新潟少女監禁事件、その後はどうなったか

新潟少女監禁事件は、日本の新潟県三条市で1990年11月13日に発生した、長期間にわたる誘拐・監禁事件です。この事件は、被害者の女児が9年2か月もの間、犯人が暮らす10畳間のベッドの上で一歩も動けず監禁され続けたという点で、日本国内外に大きな衝撃を与えました。

YouTubeには、事件のあらましとその後を紹介する動画が沢山アップされています。
⇒新潟少女監禁事件 失われた9年間
⇒少女が語った全容【新潟少女監禁事件】9年間の恐るべき真相 佐藤宜行の末路【ゆっくり解説】
⇒【実話】9年間、誰も気づかなかった…新潟少女監禁事件の衝撃
⇒新潟少女監禁事件 - 詳細な記録と社会への警鐘
⇒【驚愕】新潟少女監禁事件!9年2ヶ月間の空白【恐怖の事件簿】
⇒少女9年2か月監禁事件・犯人の佐藤宣行死亡!犯行現場の実家!15年ごろに刑務所を出た後、新潟県に戻らず千葉県内のアパートで1人で暮らし。
事実経過は公然としているので、どの動画も事実に基づいてはいますが、上の2本がとくにわかりやすいかな。
今回は、そのなかのどれ、ということではなく、一通り目を通した私が事件についてまとめさせていただきます。
1990年11月、当時小学校4年、9歳の少女が新潟県内で行方不明になり、捜索するも長い間発見されることはありませんでした。
歳月が流れ9年2か月後の 2000年1月28日、母親の相談がきっかけである男を精神病院に強制入院させることとなり、保健所や市の職員が部屋を訪れたところ、毛布で隠れていた19歳の色白な女性を発見。
名前を覚えていた職員が警察に通報し、元少女はようやく家族のもとに帰ることができました。
彼女の話では、「男性に無理やり連れ去られ、怖くて逃げられなかった。家の外に出たのは今日が初めて」だという。
9年2か月の監禁生活は、壮絶なもので裁判でその全容が明かされました。
罪名は、未成年者略取および逮捕監禁事件です。
これほど長期にわたる監禁事件は、前例がなく、警察も「きわめて特異」「前代未聞」と語られています。
すでにWikiでも実名が出ているので、名前は特に隠しません。
事件の経緯
1990年11月13日、少女A(当時9歳)は学校からの帰宅途中に、無職の男性佐藤宣行(当時28歳)に刃物で脅されて車で連れ去られました。
佐藤は少女を自宅の一室に監禁し、9年2か月にわたり外部との接触を一切遮断しました。
少女は監禁中、Sから殴られたり、スタンガンで行動不能にさせられたり、脅迫されたりなどして部屋から逃げ出すことができず、それどころかベッドの上以外に行動範囲を広げることも許されず、さらに食事も満足に与えられませんでした。
その結果、発見されたときは両足の筋力低下や骨量減少など、自力歩行もできない健康被害を受けました。
その間、入浴はゼロ。シャワーが1度だけ。
排泄は、ビニール袋の中でさせられたといいます。
ただ、部屋の一部に、排泄物のあったあととみられる白い痕跡があるので、直にさせられたこともあったかもしれません。
事件発覚後、新潟県警の捜査ミスや保健所の不十分な対応が次々と明らかになり、当時の新潟県警本部長や警察庁長官らへの処分が下されました。
佐藤は、それ以前も幼女わいせつ行為で有罪判決を受けたことがあるにも関わらず、裁判官は保護観察を付けず、警察も性犯罪前科者リストに名前を載せていなかったために、佐藤をノーマークで野放しにしていました。
では、佐藤の家庭はどうなっていたのか。
金持ちだったけれど歳を取っていた父親は、歳の離れた保険外交員の女性と結婚。
そこで生まれたのが佐藤宣行でした。
歳を取ってからの子どもだったので、父親は宣行を溺愛し、なんでも欲しいものを買って与えました。
これがまず間違いのもと。
そして父親は、タクシー会社を経営していましたが、潔癖症なところがあり、いつも車を掃除していました。
商売道具を綺麗にするのは悪いことではないのですが、潔癖症⇒神経質なところを佐藤宣行は受け継いでしまい、歳を取った親に嫌悪感を抱き、なんと実父を家から叩き出して施設に強引に入れてしまいます。
母親も、宣行の暴力で支配されていて、競馬場の送迎の運転手をやらされていたことは、当時の競馬場では有名だったとか。
その一方で、学校ではいじめられっこで、就職しても、人間関係も築けず、努力もできない宣行は家に引きこもるようになり、おもちゃをさがすように幼女あさりをはじめたわけです。
その後の犯人は……
そういや新潟少女監禁事件、少女が9年後救出された際の2ちゃん書き込み、
— 飴ちゃん???????? (@CPF777XYZbook) November 2, 2024
被害者の足は痩せ細り自力歩行困難な状態だったにも関わらず
「テレビ観たりポテチ食べて満喫してたらしい、2人に愛が芽生えた、男のロマンだな」の書き込みで溢れてた
あの外道どもの全身の骨バキバキに??れたらいいのにね pic.twitter.com/mitF5zuiJI
これだけの大事件ですが、量刑はたった懲役14年でした。
被害者の少女は保護された後、社会復帰を目指しましたが、長期間の監禁による心理的影響は大きく、慎重な支援が必要とされています。
週刊文春か新潮か忘れましたが、彼女の自宅に取材に行ってます。
メガネを掛けていて、Dr.スランプ アラレちゃんのように見えたと書かれていましたが、小柄なのと目が悪いのは、栄養が不足していたからではないでしょうか。
ただし、佐藤は議論の相手をしてほしかったとかで、彼女に新聞やテレビなど知的情報は与えていたらしく、知的な遅れはなかったと報告されています。
一方、加害者の佐藤宣行は服役したものの、懲役態度が不真面目で、仮釈放など無縁の生活で刑期を終えました。
出所後は支援者に生活保護の申請をしてもらい、千葉のアパートで暮らしたものの、2017年ごろに病死したそうです。
幼女を狙う犯罪者は絶対更生できず、必ず再犯するから、厳しく監視しろという声があります。
私は、犯罪心理学者ではないので、それについて断定的なことは言えませんが、少なくとも言えることは、日本はこの手の犯罪に甘い国ではないでしょうか。
だから、手癖の悪い奴は、世論も司法も舐めてかかっている面があるように思います。
新潟女児監禁事件、覚えておられますか。

新潟少女監禁事件 密室の3364日 (朝日文庫) - 松田 美智子
この記事へのコメント
こうした誘拐事件で未解決が多いですね。
被害に遇われたご家族はずっと辛い思いを
されていると考えると胸が痛みます (_ _)