芥川龍之介の『魔術』に登場した洋館の現在は……

芥川龍之介の『魔術』という短編小説では、大田区大森の「馬込文士村」にあったホテル(洋館)が舞台になったといわれています。現在はマンションなどになっていますが、居住経験のない芥川龍之介が小説に描くほど、当時の馬込文士村は居心地の良いところだったのかもしれません。
このブログで、何度かご紹介しているのが、馬込文士村です。
馬込文士村というのは、馬込文士村とは、JR大森駅西口から都営地下鉄浅草線西馬込駅までの一帯にある、文学史上近代(明治から昭和前半)に活躍した作家・哲学者・画家などの邸宅を、記念館として残したり記念碑を建てたりした散策コースです。
かつて大森には、作家や詩人など文士が集中的に居を構えており、現在もその人々の住んでいた場所には説明板がたつ散策コースになっています。
『人生劇場』の尾崎士郎のように、実際に住んでいた家をそのまま保存して見られるようになっているところもあります。
説明は大田区公式サイトから引用させていただきます。
馬込の地で新婚生活を送った宇野千代、尾崎士郎が多くの文士に声をかけたことなどが発端となり、大正末から昭和戦前頃、大森山王から馬込周辺に多くの小説家、詩人、美術家たちが移住し、後に「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/jyosetuten24.html
その文士村の中にあった、望翠楼ホテルというというところに、多くの文士が集っていたといわれています。
カラー化 転載×
— 愛媛おかん (@ehime_okan) February 20, 2025
107年前
東京都大田区新井宿
望翠楼ホテルスタッフの写真
1918年大正7年5月 料理人の道へ
資料を調べると1918年7月にプロコフィエフと言うロシアの音楽家が滞在した所みたいだ。
料理修行より石炭?豆炭の燃料補充作業のへ方が辛かったそうだ。
数年後、大森ホテルか出来て廃業へ pic.twitter.com/Y3S6nXWw2l
意見や情報交換をする集会所みたいなものですね。
で、そこをモデルとした洋館を舞台にした小説を書いたのが、以前ご紹介した、芥川竜之介の『魔術』という小説です。

作中にも、大田区大森と書かれていており、道順の描写も、坂道が多いなどリアリティがあったので、本当にその場所はあるのか、気になっていました。
で、同じことを考える方はおられるようで、馬込文士村ガイドの会会員の方が関心を持ち調べたところ、谷崎潤一郎と芥川龍之介の二人の短編小説に、印度人マティラム・ミスラという人が登場するのですが、作品によってミスラの住む洋館は異なる場所として描かれています。(https://sanno12.web.fc2.com/image/202312-2.pdf)
芥川の作品の洋館は、その望翠楼ホテルということです。
簡単に、芥川竜之介の『魔術』についてご紹介します。
芥川竜之介の『魔術』とは……
魔術:マンガ版(原作/芥川龍之介、漫画/Midorikodan)Kindle版 https://t.co/70lI1gMa9h
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 1, 2025
Wikiにも出ているので、AI(Ahrefs)に結末まで要約してもらいます。
ミスラ君はインド魔術の使い手であり、「私」は彼の魔術を見せてもらう約束をしていた。
彼は魔術が誰にでも使えると説明するが、欲のある人間には使えないと警告する。
魔術を学ぶためには欲を捨てる必要があるとされ、「私」はそれができると答える。
1ヶ月後、「私」は友人たちと雑談をしている際、魔術を使うように頼まれる。
暖炉の中から燃えている石炭を取り出し、それを金貨に替えることに成功するが、友人たちはその金貨を戻すことを拒む。
戻してもらうためゲームで勝負することになり、「私」は魔術を使わず次々と勝利を収め、友人たちが全財産を賭けることになる。
だがその時「私」は欲に駆られ、魔術を使って勝利を収めるが、突然、カードのキングが現れ、「私」が夢を見ていたことに気づく。
実際には、彼はミスラ君と向かい合って座っており、全ては数分の間に過ぎない夢であった。
ミスラ君の洋館(望翠楼ホテル)はマンションに
馬込文士村(大田区大森、西馬込)散策コース https://t.co/fcBLIEbcAj
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 1, 2025
人間の欲を描いた物語ですが、その洋館の舞台になった望翠楼ホテルは、現在マンションなどになっていました。
ひとさまがお住まいなので、ぼかしを入れます。

馬込文士村が舞台だったわけですが、実は芥川竜之介自身が、文士村に居住した記録はありません。
文士村にご同業がたくさんいて、中でも北原白秋は盟友、室生犀星は家族ぐるみの付き合いだったそうなので、たぶん何度も訪ねているうちに、芥川さんはすっかり大森が気に入ってしまったのではないでしょうか。
洋館は、作品の説明通り坂の上にあり、坂を下りると「ジャーマン通り」というバス通りに出ます。
名前の由来はドイツ学園があったことだそうですが、横浜中華街のような感じではありません。ただの道路。「ドイツ」は名前だけです。
ジャーマン通りを超えると、龍子記念館もあります。
龍子記念館とは、画家・川端龍子の喜寿の記念に自身の発意と設計によって設立されたそうです。アトリエを再現し、絵筆や墨なども展示されているかなり大きな記念館です。
文士村に行かれたことはありますか。
近郊の方は、話のタネに1度いかがでしょうか。

馬込文学地図 (中公文庫 こ 21-7) - 近藤 富枝
この記事へのコメント
ご訪問、ありがとう御座います。
後は読んでないかも
いつか行ってみたいです
nice!です。
敷居が高い?
近郊ではありませんが、行ってみたい場所ですね。
東京ではつい繁華街に行ってしまいますが、こういうところを散策するのもいいですね(*^^*)
欲が深い僕は読んでみたいです。
大森は駅を挟んで海側と山王側では雰囲気が違いますよね。
馬込の方に洋館が存在していたのはなんとなくわかるような気がします。
大田区は歩いて回ると面白そうですね。
SSブログがなくなってびっくりしました、もうブログの時代ではないのでしょうか・・
かろうじてseesaaブログに移行出来ました、今後ともよろしくお願いします(*^^*)
『魔術』面白そうです♪
小説の舞台を散策、いわゆる聖地巡礼ってやつですね。
のは残念ですが、文士村や龍子記念館に行ってみたいです。
田端の文士村に芥川龍之介記念館ができるらしいので、完成
したらそちらも行ってみたいと思っています。
NICEです(^^)