NHK「100分de名著」ブックス ブッダ最期のことば(佐々木閑著) Kindle版

NHK「100分de名著」ブックス ブッダ最期のことば(佐々木閑著)は、お釈迦様の臨終を描いた『涅槃経』というお経を解説する書籍です。お釈迦様は、食あたり、もしくは大腸がんによって80歳で亡くなった「普通の人」であることが描かれています。

仏教は、もちろん「宗教」のカテゴリに入りますが、他の宗教との決定的な違いがあります。
それは、神様が私たちや社会を作った、などとは言っていないことです。
仏教の始まりと言われるお釈迦様は、パーリ語(古代インド語)で書かれた『涅槃経』というもともとのお経によると、食あたり、もしくは大腸がんによって80歳で亡くなった「普通の人」であることが描かれています。
神様でも、超能力者でも、空中浮揚をする人でもないのです。
ただ、生老病死という、人間にとって避けて通れない苦悩に対して、「だったらそのおおもとを取り去れば良い」という対策を考え、実践したとされる人なのです。
「おおもと」というのは、「業」といいますが、生きている証として発する、人間の欲望やそれに基づいた感情といった「行為」です。
お釈迦様は、それによって心がかき乱されることを「煩悩」として、欲得やそれに基づいた感情を一切捨てることで心の平静を保ち、成仏することとしたのです。
それが仏教なのです。
本書は、その『涅槃経』が解説されています。
で、突然ですが、私を含めて、ここでブログを更新されている方は、それも煩悩のもとです。
なぜなら、それは、承認欲求という「業」の発露だから。
と書くと、
「えっ。ブログヤッたらいけないの?」
という誤解が生まれかねないので、きょうはそれについて解説します。
全人類が「悟りを開く」必要はない
佐々木閑先生はコロナ禍のオンライン授業で、「仏教はどんな人たちのためにあるものなのか」という話をされています。そこでは、「仏教は、決して全ての人類に広めるために存在しているものではない」と仰っています。では何の為?それは…… https://t.co/9Jcsrj7Mmz #仏教 #佐々木閑
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) March 5, 2025
仏教で言う「煩悩を一切取り除く=悟りを開く」ことは、その域に達成できるならば、もちろんすばらしいことです。
ただ、世の中の人全員にその必要があるかといえば、そんなことはありません。
たとえば、10万円稼ぐ人が、もっと稼ぎたいと思う。
20万円になったら、今度は30万円欲しくなる。
30万円稼いだら、50万を目指すようになる。
この前向きな姿勢の、何が悪いのでしょうか。
悪くないですよね。
そういう向上心が、社会を発展させてきたのです。
ただし、人間の欲得というのは、求め始めるときりがありません。
もっと偉くなりたい。
周囲の人間にもっと尊敬されたい。
もっと健康になりたい。
もっと長生きしたい。
もっとnice!が欲しい。……
全部同じことです。
求める、そしてそのために努力することは素晴らしいですが、それらには諸条件から限界もあります。
なのに際限なく求めすぎると、そうはいえなくなる弊害が生じます。
いくら稼いでも、さらにその上に行きたくなって、不平不満が募る。それが悩みや苦しみになり、人生が楽しくなくなる。
つまり、欲得には良い面と悪い面があるのです。
良い面、つまり前向きに進むことで心が満たされている人は、そのまま頑張ればいいのですが、問題は悪い面、その不平不満が生きづらさになってしまった人。
不平不満で心がいっぱいになったまま、人生を終えたら虚しいではないですか。
それなら、いっそのこと、心の中からその欲得を切り離しましょう、というのが仏教のもともとはじまりです。
ですから、仏教は、全人類にシェアを広げて、世界征服しようとか、そういう方針になりようがありません。
だって、全人類がみんな欲得を捨てたら、社会は立ち行かなくなります。
生きづらくなって困った人はいらっしゃい、という地味なものなのです。
他の宗教が「広める宗教」なのに比べて、仏教が「待つ宗教」といわれるのは、そのような理由によるものです。
ですから、仏教を標榜する新興宗教教団で、強引な布教活動をしていたら、もうそれだけでそこは信用できません。どことは書きませんが。
物事にはすべて原因があるから結果がある
お賽銭の金額はどうやって決められましたか。お賽銭というのはもちろん、参拝者が神社や寺院で拝むときに、賽銭箱に投入するお金のことです。#貧者の一灯 https://t.co/r2oDy8aH7n
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) February 26, 2025
冒頭に書いたように、お釈迦様の仏教というのは、神様が世の中を創った、などという他の宗教のような物語は認めていません。
物事にはすべて、原因があるから結果があり、その結果がまた新たな原因となる。
自然現象も社会現象も、すべては因果関係でつながっている。これを仏教では「縁起」といいますが、科学のような定量的客観性こそないものの、非常に合理的で現実的な考え方をしています。
ですから、仏教の教えは、現代社会において道徳的な有用性をもっていることが少なくないのです。
お釈迦様がこう言った。最澄が(以下同文)……、空海が……、法然が……、親鸞が……、日蓮が……
そうした語録を、「格言」として、私たちの生活に積極的に採り入れることは、信仰の有無にかかわらず、私たちの精神を豊かにしてくれることでしょう。
みなさんは、仏教という宗教に、どのようなイメージを抱かれていますか。

ブッダ 真理のことば 2011年9月 100分de名著 佐々木閑 ブッダの語った言葉をそのまま日常に役立つ指針として説く「ダンマパダ」
この記事へのコメント
何回、生まれ変わっても”悟り”には・・・(^0^)!