「障害者の安楽死」という危険なフレーミングー命の価値は誰が決めるの?

最近、「重度の障害を持って生まれた子の安楽死が認められる社会である方が良い」というXのポストが、物議を醸しています。この発言は、一般的な「安楽死」という倫理的議論ではなく、障害者をターゲットとして名指したことが、これまでの「安楽死」議論とは異なる点です。
しかも、ポスト主が医師だというのです。
「障害を持って生まれた子どもは育てるのが大変だから、親がその子を安楽死させる権利があってもいいんじゃないか」と言っているのです。
このような言説の背景にある問題点と、なぜそれが危険なのかを考察します。
「障害者の安楽死」という設定の問題点
多くの意見はあるだろうけど、重度の障害を持って生まれた子の安楽死が認められる社会である方が良いと思う。
— 上松 正和?? (@Uematsu1987) May 10, 2025
「産んだのだから死ぬまで責任を持てよ」と両親に責任を負わせ続ける社会は、余りにも当事者達に無慈悲過ぎる。両親が育てるのだと決めたら全力応援するのは前提で。両親の人権も大事。
今回のツイートの何がまずいのかというと、まず、「重度の障害を持った子」と限定することで、「安楽死」という本来幅広く倫理的検討を要する問題を、障害者の存在価値の問題にすり替えていることです。
そもそも安楽死の議論は、人間の尊厳や自己決定権、終末期医療の在り方など、極めて慎重で多角的な検討を要するテーマです。
安楽死を議論すること自体を、否定するわけではありません。
しかし、今回のように、「重度障害児」と属性を限定して議論されると、それは「障害がある=死なせるべき議論をしてもいい」という、極めて危険な優生思想的前提を内包することになります。
それは、安楽死ではなく殺処分の発想でしょう。
命の価値を誰が決めるのか
国民民主・玉木の高齢者安楽死論(事実上の姥捨山)の障害児版みたいなこと言うのが出てきたなと思ったら、比例で国民民主から出馬して落選したことのある人なんやね。
— 顕微鏡 (@kenbikyou_i) May 11, 2025
安楽死と称して高齢者や重病人、障害者(児)を社会の輪から爪弾きにするのが、国民民主党のやり方なんか? https://t.co/KnMOCavLja pic.twitter.com/3h4zJZdVcA
ポストでは、「両親に責任を負わせ続ける社会は無慈悲だ」との主張がなされていました。
一見、親への配慮を示しているようにも見えますが、ここで“当事者”とされているのは障害児ではなく、あくまでその親です。
つまり、「子育てが大変だから、その子の命を終わらせる選択肢を親に与えよう」と言っているのです。
子の命は子のもので、親のものではありません。
ここには、障害を持って生まれた子ども本人が一人の人間としてどう生きたいのか、という視点が完全に欠けています。
支援不足の社会構造の問い直しを欠いた議論
重度障害児の安楽死が始まるとする。しばらくすると、成人の障害者も安楽死の対象となり、精神疾患や難病患者も安楽死。さらには働けなくなった高齢者も安楽死。さらにさらに、時の政権に不都合な人間も安楽死。たしかナチスは同性愛者もガス室に放り込んでいたはず。
— 細々経営弁護士+6歳知的障害児のパパ (@hdm1987) May 11, 2025
障害のある子を育てる家庭が感じる困難の多くは、「障害そのもの」ではなく、社会的なサポートが不十分であることから来ています。
福祉制度の不備、バリアフリー環境の欠如、保育・教育の受け入れ体制の弱さ──こうした社会の側の課題を無視したまま、「安楽死」という極端な選択肢だけを提示することは、本質的な問題の解決にはなりません。
むしろ私たちが問うべきは、「なぜ支援が十分に行き届いていないのか」「どうすれば誰もが安心して子育てできる社会に近づけるか」なのです。
当事者の声を無視しないで
障害児の安楽死がおすすめに出てきたけど、そこじゃないだろ
— べべ@双子5y 自閉症+重度知的?? (@72_twins) May 11, 2025
まずは産まれてきてくれたんだから支援
発達障害なんて産まれて数年しないとわからないんだから
子供の死を考えるなんて悲しすぎるわ
ほんとクソジャパン
この問題で最も欠けているのが、障害当事者の声です。
多くの障害者団体は繰り返し、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」と訴えてきました。
たとえば日本自立生活センター(JCIL)などは、安楽死の議論が障害者の「排除」につながることへの強い懸念を表明しています。
安楽死の議論に障害者の声がないまま進めば、それは単なる“弱者排除”の論理にすり替えられてしまいます。
この議論で最も欠けているのは、障害当事者の声です。
当事者団体は繰り返し、「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」と訴えています。
障害のある人々自身が「自分たちの命は価値がない」と考えているのではなく、むしろ社会的障壁に対する怒りや、支援の充実を求める声を上げています。
私の感想
誰にでも、いつからでも色々な事により
— 林 よう子 (@Hayashi21yoko) May 17, 2025
障害を持つことはあります。
でも、〝大丈夫だよ“と言える社会を作っていける手助けができればと思います
体が動かなくても前へ “全身まひ”になった元体操選手「障害と生きていく」新たな挑戦に密着(STVニュース北海道) https://t.co/R5lHI3S0EG
何度も書いているのですが、今、健常でピンピンしている人も、実はいつ障害者になるかわからないんです。
・脳卒中で、手足や言葉が不自由になるかもしれない。
・直腸がんで、人工肛門になるかもしれない
・水難や火災で、遷延性意識書害(寝たきりのいわゆる植物状態)になってしまうかもしれない
・緑内障や難聴を放っておいて、気がついたら日常生活をサポートなしに過ごせなくなるかもしれない
だから、障害者をお荷物扱いしている人が、明日は自分がその「お荷物」になるかもしれない、と考えてみることです。
そういう想像力を働かせて、考えてほしいのです。
ブックレビューで、発達障害などをテーマにした教育雑誌を紹介して、またそれをありがたがるコメントをしている人もいますね。
私は、あれっていかがなものかと思っています。
だって、教育雑誌で障害者のことがわかったら苦労しません!
もちろん、研究報告は大事ですが、しょせん、そういう雑誌って、研究者目線で、障害者の目線ではないのです。
私が懸念するのは、そういう雑誌を読んだことや、そのレビューに綺麗事のコメントをしたことで、「私は障害者のことを理解している(素敵な人)」と勘違いしてしまうことです。
日常的により大切なことは、障害者側の立場に立って考えることなんです。
別に特別なことをしなくても、車内で席を譲るとか、ヘルプマークをしている人には注意を払うとか、日常的に寄り添うささやかな気持ちが大事なのだと思います。

それにしても、障害にもいろいろな段階はありますが、親が本気で「安楽死」させたくなる子なんて、本当にいるかどうか、そんな統計を私はいまだかつて見たことがありません。
学術的に存在しないということは、冒頭の医師の問題提起はたんなる妄想や個人的邪心ということだと私は認識しています。

人間としての尊厳: ノーマライゼーションの原点・知的障害者とどうつきあうか - スウェーデン社会庁, 二文字理明
この記事へのコメント
他人から見たら、お荷物的な考えもあるかもしれないけど、どれだけ障害を持ってたとしてもそんな考えは医師としてどうなんでしょうね。
後々、社会的弱者の者たちは抹殺していくみたいな考え方が見え隠れして怖いです。
親が明るい子なので、その子供たちも明るく、確かに車椅子での生活ですが、その暗さは微塵も感じません。子供ふたりとも障害者なので、親は大変ですが、ボッチャを楽しんで、オリンピックを目指しています。
もう一組、友人の孫ですが、兄弟ふたりともです。離れているので、細かい情報はわかりません。
もう一人、兄嫁の姉の子が小児麻痺でした、亡くなりましたが。
親はたしかに大変ですよね。
という局面で、誰を選ぶかの権利は、患者やその家族の視点で自由と
いう考え方も、少なくとも成り立つような話につながりますね。
障害者に自分の成り得るかも知れない!自分が障害者として生まれて来たかも知れないと想像する事が出来ない人は、これからの世の中の政治、社会を引っ張って行ってはいけません。
相手側の立場に立った事を想像出来、初めて色んな案が出たり、皆が暮らしやすい世の中になるのです。
途中からの障がい者は 受け入れるまで・・考えますね・・
テレビのドキュメンタリーで 安楽死 スイスまで行って・・
本人にしてみれば 本当に 辛い選択であったろうが それよりも増して
の 苦痛を思うと・・・一生答えが出ない ことですね・・・
ただ 昔と比べれば 開放的になってるし 自死だけは いけないと 思う今日この頃 難しいですね
しかし障害があるからといって安楽死をさせるというのはどうなんでしょう。
個人的にはこの意見には反対です。
人間の命の尊厳て、そんな軽いもんじゃないでしょう。
本日の記事を読んで国民民主党には絶対投票しないと決めました。
あたかも不良品は捨てても構わない的な思想に違和感を覚えます。
だから安楽死を認めるではなく、周囲や社会がどう支援して行くかを考えて行かなければいけないわけで・・。
この先生のご意見には賛同できません。
最近NHKの番組、ウクライナで戦争で手足を失った兵士のみなさんが地元で受け入れられずに困っているというものでした。旧共産圏では、障害を持つ人は国の役に立たないとされ、施設に集められて人目に触れることなく生涯を終えていたため、一般の人々は障がい者と暮らしたことが無いからどう対応していいかわからないのだそうです。
何とも言えない気持ちになりました。
この記事を拝読するまでは・・・
安楽死ではなく殺処分の発想
正にその通りなのかも知れません。
浅はかな自分自身、猛省しております。
ほんと、これは安楽死ではなく殺処分の発想ですね。
重度の障害を持った子の親御さんが、大変なのは確かだと思います。
だけど、大変だからといって、その子の死を願う親御さんがどれくらいいるのでしょうか。
いっぷくさんがおっしゃるとおり、その子の命はその子のもので、親のものではありません。本人だって、好きこのんで障害を持って生まれてきたわけではありません。
国民から徴収した税金は、こういったことのために使ってほしいものです。
そしてこちらもおっしゃるとおり、誰だって障害を持つ可能性はあるのだから、障害や病気を特別なこととせず、フラットな目で見られる社会ができるといいと思います。
とても怖い考え・思想。。。ちょっと話題が違う方に向かっちゃって
申しわけないんですが 先ほど飛び込んできた農水大臣の失言にせよ
このところ 何を考えているのか 自身がどれだけ上から目線で見ているのか
モラルハザードを感じる発言が過るたびに 不安が増して憤慨しちゃいます。
私も人様のこと言えませんが 社会経験が少なく 人の先に立って
ひっぱってうゆくような立場の人が 少なくない昨今 何を信用したらいいか
判らなくなってしまいます。☆彡
安楽死・・・ケースバイケースでやむを得ないときも
あるかも知れませんね。
信じられない発言で、恐ろしさを感じます。
最後まで読ませて貰いましたが...疑問しか。
>renbajinharuhiさん
>2025年05月19日 08:35
>本日の記事を読んで国民民主党には絶対投票しないと決めました。
国民民主党叩きのつもりはなかったのですが、先頃発表された候補者といい、国民民主党の考えていることはわかりませんね。
安楽死が認められたら、大変なら何故安楽死させないのか、自分で育てると決めたら支援なんか求めるな、とエスカレートしそうで怖いです。やまゆり園の事件後、潜在的に加害者に賛同する人がどこにいるか判らないと思って障害のある自分の子供をしばらく外出させられなくなりましたが、社会にも理解があって、支援もあれば大変にはならない。社会が障害者を不幸にしているのだと思います。
確かにそれはいえますね
安楽死をなんて聞こえはいいけれど殺人行為
そんなことを望む親がいるとは思えませんが、