灌仏会(かんぶつえ)、釈迦の誕生を祝う仏教行事

灌仏会(かんぶつえ)。釈迦の誕生を祝う仏教行事が4月8日です。東京・大田区の桜も満開となったので、日蓮宗大本山の池上本門寺に行ってみました。宗派を超えての行事ですが、お寺によっては「花まつり」と呼ぶところもあるようです。
4月8日、もしくはその2~3日前に、寺院に行かれたことはありますか。
宗派を超えた仏教行事が行われます。
右手で天を、左手で地をさしている、お釈迦様の誕生仏像が、様々な花で飾った花御堂に安置。
甘茶を灌ぎかけるところから「灌仏会(かんぶつえ)」ともいいます。
日本全国の寺院では、宗派を問わず、4月8日、もしくはその前の1週間ぐらいを、『春まつり』とか『花まつり』という名称で参拝者が訪れます。
本殿には、花を飾ったワゴンが用意されます。
4月8日は、釈迦牟尼、つまりお釈迦さまがルンビニの花園で生まれた誕生日だからです。
武蔵野台地の96段の石段を登った日蓮宗の総本山・池上本門寺では、花見に訪れた参拝者に甘茶がふるまわれます。
ところで、その釈迦牟尼(お釈迦様)の生涯には、様々なエピソードや教えがあり、それが仏教に宗派を作りました。
お釈迦様の仏教と大乗仏教
4月8日はお釈迦様の誕生日、灌仏会、春まつり、花まつりなど全国寺院が開催 https://t.co/d14AuwDD4R
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 7, 2025
お釈迦様は、北インドの王子様でしたが、考えるところあって、妻子と王子の座を捨てて出家しました。
そして、いくつか苦行にチャレンジしましたが、自分には合わず、菩提樹の下で瞑想して悟りを得たといわれています。
「悟りを得た」というのは、要するに自分の心の中の煩悩を捨てられたという意味です。
その後、僧団を作って弟子に悟りの道を説きました。
それが仏教の始まりと言われています。
しかし、以前も書いたように、お釈迦様は、神様でも超能力者でもない普通の人間なので、80歳で普通に亡くなりました。
ま、それでも、当時(紀元前およそ300~500年)の平均寿命から考えると、驚異的だろうと思いますけどね。
前述のように、お釈迦様は自分のために煩悩をなくそうとしたので、その成功談を記録に残そうとは考えていませんでした。
というか、もともと古代インドは、中国と違って、文字で記録に残すという文化がなかったのです。
ですから、お釈迦様の遺骨や断片的な活動の記録は残っていても、仏教の大系としての書き物は残っていません。
今ある「お経」は、すべて、お釈迦様の何代も後の弟子、つまりお釈迦様とは直接つながりのない人たちが、「仏陀(お釈迦様)はこう言っておられたらしい」との言い伝えをもとに作ったものです。
さらに時間がたち、5世紀ぐらいには、新しい仏教の運動が始まり、そこでは、さらに新しい憶測が入り、「仏陀はたぶんこう言いたかったに違いない」という発想で、新しいお経や宗派が生まれました。
それを大乗仏教といい、日本に伝わった仏教の主要諸宗派は、すべてその大乗仏教です。
以前、あるブログで、浄土真宗の「おかみそり」という行事に参加して法名をもらった人が、「お釈迦様のお弟子になった」と書いていましたが、「おかみそり」はお釈迦様の弟子になることではありません。
それはたんに、浄土真宗の在家信徒になったという儀式であり、「お釈迦様の弟子」というのは、当時(紀元前300~500年)お釈迦様についていた、阿難(アーナンダ)とか、目蓮(モッガッラーナ)とか、舎利弗(シャーリプトラ)といった人たちのことをいいます。
花まつり・灌仏会は誰でも歓迎します
ですから、お釈迦様が「生きづらい人は欲得を滅しよう」と悟った「基本の教え」以外は、後世の脚色や、宗派による独自解釈も含まれていることは否めません。
しかし、要は煩悩を克服して成仏できればいいわけですから、禅を組もうが(臨済宗、曹洞宗)、念仏を唱えようが(浄土宗、浄土真宗)、法華経を読もうが(天台宗、日蓮宗)、加持や祈祷を行おうが(天台宗、真言宗)、手法は様々でも、それぞれ信じて目的達成できるのなら、それはそれでいいのではないか、というのが仏教の本来の考え方です。
他宗派や他の宗教を中傷したり、宗祖の教えやお経を一字一句守らないと断罪したりする団体もあるようですが、それは仏教の基本的なマインドが違うところですから、気をつけたほうがいいですよ。
どことは書きませんが。たとえば、鳥居をくぐらないとかね。
仏教は、本来煩悩を取りさる個々人の内心の営みですから、社会的にポピュラリティを得ているキリスト教も神道も否定していません!
ということで、どのような信仰の方も、無信仰の方も、4月8日は、お近くの寺院にちょっと立ち寄られて、もし甘茶が振る舞われていたら、それをめしあがってみてはいかがですか。

中村元の仏教入門 - 中村 元
この記事へのコメント
父の葬儀の際、お坊さんを手配するのに宗派は何ですかって聞かれたのを良く覚えています。
婚家は神道なので、お寺との付き合いはないのですが神社よりお寺の方がより広く人を迎えられている気がします。
株式市場を見ていると人間の精神は進化しないなと感じます。
当地でもやってる所有るのかなぁ~
仏教に関しては興味があり色々書籍を読みましたが
どの時代も、カリスマが出てくるとその取り巻きによって
カリスマの考えが歪められてるって勝手に思ってます
と言われたら、その宗教の信者はそれを信じるしかないし、
我々はそこで思考が停止されてしまうんじゃないのかなと。
そうではなくそれぞれの人がそれぞれの手段で、
手の届かない何かに少しでも触れてみたい、追求してみたい
という思いがやっぱりあってこそのものじゃないのかなって、
他の動物にはない人間として、煩悩を捨てられない自分は
甘茶を頂きながら”わからないもの” を想像し、することの大切さを思っています。
何故クリスマスのように盛り上がらないのでしょう・・・
私はやってませんが姉は昔の写真を見ると、稚児行列に参加していました。
ずっとあれは何の行事なんだろう?と思ってましたが、花まつりだったんですね。子供の成長を願う行事でもあったんですね。
なんかすっきりしました。
クリスマスはいらないけど、こういう行事こそ盛り上げたいのに、知らない人が多いですよね。以前飲んだ事がありますが、甘茶、上品な甘さで美味しいお茶でした。
nice!です。
が近所のお寺でやっているのを見た事がないような・・・
甘茶、飲んでみたいです。
なりますね~
子供の頃近くのお寺に母親に連れられていったことがあります。
恥ずかしながら、灌仏会(かんぶつえ)を初めて知りました。今日4月8日なのですね。
今日は花祭りだったでしょうか・・・
甘茶を飲んでお釈迦様のお祝いをしたような。
池上本門寺には、二度行った事が在ります。
一度は梅の時期でした。
大きなお寺でした。
五反田に教室を待っていた時期がありました。
会員の中に、本門寺の催事には、手伝いに駆り出されると聞いていました。
お釈迦様について、知らない事がたくさんあり、勉強になりました。
自己犠牲が根底にあったと、勝手に解釈しました。
有難うございます。
お花を持って、甘茶飲んで
大切にする気持ちが、育ちました!
桜がきれいです。
「悟りを得た」というのは、煩悩を捨てられたということですか。
でもその域に達するのは至難ですね。
昔から受け継がれて来ている物は、奥が深いですね。
池上本門寺、行って見たい1つです。
教えなどにはほとんど興味が持てません(^^;
ですがこの歳になると少しは知っておいた方が良いのかなと
思い始めておりますが、この歳だと物覚えが悪くすぐ忘れてしまいそうです(汗)
よく神社で遊んでたせいでしょうかね。
今も時々神社に行ったりしますが、子供が遊んでいるのに出くわしたことはないですねぇ。
怒られるんだろうか?
【これが正しいんだ、神様はこう言ってるんだ・・】
人はみな何かに救いを求める気持ちがあるのでしょうね。
畏敬の念のようなもの、素朴な信仰心は大切なのじゃないかと思います。
他者を排斥、攻撃するような考えになってしまうと、違うんじゃないかしら。
そんなことを思っております^^