
野村沙知代さんをめぐる「サッチー・ミッチー」のたたかいがワイドショーに派手に取り上げられたのはもう15年も前になる。
テレビはそれまでさんざん野村沙知代さんをもちあげておいて、いざなにか出てくると急に叩く側にまわった。
それまで何も言わなかった売名タレントたちもそれに参加した。
なんとも醜悪な構図だったが、野村沙知代さんはそこで一方的にやられるのではなく逆襲に転じた。
その最初が、塩月弥栄子さんの著書によって名誉を傷つけられたとして、1100万円の損害賠償を求めた訴訟の勝訴判決である。
剣劇女優・浅香光代がラジオ番組で「あんな人はもうイヤ。ひっぱたいてやりたい」と野村沙知代さんへケンカを売ったのが1999年3月31日。
そう、今頃になって元代議士のご落胤を産んだと暴露した人である。
以来、ワイドショーやスポーツ紙、週刊誌などではこれでもかこれでもかと野村沙知代さんへのバッシングを続けた。
その後、学歴詐称疑惑の不起訴、時効が成立したことで、いったんは沈静化したように見えたが、 今度は脱税事件で逮捕されたことで、マスコミは再び「サッチー、ザマアミロ」の論調が乱舞。
翌2002年の5月、野村沙知代さんに有罪判決が出るまで続いた。
何しろ脱税問題のはずなのに、学歴詐称問題や南海監督解任問題まで持ち出すマスコミも少なくなかった。
マスコミも国民も、「推定無罪」も「一事不再理」もすっかりアタマの外においていたようである。
言論暴力の雄叫びが、これでもかこれでもかとうなり声を上げているようだった。
我が国がいかに怖い国であるかがよく分かる。
当初、バッシングについてはほとんど沈黙していた野村沙知代さんだったが、執行猶予がついた2002年5月、「もうこれ以上我慢する気はさらさらない」と、ついに堪忍袋の緒が切れたか大量提訴に踏み切った。
2003年9月2日、共同通信が配信した記事の見出には、「イニシャル表記で名誉棄損 野村沙知代さんが勝訴」と出ている。
この日東京地裁は、塩月弥栄子さんに77万円の支払いを命じた。
書籍では野村沙知代さんの名前は使わずに、「Y」というイニシャルを使い、かつて塩月弥栄子さんの秘書をつとめた野村沙知代さんが「印税の一部を自分の口座に振り替えた」などと記述していた。
浅香紀久雄裁判長は、「『28年前に自分の秘書をしていた人物』と特定しており、Yさんが野村さんを指すと分かる人は相当数に上る」と判断。
「印税を横領したかのような記述で社会的評価を低下させた」と名誉棄損を認めた。
書くなら堂々と書けばいいものを、姑息なイニシャルが逆に災いしたともいえよう。
野村沙知代さんの逆襲はこれだけでは終わらなかった。
2003年5月15日の東京地裁では、「借金が10億円以上ある」「出馬した衆院選で落選後、選挙事務所から1000万円を持ち去った」などと書いた『週刊実話』の記事が野村沙知代さんの名誉を棄損したとして、発行元の日本ジャーナル出版が220万円の支払いを命じられている。
同月22日には、「(野村沙知代は)魔女どころか毒婦以下」と発言したデヴィ夫人に、東京地裁より110万円の支払いが命じられた。
逆襲に転じた野村沙知代さんは3連勝である。
週刊誌は、『週刊実話』『週刊ポスト』『女性セブン』『女性自身』『週刊女性』『フラッシュ』『週刊朝日』などが、タレントは浅香光代、渡部絵美、杉浦正胤などが訴えられた。
名誉棄損件数は計31件、賠償請求額は合計5億円とも伝えられる。
便乗バッシングにも報復
一連の「野村沙知代バッシング」は、事の真偽以前に、もといそれ以上に、その「叩き方」の方が問題ではないかと思う。
ひとつは、言い出しっぺの浅香光代以外は、便乗のそしりを免れないこと。 しかもそのほとんどは、「何でそのときにクリアにしなかったのか」といわざるを得ない「今さら」の話であり、しかも中にはそれが事実であったとしても、同情する気になれないものもある。
よってたかって叩きまくる様は、人間の脆弱な本性を見る思いで、おぞましいことこの上ない。
「あのサッチーなら何を報じたって構いやしない」という狂喜の報道に疑問を抱かない人間は、オノレの心の黒さを省みた方がいい。
何より問題なのは、そうしたバッシングショーで世間を騒がせているうちに、もっと大切なことを報じなかったり、国民の目をそこから逸らしてしまったりすることである。
元ワイドショープロデューサーの中築間卓蔵さんは、「重要法案が審議されるとき、決まったように視聴者の目をそらせる事態が起こるのは不思議」(「しんぶん赤旗日曜版」2003年6月1日付)と指摘している。
「ミッチー・サッチーバトル」をムキになってワイドショーが報じている1999年8月、通信傍受法、国旗国歌法、改正住民基本台帳法といった、国論を二分する重要法案が次々と成立した。
「よってたかって」野村沙知代さんを叩きまくったマスコミには、「もっと大切なこと」を後景に退ける意図を疑わざるを得ないし、便乗したタレントや関係者たちは、意図や自覚にかかわらず、それに荷担しているということを肝に銘じるべきだろう。

芸能一般カテゴリの最新記事