織田信長が河内国の土地調停に関与した書状発見の意義

織田信長が、河内国(現在の大阪府東部)の土地調停に関与していたことを示す書状が発見されたと、昨日ニュースで報じられました。この文書は、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授による調査で、1571年に織田信長が足利義昭の属武将である見宗房宛てに送ったものと判明しています。
「本能寺の変」「天下布武」「比叡山焼き討ち」
織田信長といえば、こうした劇的なエピソードが、真っ先に思い浮かびますよね。
しかし最近、そんな「破壊者」「革命児」「サイ×パス」としてのイメージとは少し違う、意外な織田信長の姿が明らかになりました。
信長が、現在の大阪府東部にあたる河内国で起きた"土地トラブル"の調停に直接関わっていたことを示す書状が見つかったのです。
内容には、足利義昭の家臣である見宗房(けんそうぼう)が所有していた土地の返還を求めるとともに、返還交渉を円滑に進めるため足利義昭の名門武将である細川昭元との調整を依頼する旨が記されています
大家さんが、入居者間のもめ事を仲裁するような日常的な仕事に、武将信長が携わっていたとは驚きです。
この発見は、歴史好きの方だけでなく、普段あまり歴史に詳しくない方にも興味深い内容です。
なぜなら、私たちが学校で習った「英雄」像とは違う、等身大の信長の姿が見えてくるからです。
歴史の教科書には載っていない信長の姿?
織田信長が河内国の土地の調停にあたっていた書状見つかるhttps://t.co/PCu6LPBsSm #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) April 11, 2025
現代風に言うと「大家さんからの連絡メモ」
今回見つかったのは、1571年に織田信長が足利義昭の家臣である見宗房(けんそうぼう)という武将に送った書状です。
内容を現代風に言い換えるとこんな感じです。
「見さん、以前あなたが所有していた土地についてですが、元の持ち主に返還することになりました。ただ、いきなり返せと言うとトラブルになりかねないので、細川昭元さん(足利義昭の側近的存在)とよく相談しながら、スムーズに手続きを進めてくださいね」
まるで、大家さんが入居者間のトラブルを調整しているような内容ですよね。
サイコ×スといわれる信長が、こんな日常的な行政作業に関わっていたとは、なんだか親近感が湧いてきませんか?
なぜこの書状が重要なのか?
発見した、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授によると、この書状が貴重な理由は二つあります。
第一に、信長の政治活動を直接証明する「一次資料」であること。教科書や歴史書に書かれている内容(二次資料)と違い、当時実際に書かれた文書なので、信長が本当に何をしていたのかが直接わかります。
第二に、具体的な人名や出来事が記されていること。これによって、信長がどのような人間関係の中で政治を行っていたのかがリアルに理解できます。
信長の意外な素顔:武将だけじゃない「行政官」としての側面
天下人への道のりでの意外な仕事
私たちがよく知る信長は、戦場で敵を打ち破る「武将」としてのイメージが強いです。
しかしこの書状から見えてくるのは、土地問題や権利調整に頭を悩ます「行政官」としての信長です。
信長が将軍の家臣たちの間で起きるトラブルを、実際に調整していたことがわかるのです。
現代の会社に例えると?
これを現代のビジネスに例えると、こんな感じでしょうか。
「ある大企業(室町幕府)が経営危機に陥り、外部から優秀な経営者(信長)が招かれました。当初は社長(足利義昭)を支える役割でしたが、実際には部門間の調整や取引先との交渉など、日常業務の多くをこの経営者が取り仕切っていた」
信長はやがてこの会社を乗っ取る(幕府を解体する)わけですが、その前段階として、すでに実質的な経営を行っていたことが、この書状からうかがえるわけです。
この発見が変える「信長像」
ここから何がわかるかというと、要するに、これまで歴史書などで描かれてきた、サイコパ×で暴力一辺倒な信長像というのは一面的で、実は単なる「破壊者」ではなく、「武力」だけではない統治術も持ち合わせていたということです。
「泣かぬなら、56してしまえホトトギス」という句が独り歩きして、一面的なキャラクターを作り上げたのかもしれません。
でも、考えてみれば当たり前のことで、人を斬ることしかノウがなかったら、国(自治体)を統治する仕事など、つとまりませんからね。
この発見で歴史理解が深まる
この発見で、信長がどのようにして天下統一への道を歩んだのか、そのプロセスがより具体的に理解できるようになります。
特に、室町幕府という既存のシステムを一時的に利用しながら、徐々に自身の支配体制を築いていった過程がよくわかります。
この発見から考える「現代への教訓」
一次資料の重要性
歴史研究において「一次資料」がどれほど重要かを示していまです。歴史とは、このように新たな発見によって常に更新されていくものなのです。
ネットに転がる、真偽の定かでない情報を切り貼りして決めつけることなどは論外なのです。
リーダーに必要なバランス
学研まんが NEW日本の伝記1 織田信長 天下統一をめざした武将(イラスト/山田圭子、編集/田代脩) https://t.co/bHvLypOudz
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) April 12, 2025
この書状から、信長というリーダーの意外な一面が見えてきます。
それは「変革」と「継承」のバランスです。伝統を打ち破る一方で、既存のシステムを活用する現実的な側面があったことがわかります。
現代のビジネスリーダーにも通じるものがあります。
イノベーションを起こしながらも、組織の日常業務をきちんと回す能力。信長にはその両方が備わっていたのでしょう。
土地問題の普遍性
もう一つの発見は、土地をめぐる問題の普遍性です。現代でも不動産を巡るトラブルは後を絶ちません。
500年前の信長も、現代の行政官や司法関係者と同じような問題に直面していたと思うと、歴史の面白さを感じませんか?
歴史はまだまだ謎に満ちている
この発見は、歴史研究の現場では小さな一歩かもしれませんが、私たち一般人にとっては信長像をより立体的に理解する大きな手がかりとなります。
新発見は科学や医学だけではありません。
歴史学もまだまだ謎に満ちており、新たな発見が私たちの歴史理解を常に更新し続けています。
みなさんの地元の首長は、マスコミ報道と実際を比べてみていかがですか。

学研まんが NEW日本の伝記1 織田信長 天下統一をめざした武将 - 山田圭子, 田代 脩
この記事へのコメント
海外との貿易を進めるなど、そんな悪い人のイメージはないです
ただ、当時の守護の方々と考え方が数十年~数百年の差があり、
もし彼が政の中心となったら、鎖国やキリスト断罪等しなかったと思う
いかなる武将よりも先を見ていたようなイメージです
タラレバですが
やっぱり、上に立つ者は、それなりの力を持っているという証明だったのかもしれません。
現代にこんな政治家がいたら、日本ももっと良い国になってたかな~なんて考えてしまいます。
傍若無人のふりも緻密な計算の上にやっていそう
ナイスです。
焼き討ちだったんでしょうかねえ。(笑)
先日TVでやってましたが私が教科書で見たフランシスコ・ザビエルの肖像は、
死後80年経って日本人が想像で描いたものと言ってました。
現代に 時代の人がいたら ・・考えると面白いです
歴史は変化するといったところでしょうか。
ブログ箱庭「鯉の季節?恋の季節?」においで頂き、ありがとうございました。
愛読書がドリトル先生だったのが、原点かもしれません。
先人の凄い一面を読ませていただき勉強になりました。
これは本当かどうかはわからないですが 最近になって あんな残酷な事はしていないのではないかというのです
発掘調査をしてみると どうもそこまでやっていないみたいなのです。
織田信長を残酷なイメージに仕立てるために 反信長側が
わざとオーバーな表現をしたのではないかというのです。
わかりませんけどね そういう説が最近出てきたということです。
戦略家であると同時に、今風に言えば国の経営者ですね