電車内での子どもの行動の責任 - それぞれの視点から考える

子どもが、電車内のつり革にぶら下がって遊んでいたところ、手をすべらせて落ちてしまい、危うく隣の人の傘の骨(露先)に目を刺しそうな動画がXにポストされました。この場合、子どもが悪いのか、親が悪いのか、周囲の乗客が悪いのか、いかが思われますか。
この手の投稿は、しばしば行われるのですが、検索して出てきたものをシェアします。
子どもがつり革にぶら下がって遊び、手が滑って落ちてしまい、隣の人の傘の先に目を突きそうになるという危険な状況です。
親御さんが止めるべき? pic.twitter.com/Zb0maLTIHN
— 秋山★優花里☆非公式 (@YukariAkiyama89) April 9, 2025
子どもにとって、電車内のつり革は非常に魅力的な存在です。
ちょうど手が届くか届かないかの絶妙な高さにあり、「つかまりたい!」という強い好奇心を刺激します。
特に幼児から小学校低学年くらいの子どもは、自分の身体能力を試したい、新しい動きに挑戦したいという発達段階にあります。
つり革にぶら下がることは単なる「遊び」ではなく、自分の能力を確かめる大切な経験なのです。
しかし、発達心理学の観点から見ると、子どもの危険認識能力は年齢によって大きく異なります。
研究によれば、危険を正しく認識する能力が芽生え始めるのは年長児(5~6歳)頃からとされています
[kaken.nii.ac.jp](https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18730417/)。
それより小さな子どもは、つり革から手が滑ることや、落下した際に周囲の物(この場合は傘の先)で怪我をする可能性があることを、十分に予測できないのです。
また、子どもの行動特性として、保護者が目を離していなくても、事故は約0.5秒という一瞬で起こりうるという研究結果もあります[kidsdesign.jp](https://kidsdesign.jp/library/labo/4509)。
つまり、子どもがつり革で遊ぶ姿を見ていても、手が滑る瞬間を予測して防ぐことは、親にとっても非常に難しいのです。
さらに、子どもの「トンネル視」という特性も関係しています。
幼児は視野が狭く、一つのことに集中すると周囲の状況が見えなくなる傾向があります
[iatss.or.jp](https://www.iatss.or.jp/entry_img/03-2-05.pdf)。
つり革にぶら下がることに夢中になると、周囲の乗客や持ち物(傘など)への注意が完全に欠如してしまうのです。
では、大人たちの視点から考えてみます。
親の視点から考える
子供目線だと吊り革は遊び道具でしょうけど、小さい頃にその辺りの分別を教えるのは親の責任かな?って思います。でも大人でもやる人いますからね?? pic.twitter.com/GpsDdZE8RN
— browncat(♂)???? (@browncat1610801) April 10, 2025
法的な観点から見ると、親には子どもの行動に対する監督責任があります。
民法714条によれば、子どもに責任能力がない場合、親が代わりに責任を負うことになります
[makino-law.com](https://makino-law.com/other/column024-oyanosekinin/)。
法律上は、親が子どもの行動を適切に監督する義務があり、それを怠った場合には責任を問われる可能性があるのです。
しかし、現実の子育てにおいて、子どもの行動を常に完璧に管理することがいかに難しいかは、子育て経験のある人なら誰でも理解できるでしょう。
特に公共交通機関という限られたスペースでは、さまざまな要素に注意を払いながら子どもを見守らなければなりません。
電車内で子どもがつり革にぶら下がるという行為は、確かに親として注意すべき行動です。
しかし、「電車内では静かにしていなければならない」という厳しすぎるルールを課すことで、子どもの自発性や探究心が損なわれる可能性もあります。
たとえば、公共交通機関を利用する際には、子どもが飽きないような工夫があってもいいのではないでしょうか。
さらに、「お子様の行動に関心と責任を持つ」ことの重要性も指摘されています
[jamoi.jp](https://jamoi.jp/webmagazine/2020/04/4928/)。
子どもが騒いでも、親がきちんと注意をしていれば、周囲の人はある程度許容してくれるものです。
問題は、子どもの危険な行動を親が放置している場合でしょう。
周囲の乗客の視点から考える
日本社会には、他人の子どもに注意することへの躊躇があります。
ある調査では、電車内で子どもが騒いだり危険な行動をとったりした際に、注意したら親から「邪魔しないで」と怒られたという経験も報告されています
[otonanswer.jp](https://otonanswer.jp/post/11300/)。
このような経験は、第三者が介入することへの躊躇をさらに強めるでしょう。
一方で、公共空間における安全確保は、一人ひとりの責任でもあります。
子どもが明らかに危険な状況にある場合、「怪我したら危ないよ」と優しく声をかけることは、決して過剰な介入ではないはずです
[mamastar.jp](https://mamastar.jp/bbs/topic/4448157)。
実際、そのような声かけが事故を未然に防ぐこともあるでしょう。
また、公共交通機関での子連れ利用についても、様々な意見があります。
「子どもは立つべき」という意見がある一方で、「子どもが安全に立てるようにできていない」という指摘もあります
[komachi.yomiuri.co.jp](https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/253606/)。
子どもはバランス感覚も脚力も大人に比べて劣っており、中途半端に混雑している時は特に危険です。つり革にもつかまれず、手すりも空いていない場合、座席に座らせることも一つの選択肢かもしれません。
公共交通機関における子ども連れに対する理解と配慮も必要です。
近年、高齢者や障害者等に対する公共交通機関のバリアフリー化が進展しています。それに伴い、子ども連れの移動における制約も改善されてきましたが、まだ十分とは言えない状況です[mlit.go.jp](https://www.mlit.go.jp/common/001002187.pdf)。
まとめ
今回の電車内での事故について、子ども・親・周囲の乗客それぞれの視点から考察してきました。
この事例から見えてくるのは、単純に「誰が悪い」と決めつけられない問題の複雑さです。
子どもには発達段階に応じた好奇心と未熟な危険認識能力があり、親には子どもを見守る責任と現実的な限界があります。
そして周囲の乗客には、公共空間の安全を共に守る社会的な役割があります。
要は、「誰の責任だ」「どっちが悪いか」なんて体面を考えるよりも、親であろうが周囲の人だろうが、気がついた人が適切な対応を取れるようにすることではないかと思いました。

「いじめ」と幼児期の子育て―親・保育者の責任と役割 - 平井 信義, 本吉 円子
この記事へのコメント
目の前に立ってる人はいないけど、長靴を履いたまま座席に何回も足をついているし、しつけされてないんじゃないのって思っちゃいます。
まぁ、落ちた後はおとなしくしていたようですが…
こういう公共の場では、やるべきじゃないですよね。
公園に行ってやりなさいって思います。
確かに、親であろうがなかろうが、一言声かけをしてると反応は違いますよね。
これがこの街の文化と思うようにし、見て見ぬふりをしてしまいます
年齢に関係なく、親がしつけるべきです。
自分の身体能力を試したい、興味があるからといって、
どこででも試せるなんてことは、決して許されることではないと思います。
そういう場所はあります、そこでで試せばいいんです。
nice!です。
危ない事と迷惑かける事への配慮は親の責任ですが、ずっと見れない時もある(子供が二人以上いる時)は周りの人も声がけや見て注意してあげる配慮も必要だと思います。
それに周りが注意したり無理に降ろそうとすると訴えられる時代だから乗客は知らん顔だろうし子供に責任能力無い以上親が悪いと思うんだけど、この状況で親が何も言わない時点で親が異常としか思えない。
記事は、初めてでした。「どうしたら、子供の事故を防げるかと思い
ますか」を想定して、以下に私は書きました(汗)。仮の回答です。
「伝染病に感染する確率も有るし、なるべく電車で目的地に行かない」
と教育して、事故に遭遇する可能性を少なくするしか、無いかもですね。
その親も子供の頃同じことをやってたんでしょうね。
何で親は注意をしないのだろう?と思っていました。
最近は子連れにも優しく移動できるようになってきましたが、
それに乗じて「子連れだから配慮して」ではなく、
公共交通機関なのだから最低限のルールは守っていただきたいと思います。
周りの方もさりげなく注意していただきたいですが、
最近は逆ギレする親もいますからねぇ・・・
第三者である乗客が子供の行動を注意することは少ないんじゃないでしょうか。
やはり保護者がしっかりと見守ることが大切だと思います。
記事のような奔放的な親子と その後 隣の席が空いて ドアの方から移動してきた親子。他人同士なんですが 親同士の視線を感じずにはいられなかったです。会話はありませんでしたが たがいにどう感じたのかが気になって・・・。
私は地下鉄を降りましたが。
あぶないよ!と思ったんですが 昨今の過干渉?!というわだかまりに 何も言えませんでした。☆彡
日本は法治国家で公の場ならば親の責任にならざるを得ないでしょう。
他者が注意することは親の反発(うちは自由主義だとの暴論含め)を考えればできないでしょう。
子供には責任能力がなくても結果責任(けが等)は嫌でも負います。
実は私も、このポストを見た時に、最初は「親が悪い」と思ったのですが、ついているコメントを読むと、必ずしもそうではなかったので、「これはそれぞれの立場や考え方で意見が分かれることなのだな」と思い、ブログ記事にしてみました。
もう、叱るのも疲れた・・・という感じでした。
子育てってきっとそういうことなんだろうと思います。
親の責任!!と責めるだけでなく、他人である周囲も含めみんなで子育てを助け合えるような社会が理想かな、と、今回のいっぷくさんの記事を読んで思いました。
ぶつけられても嫌ですから。乗客の自己防衛でもあります。法的責任は親。
でも、最近の親は子供を放置しすぎのような気がします。
親の責任だと思います。
nice!です!!!
やはり親がしっかりと観てなくてはならないと思います。
だいたい靴を履かせたまま座席に立たせたり座らせたりする親は
子育てに対してどうかと思いますね!
まぁ、そのような親が増えているのも事実なんでしょうけど・・・。
善・悪を教えておかなくてはいけないと思います・・・が
行動をします!!
周りの人達の見守り大切です!
周囲の人の立場で、それが危険な行為だと判断したら、「危ないよ~」と優しく声掛けするようにしています。
いろいろな見極め・状況判断が難しいところですね。