日本社会の「脱宗教化」の実態は?日本人は本当に「仏教離れ」したのか

「日本では仏教徒として生まれ育った成人のうち40%が現在、無宗教を自認」しているそうです。とくに日本では仏教離れが顕著といわれています。その真相はいかに。急速に進む日本社会の脱宗教化の実態について論考してみました。
米国の世論調査研究組織ピュー・リサーチセンターは、世界36カ国で幼少期の信仰からの変更をテーマに調査した結果を発表しました。
この調査によれば、成人の5分の1以上が、生まれ育った宗教グループを離れているとのこと。
特に日本では、仏教徒として育てられたものの、現在は無宗教であると回答した人が14%に上り、仏教離れの傾向が顕著だと考察されています。
[ニュース]日本、仏教国で仏教離れ最多 信者の4割、現在「無宗教」 米研究所調査 https://t.co/SudMz0XLID @chugainippohより
— 倉持 薫 (@l4ikwgs8) April 26, 2025
しかし、「無宗教」の増加=仏教そのものの衰退と考えるのは早計です。
だって多くの日本人は、寺院との関係が希薄化してもなお、先祖供養や神仏への祈りといった日常的な宗教的実践を継続している事実があるじゃないですか。
この矛盾に見える現象こそ、現代日本の宗教観を理解する鍵です。
仏教そのものか、寺院か? 見えない「二重構造」
そもそも、この調査で言う「仏教徒」とは、どういう人達なんでしょうか。
ピュー・リサーチセンターの調査では、日本成人の46%が「仏教徒」と回答していますが、その人々は、儀式参加や寺院との関係性を伴わない場合が多いのが特徴だそうです。
つまり、得度も「おかみそり」もしていないけれど、仏教徒と名乗っている、「自称仏教徒」というわけです。
一方で、「無宗教」と自認する人の70%が先祖への供養を行い、64%が神や霊的存在を信じているというデータがあります。
こうしたことから考えられるのは、「仏教」自体が社会から消えつつあるのではなく、たんに寺院という組織形態の衰退が目立っているだけであり、人々の精神的・宗教的営み自体は引き続き活発であることを示唆しています。
仏教自体の実用性は維持されている

例えば、次のような日常的な仏教的行動は未だに行われています。
- 先祖供養:仏壇や墓地に手を合わせる習慣
- お盆や節分やお彼岸:季節ごとの行事への参加
- 御利益信仰:パワースポットや開運グッズへの関心
これらは仏教の教義と直接結びつかない場合も多いため「無宗教」と認識されがちですが、仏教の精神性が生活文化として根付いている証拠です。
この現象を「文化的宗教性」と呼ぶ専門家もいます。
「無宗教」を自称し、寺院との付き合いが疎遠なのに、葬式や法事には読経してもらう、なんてまさにそのあらわれでしょう。
これをもって、日本では「葬式仏教」なんて言い方がされています。
葬式のときだけ出番がある仏教、という意味のようですが、正しくは、「仏教」の教え自体が「葬式の時だけ」なのではなく、寺院との付き合いが「葬式の時だけ」という意味です。
「寺院離れ」の原因
では、寺院離れはどうして起こったのでしょうか。
1.社会構造の変化
核家族化や都市化の進展により、寺院と檀家の伝統的な関係が崩れました。
今はむしろ、「墓じまい」「仏壇じまい」など、自分の代で寺との付き合いは終わらせようという傾向があります。
2.宗教概念の西洋由来性
「宗教」という枠組みは西洋発の概念であり、日本文化には「神仏習合」や「八百万の神」など、境界の流動的な信仰形態が根づいています。このため、あえて「仏教徒」の自認がなくても、つまり得度や「おかみそり」等の儀式を行って寺に帰属しなくても、仏教的行動が日常に残る現象が生じています。
今後の展望と対策
では、こうした現実を踏まえて、寺院側はどうすればいいのでしょうか。
寺院が「葬式仏教」から脱却するには、人々が自然に行っている宗教的実践と仏教のつながりを可視化することが有効です。
例えば:
- 地域の防災活動と寺院の協力体制構築
- 檀家制度の名残で安穏とせず、葬祭行事のあり方の見直し(高額な読経料や戒名料の改善など)
といったことがあってもいいのではないかと思います。
寺院の機能が縮小する一方で、SNSでの写経配信やAIによる供養サービスなど、新しい形での宗教的実践が始まっています。
伝統を守るだけでなく、時代に応じた表現方法を模索する姿勢こそが、仏教の未来を切り開く鍵となるでしょう。
繰り返しますが、日本人の「仏教離れ」は、「寺院離れ」であり、決して「信仰離れ」ではないことを認識する必要があります。
先祖への思いやりや自然への畏敬の念といった精神性は、仏教の影響を深く受けている証拠だからです。
そして、せっかくそうした精神性を持つならば、「私は無宗教だ」なんて壁を作って「葬式仏教」にとどまるのではなく、ご自身の方から仏教に歩み寄り、自らが影響を受けている仏教の教えの意味を知るために、時には寺院の法話会などに参加するのもよいのではないかと思います。
みなさんは、寺院との付き合いはどうされていますか。

日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書 783) - 佐々木閑
この記事へのコメント
おいらは、たまに法事などで坊主に会う程度です
両親に何かが有れば、お願いする事になると思います
だから、父の葬儀の時にやっと何宗かがわかると言った感じで、お寺にさえも足を踏み入れたことが無かったように思います。
だから、結婚してからの方がお寺に行ってるな~って思います。
婚家は神道だからお寺は関係ないけど、昨今の御朱印ブームで奈良の方のお寺巡りをしたりとか、説法って言うのかな(!?)ご住職にお話を聞くとありがたい気持ちになりますよね。
あと最近移民によるイ〇ラム教徒の横暴が、心配になります(*´ω`*)。
キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝ったりなんてのも有りますね。
宗教全部とは言いませんが不安を煽りおカネ集めの道具にしている部分も有りますし、宗教絡みは非課税なので非国民だのと罵る方も居ますね。
寺が苦しいと言う割には(これは待ちの姿勢だから致し方ないのでしょうが)一般企業で言う営業もロクにせず、上から目線で檀家や地域に貢献しない、寺を抜けるなら高額の解約金を請求すると言った事例も散見されます。
そう言った観点から宗教=カネに汚い守銭奴と良い目で見ていない方がいらっしゃるのも要因かと思います。
私的にはお参りには行きますし天から(神様が)公平な目で見てくれている、善因善行、悪因悪果、因果応報に尽きると考えます。
nice!です。
もちろん寺の行事にも参加しません。でも父、母の供養行事は「ちゃんとしてます。
これからはお墓も仏壇も持たない世の中になって来るので、お寺さんも世の中に合わせた考え方に変えて行かなければいけないと思います。
が親族代表で、全額払ってますし。
若い人たちに 守れと言うのが 酷かも・・・
私のところだけかもしれませんが、寺院も明朗会計になりました。
お気持ちだけではなく、お布施~円卒塔婆~円とハッキリ言われます。
私自身も日頃「宗教」を意識していませんが、記事にある通り日本には「神仏習合」や「八百万の神」といった考えが無意識の中で根付いていると思います。
アンケートの数字はそうなるんでしょうけど、「宗教離れ」ではないような気がします。
いつも暖かいコメントをいただき感謝しています。
昔は神社とお寺が一緒だったと聞いたり、その存在を認めながら、坊主丸儲けなどと悪態をはいたりがある夜に聞いています。
また、宗教は哲学だと云う人も居ます。
ICUの先生はどんな宗教を持つかで理解し合えると云われます。
宗教を金銭的な利益のために起こしたり、政治的な活動につかったり。
本来の宗教が湧い教区したりする事があったりして、信用が妖しくなっていないでしょうか。
医は尽日ではなくなりました。
宗教は尊さを保っているでしょうか。
意地が容易でない事は解ります。
近くに当きゅお大震災で移転して来たお寺が並んでいますが、入りづらいです。
永平寺に行った事が在ります。
マイ・パソォンのお気に入りに入れて居ます。
食事が終わって橋は10時20分に先を右下に置くべしと教えがつたわっているとか。
道元禅師の細かい言い伝えがあるそうですね。
クリスチャンは伝導が目的と云っています。
宗教の役割は如何に。
私は、法事などの行事だけの付き合いになっています。
深い問いかけですね。。。
これまで、実家の親が檀家として、というスタンスでした。
父亡き後どうするか、は身内(といっても弟1人)と相談せねば、という状況ですね。。。。
ともあれ、NICEです
うちは神道なんですよ。
といっても信心深いわけではなくお葬式の時だけです。
元々は仏教だったみたいですが明治になった時に神道にしたみたいです。
そんなわけでお寺さんとのお付き合いはありません。
あまり訪れる機会はないですが、
近くの神社やお寺さんへは参拝しますね。
結婚は教会で、お葬式はお寺で・・・
今時の私にはそれ以上のご縁がないですね・・・(^-^)!!
これも時代の流れなんでしょうか
仏教は、宗派間の争いもなくいい宗教だと思っています
自分は実家を離れていると今は「無宗教」なんて思ってましたが
違いますね、実家でのお墓参りは勿論、沢山の寺院や神社への参拝もして...
しかし、これからの若い世代 檀家さん問題も出て来そうな気がしますね。
13回忌を済ませて、寺院との深い繋がりをstop
子供に負担をかけないために自分は質素な家族葬にし
後の供養は3回忌で終りにする様に書き留めておきたいです。