
川崎敬三さんが亡くなったとテレビ朝日が発表した。しかし、亡くなったのは7月という。おそらく、川崎敬三さんの家族が、欠礼のお知らせをして明らかになったのではないだろうか。すでに現役を引退しているとはいえ、どうして訃報が遅れたのか。それは、川崎敬三さんが望んだからであり、すでに14年前に週刊誌のインタビューでそれを述べているのだ。(上画像は『新だいこんの花』より)
川崎敬三という、元大映の2枚目俳優が、テレビからも映画からも姿を消したのは1988年。
『恋はいつもアマンドピンク』(樋口可南子主演)の脇役だった。
それ以前、『アフタヌーンショー』というワイドショーの司会をしており、また俳優に戻るというのは現実に難しかった。
なぜなら、同じドラマや映画で仕事をしてきたタレントのゴシップを、自分の司会する番組で取りざたしてきたのだから、また撮影現場に戻っても、かつての仕事仲間たちとはなかなかうまくやっていけないだろう。
その後は、宮城県古川市内にある『ホテル古川ゴールデンパレス』の支配人になったものの、数字が出ないからと罷免されたという。
台本で芝居をする役者と、ホテルの支配人では職能は全く別のはずだが、雇う側は、川崎敬三の知名度で集客を期待できるとでも思ったのだろうか。
川崎敬三が仕事を失ったという弱みに付け込み、畑違いの仕事をさせ、恩に着せ、挙句の果てに能なし扱いで放り出した。
川崎敬三の心は、ズタボロだろう。
いずれにしても、数字が上がらなくなって、罷免されたことで、川崎敬三は完全にスポイルされ、もう使われる仕事に嫌気が差した。
ホテルの支配人でなくても、同じことの繰り返しだろう、と思った。
それ以後、川崎敬三は、いっさい仕事をせず、世捨て人になって日々暮らしてきた。
経済的には、司会者時代に建てたアパートの家賃収入があったから、仕事をしなくても無収入ではなかった。
だが、世捨て人なので、家族とも没交渉、友達との付き合いも一切やめたという。
『週刊文春』(2001年8月23日号)で、おそらくは生涯最後と思われる川崎敬三のインタビュー記事にはそんなことが書いてあった。
そして、その記事の最後にはこう書かれている。
ー淋しくはないですか?
「自分で納得していますから。家族ともほとんど没交渉だし、友人も見事にいません。僕は世間とのつながりを失った代償に、自由を得たと思っている。気がねしながらひっそりと暮し、人知れずサヨナラするつもりです。家内には葬式無用、誰にも知らせるな、と遺言してあるんですよ」
「家内」は、それを守ったから、4ヶ月遅れの訃報になったのだろう。
役者は孤独と言っていた
川崎敬三の、42年前のインタビューを、『東京スポーツ』(2015年11月26日付)が再録掲載している。
そこでも、役者は孤独という話をしている。
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役者は1本のピアノ線の上を歩いている感じ
川崎さんは54年、大映のニューフェイス試験を受け、甘い二枚目のマスクが注目されて合格し同年「こんな奥様男たことない」でデビュー。「夜の河」(56年)や「氷壁」(58年)など数多くの大映作品に出演した。同じころにデビューした若尾文子とコンビを組んで「新婚七つの楽しみ」(58年)、「初夜なき結婚」(同年)などの「新婚シリーズ」で、気の弱いとぼけた夫役を好演して人気が出た。また江利チエミ主演のテレビドラマ「サザエさん」(65〜67年、TBS系)でマスオさんを演じてお茶の間の人気を得た。
軽妙な司会で一世を風靡した「アフタヌーンショー」では、リポーターの山本耕一とのやりとり「そーなんですよ。川崎さん」のフレーズを漫才コンビ「ザ・ぼんち」がネタにして流行語にもなった。
その後も歌番組司会から料理番組ホストなど幅広い活躍を見せた。
そんな川崎さんが40歳を迎えタレントとして俳優として脂が乗り切っていた73年、本紙のインタビューを受けて大いに語ったことがあった。司会をしていた人気料理番組「料理ジョッキー」(NET=現テレビ朝日)の収録の合間で、エプロン姿がサマになっていた。当時放送800回を超える長寿番組だった。
家でも自分で料理するのか?との質問に「いいえ、男は外で働くもの。家に帰ればデ〜ンとひっくり返っています。僕の場合、料理は道楽ですよ」と笑った。道楽で料理を楽しむ亭主を「エプロンパパ」と言うとも話していた。
「あくまでも趣味と実益を兼ねて家庭円満の範囲にとどめること。後片付けから食器をしまうことまでやっちゃうと女房族がつけ上がるからね」
何でもこなせる万能タレントになりたいと語る一方で、俳優業には厳しかった。撮影中はいつも弁当持参。セットの片隅など人のいない部屋でぽつんと1人で食べる。
「それまで演じてきた役柄の雰囲気を壊したくない」からだと言い「役者は孤独。誰も知恵を付けてくれないものね。ボクサーが孤独だというけど、3分間たてばセコンドが知恵を付けてくれるんだもの。役者は1本のピアノ線の上を歩いている感じ。緊張感がないとだめだし、その緊張感を演技の上に出してもだめだしねぇ」
タレントとして活躍しながらも「本業はあくまで俳優」と主張するかのように、役者魂をのぞかせていた。
こんな川崎さんを恩人と慕っていた「ザ・ぼんち」の2人は24日、コメントを発表した。
里見まさと(63)は「今から振り返れば、我々ぽんちが、この世界で生活をさせて頂けているのは山本耕一さんと川崎敬三さんなくしてはあり得ないです」。
ぼんちおさむ(62)も「『そーなんですよ、川崎さん‥というフレーズを漫才ブームの時はネタに使わさせていただきました。それが大ウケし、また『恋のぼんちシート』というレコードを出し、大ヒットしました。お会いした時もひょっとして怒られるのではと思っていましたが、とても優しく笑いながら『いいね。おもしろいよ』と言っていただきました。ザ・ぽんちの漫才にはなくてはならない方でした。本当にありがとうございました」と感謝している。(阪本)
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役柄は、ちょっと気の弱いものが多かったが、実際の川崎敬三は、ストイックで、求道者のような強い信念をもっていたのかもしれない。
川崎敬三さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げます。

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