしなければいけませんね。
簡潔にまとめてあって分かりやすいです。
三越は「越後屋」と書いた傘をお客さんに貸したのも評判になったとか。
家まで帰る間に宣伝してくれますし、必ず返しに店に来てくれるというわけですね。
来ればまた何か買うでしょうし。
> 今でも変わっていない
昔ながらの呉服屋さんは今まで通りなのかもしれないですね。
> 滅茶苦茶という言葉が当てはまるほど
> 非難や罵倒をされた
その頃罵倒した人に同じことを言ってみろと言いたくなりませんか。
> 合併はGJ
便利になりました。
> 批判がおおいとめげちゃいます
> mauさんと同じく、めげます
> めげない忍耐出来たら、今の自分じゃない
忍耐力というか、精神力がすごいですよね。
> 意外と知られていない
越後屋は時代劇の影響であまりいいイメージがないのでは。
> お嫁さんが焼いた
それはもったいないことをしましたね。
> こういう老舗の話は結構出てきます
ある程度歴史に沿った内容になっているんですね。
> 寒暖差が大きくて
今年は残暑が長いですね。
> あの頃は、最高の嫌がらせ
ですよね。
> 人とは違う発想をしなければ
成功する人と凡人の違いなんでしょうね。
> 「越後屋」と書いた傘をお客さんに貸した
大阪万博で松下幸之助が紙の帽子を配ったのを思い出しました。
> これだけの商業モデルを確立した先見性
小さい頃から学んできた商売の知識が生きているのでは。