清水由貴子さん17回忌、改めて年忌法要と「老親介護」を考える

清水由貴子さん自殺月命日、改めて年忌法要と「老親介護」を考える

清水由貴子さんが、父親の眠る静岡・御殿場市の富士霊園で死亡しているのが発見されたのは2009年4月20日。今日で17回忌になります。父親を早くに亡くしたため高校を出てから芸能界で働き、母親の介護のために芸能界も引退しました。

清水由貴子さんの直接の死因は、父親の墓の前で袋をかぶり、硫化水素を吸った中毒死でした。

母親の介護をめぐる疲弊や、苦悩による「介護うつ」があったとされています。

傍には、車椅子の母親がいたので、自殺という発表を巡って、ネットではいろいろ取りざたされていますが、とにかく母親の介護が生前の彼女の生活にのしかかっていたこと間違いないし、また一般的に見ても、老親介護は大変なことなのです。

ただし、よく言われる、「食べられなくなったら人間は終わり」といって、「延命」(嫌な言葉だ)をひとからげに否定することも私個人は賛成ではありません。

以前も書いたように、介護というのは、「人生におけるその親子関係を振り返り、気持ちの整理をつけるかけがえのない時間」という価値もあるので、それを望む人にまで、紋切り型の「延命否定」はすべきではないと思うのです。


いずれにしても、恵まれているとはいえない生い立ちの清水由貴子さん。

父親を早くに亡くしたため高校を出てから芸能界で働き、自分の力で家を建て、墓も建て直し、それでも足りないと、母親の介護のために芸能界も引退し、さらに自らの命まで……。

同年代で、似たような境遇の私はシンパシーを感じていたので、他人事とは思えない出来事でした。

引退なんてもったいない、そんな時期に……



そんな“憧れのゆっこさん”に、お話を伺ったのは、2002年9月のこと。

場所はTBS(赤坂)近くのテレビ関係者が使う喫茶店「Dingo」。

当時放送していたTBSの『ジャスト』でコメンテーターとして出演していたので、本番が終わってからそのまま直行していただきました。

私の妻が、ある雑誌のインタビューで清水由貴子さんのインタビュアーをつとめたときに、私も便乗していろいろ質問をさせていただきました。

清水由貴子さん
私撮影

ー「スター誕生」では、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞しましたね。

「あのときは家が裕福ではなかったので、ジーパンで会場入り。お昼は家から持参した塩むすびを、誰も見ていない非常階段のところで食べていましたねえ。それがもう、そのような望外の評価で大変嬉しかったです」

ーそういえば、デビュー曲の「お元気ですか」はギターを持ったジーパン姿、ミディアムのヘアスタイルで歌っていたのが思い出されますね。

「ギターは前から弾いていましたが、私はもともと三つ編みだったんですよ」

ーえ、そうだったんですか?

「あの頃の『スター誕生』は資生堂さんと提携していたんです。その関係で、出場者の10人ぐらいが決勝大会に進む前に、いちばん似合う髪型ということで美容研究所に連れて行っていただきました。私の場合、『この子はショートに』と一言アドバイスされ、三つ編みをバッサリ(笑)」

私が話を伺った当時は、テレビのコメンテーター(TBSの『ジャスト』)のほか、『七尾響子弁護士2』(テレビ朝日)、『電太郎一家』(テレビ新広島)、『ともちゃん家の5時』(山梨放送)など仕事に恵まれており、そのひとつひとつの意義を楽しそうに語ってくれました。

それだけに、所属プロの芸映をやめた時に贈られた年賀状に、「レポーターでいろんなところへ連れて行ってもらったり、教えてもらったり、感謝。楽しかった。ありがとう」との引退の挨拶がしたためられていたのが何ともやるせなかった。

引退なんてもったいない、そんな時期だったと思います。

年忌法要について


さて、十七回忌(17回忌)は、仏教における年忌法要の一つであり、仏教の行事です。

故人が亡くなってから満16年目(亡くなった年を1年目とする数え年で17年目)の祥月命日に行われる追善供養です。

この法要では、親族が集まり、僧侶を招いて読経や焼香を行い、故人を偲びます。

追善供養という概念がない浄土真宗は、故人のご縁によって遺族や参列者が仏法(阿弥陀如来の教え)に触れ、その恩徳に感謝し、報謝の思いを新たにするための場とされています。

年忌法要の起源は、仏教がインドから中国、日本へと伝わる過程で変化してきました。

インド仏教では死後四十九日までの法要が中心で、それ以降の年忌法要は行われていませんでした。

中国に仏教が伝わると、儒教や道教の「孝」の思想と結びつき、死者のための追善供養として一周忌や三回忌までの法要が行われるようになりました。

日本では、平安時代に貴族が自分の菩提寺で年忌法要を営むようになった記録があり、この頃から一周忌までの法要が行われていました。

鎌倉時代に入ると、浄土宗や禅宗などの新しい仏教宗派の広がりとともに、三回忌までの法要が一般化し、さらに七回忌や十三回忌、三十三回忌など日本独自の年忌法要が加わっていきました。

多くの仏教宗派では「弔い上げ」は三十三回忌や五十回忌で行うのが通例です。

ただ、十七回忌を「弔い上げ」とする宗派や地域は、一般的には少数ですが、存在します。

特に、現代では家族や親族の負担軽減のため、早めに弔い上げを行う家庭も増えており、その一環として十七回忌で弔い上げとするケースも見られます。いつまでもきりがないですからね。

ただし、これは宗派の公式な教義というよりも、地域や家ごとの慣習や事情によるものです。

みなさんの地域の弔い上げは、三十三回忌ですか、五十回忌ですか。

清水由貴子 私小説+4
清水由貴子 私小説+4
日本人の仏教のしきたりものしり辞典: いざというとき困らないための仏事の心と作法 - ひろ さちや
日本人の仏教のしきたりものしり辞典: いざというとき困らないための仏事の心と作法 - ひろ さちや

この記事へのコメント

2025年04月20日 22:12
足跡にて失礼します。
2025年04月20日 23:27
清水由貴子さんの訃報は、衝撃的だったので良く覚えています。
あれからもう17回忌になるんですね。
「欽ちゃんバンド」で活躍されてたのも懐かしいです。
弔い上げ、私の父は33回忌までやりました。
昨年が50回忌だったのですが、母が介護施設に入所しているし兄も歩くのが大変な状況なのでしませんでした。
2025年04月20日 23:41
1人で介護は辛いです
うちは3人いたからなんとかなったのかも
2025年04月21日 00:00
こんばんは、いっぷくさん。
我が家の宗教では三十三回忌です。

難しいことですが、元気なうちに終末について話し合いができて希望を聞いておく。書面にできれば理想です。
2025年04月21日 03:25
清水由貴子さん、昔TVで観たような気がします。随分、ご苦労されたんですね・・・。ご冥福を祈らずにはいられません。
2025年04月21日 05:42
おはようございます!
nice!です。
清水さんのニュースは衝撃的でした!
2025年04月21日 05:50
我が家のお墓も富士霊園ですので、清水由貴子さんの事件はショックでした。
両親とも元気でいたので、介護介護はしていません。両親とも1年ほど入院してそのまま同じ年に、半年ずらせてなくなりました。(96歳、90歳)自分が今介護される年になってきましたが、両親のように、元気でいて、迷惑をかけないで死にたいなと思います。
33回忌です。
2025年04月21日 06:13
この国じゃ。望んでも特別養護老人ホームになんか、
なかなか入れないしね。厳しい環境の国に、我々は、
住んでますよねぇ。街は「徘徊老人」で溢れてますし。
pn
2025年04月21日 06:18
俺には連絡来ないからなぁf^_^;
2025年04月21日 06:44
かなり思い悩んだんでしょうね。相談する相手、頼れる人がいなかったのかな?と思いますが、色んな事が出来る人だけにそれが出来なかったんでしょうね。
これからはこういう事が起こらないように社会が、周りが察してあげ、助けてあげないといけませんね。
2025年04月21日 06:47
行政が真剣にこの問題に取り組まなければなりませんね。
2025年04月21日 07:01
知らないお話で、申し訳ない感じ。
施設には入らず、亡くなりたいと思っております。
2025年04月21日 08:16
明るいキャラクターというイメージでしたが、そんな事情があったんですね。
介護を一人で抱え込むのは大変ですよね。
私は「ピンピンコロリ」といきたいですが。
もーもー
2025年04月21日 08:22
記憶に残る方でした  歌声が好きで  素直な純粋な方を感じました   が
残念な死を迎えてしまって・・・昔は  介護を家でするのが当たり前・・          介護者より  介護側が 先に逝ってしまうケースも  結構聞き意って     今は  行政もだいぶ整い  介護施設で  見て頂けて   家族の為にも   有難い現代で・・我が家も  義父が  歩けなくなってからは  施設でお世話になっておりますが  共倒れせず  また  喧嘩する事無く  穏やかに過ごせてます  施設に預けただけで  白い目で見られた昔を思えば       感謝でしかありません
田舎では   23回忌を  期に 一くぐりですかね
2025年04月21日 10:12
ナイスでした♪
2025年04月21日 10:58
ナイスです!
2025年04月21日 12:50
清水由貴子さん、存じ上げていたけど、そのような亡くなり方をしていたのは知りませんでした・・・
「介護」について、考えさせられます。
今年は父の十三回忌があります。
弔い上げがいつなのかは知らないです。。。
2025年04月21日 14:08
彼女の訃報を聞いた時は驚いたのを覚えています。
当時は判らなかった 介護うつ。今は 嫌というほど良く判ります。
彼女は仕事も順調だったところ 引退しなくてはならなかったことも
おおきな決断だったんですよね。
「お元気ですか」は とても大好きな歌なんですが 聴くたびに胸が痛みます。この作品の後奏の部分を聴くと 今頃のような 暖かく陽炎が舞うような季節感を感じるんですよね。しあわせで あって欲しかった。

彼女の存在感って とても穏やかな雰囲気が何時も伝わって来ていたんだけれど やはり介護にかかりきりになって 人に言えない大変なことも
沢山あったのでしょうね。☆彡

うちの方は特に決まってはいないようですが 三十三回忌が弔い上げと
いう家が多いようですよ。
2025年04月21日 14:53
清水由貴子さんは愛想が良くて知ってますが
そう言えば引退されても、この経緯も忘れてました。
責任の強い子だったんでしょうね、お察しします。
33回忌までは昔やっていた様な、最近は家族でが多くなりました。
2025年04月21日 15:14
残念ながら清水由貴子さんの件は存じ上げませんでした、
彼女の生い立ちも知りませんでした。
この国は高齢者介護は立ち遅れていますね。
政治屋もいずれ高齢になるのにね。
2025年04月21日 15:58
早いですね。17回忌になるんですね。
2025年04月21日 17:19
三十三回忌でもなく、五十回忌でもなく、二十三回忌の案内が届いていました。なんなんだろう、、、、ブログ箱庭「おまけつき」においで頂き、ありがとうございました。カルガモと人間、坂道で向かい合いの時間が長かったです。上には池があるので、そこをめざしてたんだろうと思います。
2025年04月21日 18:00
(# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
2025年04月21日 20:19
清水由貴子さん ウーーン ちょつと記憶にはないのですが
そう言えば いたような という感じでしょうか

介護という事情があったのならば気の毒な方ですね
2025年04月21日 20:40
今日お母さまは無事だったんだよなぁとふっと
思い出したのですがいっぷくさんの記事を見て
あら奇遇と思ってしまいました
父は50回忌で終わりにしました。
2025年04月21日 21:00
高齢化社会ですので介護うつの人は増え続けるのでしょうね・・・
2025年04月21日 22:27
年忌は関西地方は丁寧ですね。(33回忌までは覚えている)
私も連れ合いの13回忌は行いましたが来年は17回忌どうしょうかな~と
自分は3回忌ぐらいで終りにして欲しいと思います。
(子供に負担を掛けたくない)
2025年04月21日 23:32
これから年々重さが増してくるであろう家族の介護、思い詰めたり疲弊しきってしまわないよう、息抜きや気分転換をしつつ、ケアマネさんはじめ周囲の方にも協力して頂きながらやっていますが、自分も年を重ねる度にいつまでそれができるかと不安にもなります。清水由貴子さんは、優しくて頑張り屋さんだったのでしょうね。痛ましい事件で、身につまされます。