
渡瀬恒彦が3月14日に亡くなっていたことが報じられ、話題になっている。テレビドラマで人気シリーズに出演してきたが、もとは東映の俳優だった。当時は大原麗子との別居結婚が話題となり、また一時はその東映とも契約していた渡哲也の弟としても注目された。
渡瀬恒彦は、早稲田大学出身でサラリーマンを経て東映入り。
芸能界に興味がなかったそうだが、結局入っていることから、先に日活入りしていた渡哲也に対するデリケートな感情があったのではないだろうか。
おそらく、兄弟仲は良さそうである。
そして、兄を尊敬している。
それだけに、兄に負けたくないという気持ちが、芸能界入り後にも垣間見える。
兄の渡哲也に対しては、かなり言いたいことを言っていた記憶があります。
古舘伊知郎のトーク番組に出演した時は、学校時代は自分のほうが兄よりも成績が良かった、兄とは何をやっても負けない(同じ空手部)ことを強調した。
しかし、自分にとって問題にならない人物なら、ことさら意識して比較する必要はない。
それはとりもなおさず、渡瀬恒彦は、渡哲也を芸能界入り以前から意識していたことがわかる。
その姿勢は最近まで変わっていなかったようで、お互い共演もしなかったが、2011年12月放送の特別ドラマ『帰郷』(TBS系)でやっと共演した時、こんなことも言ってた。
「僕から見たら、兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていただろうなと。兄貴は下手ですね」(2011年11月10日、スポニチアネックス)
世間は、渡哲也を渡瀬恒彦より上と見ているに違いない、という負けん気とコンプレックス、そして弟の気楽さの入り混じった感情なんだろうなあと思う。
男の兄弟。このような気持ちは大いにわかる。
大原麗子とは……
大原麗子とは、別居婚として話題になった。
当時、大原麗子はテレビドラマの売れっ子で、東京のスタジオが仕事場だった。
一方、渡瀬恒彦は東映京都作品に出ていたので、京都住まいだった。
ワイドショーは、当然、2人を興味本位で取り上げた。
離婚危機説を何度も報じた。
結果的に離婚はしているが、芸能マスコミ報道が先行していた感が強い。
さらに問題は、そのときの報じ方が、「大原麗子・渡瀬恒彦夫妻」だったということだ。
渡瀬恒彦は、「大原麗子の夫」扱いなのである。
当時は、2人で歩いていても、大原麗子にばかりサインの求めが集中していたという。
東映京都で、まだ主演クラスとはいえなかった渡瀬恒彦にとって、大原麗子は、役者としての大きな目標だったと思われる。
そして、30年後、『十津川警部シリーズ』で、役者として絶頂期にある渡瀬恒彦は、すでに過去の人になっていた大原麗子に出演の声をかけた。
渡瀬恒彦としては、当時格差婚だった大原麗子においつけ追い越せでやって来て、やっと自分の主演にゲストで呼べるところまで来たということだろう。
もっとも、大原麗子にとっては、その仕事を最後に2度と表舞台には出てこなかった。
http://www.asagei.com/excerpt/12695
いずれにしても、最後に共演で締めた渡哲也、大原麗子は、渡瀬恒彦にとって生涯のライバルだったのだろう。
生前のご遺徳をお偲び申し上げたい。
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